「平成30年7月豪雨」災害レポートNO53

(2018年11月9日)
仮設住宅では、少しずつ生活に色合いが出てきました。前号で紹介させて頂いたように玄関前に花が植えられたり、のれんがかかったり、表札が下がったりとしています。
表札は兵庫県立大学大学院の院生のみなさんと一緒に作っています。台座に自分好みに名前を書いて、飾り絵も着いたり、家族のペットの写真を入れたりしています。

みなさんそれぞれ素敵な表札を作っています。台座となる木材は、地元広島のボランティア団体「コミサポひろしま」のメンバーの植木さんのご親戚が経営されている株式会社アイ・エム・シーユナイテッドの代表取締役今津正彦様よりご提供頂きました。大工さんにもつけ方を教えてもらいながら、次々と出来上がっていきます。
中には、ご自宅から表札を持ってきている方もいらっしゃいます。アパート暮らしの多い中、一生に一度の大きなお買い物である“家”その顔である表札は、とても大事なものなんだということをあらためて感じました。

そして、仮設にベランダをつけました!大工さんのお父さんと建築を学んだ息子さんがいるお宅でベランダづくりのお手伝いです。お父さんも張り切ってベランダ作りが進みます。縁側は常設設置となりましたが、ベランダがあるとお布団も干せるので、とっても便利です。東日本大震災の時は、縁側もなくみなさん不便な思いをしていた中で、ボランティアの人たちがベランダを設置していました。

今回は息子さんのアイデアもあって、屋根も設置することになりました。屋根があれば、雨の時に洗濯物も安心です。そして、ちょっとした目隠しはお母さんのリクエストです。前のお家と距離も近いので、目隠しはちょっとした配慮ですね。
今後はご希望の方には少しずつベランダ設置をお手伝いしていきます。
(増島 智子)

「平成30年7月豪雨」災害レポートNO52

11月6日で西日本豪雨災害から4ヶ月が経ちました。一見すると町はずいぶんときれいになってきました。けれど家の中へ一歩足を踏み入れると、床板をはがした家はまだ泥がはいったままで、解体を待つ家や、大工さんを待つ家などいまだに2階での生活を余儀なくされている人がいます。

そして、仮設住宅では入居から1ヶ月、2ヶ月が経ち落ち着いてきたものの、生活するにつれ、必要なものを自宅にとりに行く人もいます。この間の疲れが出て、不眠や頭痛などの症状が出ている人もいます。家の片付けや事務手続きに追われ、やっと落ち着いたところで、今後の生活への不安や再建をどうするか被災者にとってはこれからが本番です。

先日、久しぶりに広島を訪れ、地元のSeRV広島のボランティアのみなさんと仮設で足湯をしました。
●「自分のものが土砂にやられて、捨ててしまった。けど、今になって思うと新しく購入するには、お金もかかって大変。」
●「仮設住宅は2年間住むことが出来る。今日も朝日新聞からインタビューされたけど、『今、何が必要ですか?』わからない。先の事が(2年後)心配。」
●「水害で一階が浸かってしまった。最初、町営住宅に2世帯で住んでいたが、主人が眠れなかって気を使った。この住宅も娘が申し込んでくれて夫婦二人で住むことが出来た。今、1ヵ月になるが、やっと眠れるようになった。主人(90代)が認知症の傾向にあり、忘れっぽくなってきた。ずっとここで住めれば少しは安心だが・・・」

こうして足湯をしながらぽつぽつといまの心境を語ってくれます。これからの暮らしの再建に大きな不安があることがつぶやきを通して感じることができます。
住民の方が、談話室で足湯の準備をしていると、「菊があるから飾って、みんなが癒されるように、ここにもって来ようか?」とたくさんの菊の鉢植えを運んでくれました。談話室の入り口がパッと華やかになりました。水害で難を逃れた菊が鮮やかに咲き、みなさんの心を癒してくれました。仮設に少しずつ本来の暮らしを取り戻したようです。
(増島 智子)

「平成30年7月豪雨」災害レポートNO51

その日は突然訪れました。9月26日とうとう、数珠を救出できないまま、解体が始まってしまいました。家族が見守る中、大きな音をたてながら重機が家を壊していきます。それまで、こんな日が来るとは思わずに、たくさんの家族の思い出が詰まっている家、それがこんな日を迎えるなんて・・・・

家族が見守る中、まるで怪獣のような重機が大きな音をたてながら、家を飲み込んでいきます。「バキバキバキィ、ガッシヤッシャーン」と、胸を締め付けられるよう思いでした。

お母さんは「私の嫁入り道具のタンスはなにもなかったのよ。傷ひとつなく助かったのに。持っていくところもなくて、仕方なかったの。あのタンスが壊されるとき、大きな音をたてて、もう胸が苦しかった。」と涙を浮かべながら。

なすすべもなく、そこに立ち尽くしながら、解体作業を見守っています。

家屋の解体も終わり、次は家屋の中に入った土砂の撤去です。
土砂に埋まっているかもしれない、お母さんが大切にしてきた数珠を探すため、重機がかき出す土砂を見つめながら、じっとしてその場を離れられません。そして、お父さんはぽつりと「これで全部財産がのうなった」と。固唾を呑んで見守っている私には、かける言葉がみつかりません。

解体、土砂の撤去作業からちょうど一週間が経過した10月3日に一本の電話が鳴り響きました。それは、お父さんのからの電話でした。なんとあきらめかけていたあの数珠が見つかったという連絡でした。思わず飛び上がりたくなる瞬間でした。嬉しくて嬉しくて本当によかったです。その日はたまたま予定を変更したお母さんが、自宅の土砂の撤去作業を見に来たところ、ふと目をやるとなんとそこに数珠が壊れることもなく、泥だらけで見つかったのです!!!お母さんの想いが届いた瞬間でした。
翌日早速、その数珠を見に行きました。泥は被っていたものの、とてもきれいな状態でした。

この奇跡の数珠は、上から頭、手、胴体、足のように表現されているそうです。災害で亡くなられた多くの方々の生まれ変わりかも知れないと思われるほど象徴的でした。まだ水分が乾ききっておらず、黒ずんでいるところもありましたが、紐も切れることなく、きれいな状態でした。過去帳も、経本も汚れてはいるものの、中の字は鮮明に読める状態でした。

 

家は解体をしなければならなくなりましたが、大切なお位牌と数珠がみつかったのも、ちゃんと毎日お務めをしていたからでしょう。ご先祖さまが水害からご夫婦の命を守り、そしてまた家族のもとに戻ってきてくれたのです。
この間、このお位牌と数珠の救出作業に関わってくれたみなさん、本当に心から感謝します。ありがとうございました。そして、これからもこのご家族を見守ってください。
(増島 智子)