広川町で採れる珍しい青石は、お母さんが宝物のように大事に取っておいたほど、まさに広川町にとっては“宝物”でしょう。ただ、ネットで広川町の歴史・文化財資料を拝読しても、ほとんど青石と言う文字は出て来ないのです。先日広川町を訪問してはじめて、青石の美しさに魅了された私としては、大変残念に思っています。
広川町の歴史資料を読んでいても、古墳の装飾品などで使われているだろうと想像しながらページをめくっていても、青石は出て来ません。ほとんど庭園に敷く庭石として使われているようですが、おそらくダイアモンドの刃が欠けてしまうほどの固さなので、細かい加工ができなかったのだろうと推測します。
今回の水害で、川の護岸となっていた青石を積んだ石垣が、少し崩れているところがありますが、ほとんどはしっかりと残っています。きっと青石を積み上げる石工さんもいただろうが、もうその技術を持った方は一人か二人しかいないという現状からすると、青石での護岸全面復旧は難しいのだろうか…?
ところで当NGOが事務局を担っていた災害救援員会は、1999年に台湾で発生した「9・21台湾集集地震」で、台湾の被災地支援の一つとして原住民族プノン族(正しくはブヌン族)の伝統的な住まいであった「石板屋」(今ではブヌン族の住まいでは数少ないとのこと)の再建をしました。石板=粘板岩は、現地では「鉄平石」と言っていましたが、厚さ2㌢~5㌢で長さが最大1㍍のスレートを積み上げた住まいでした。ネットで調べると、他の原住民が住む地域では“石板通り”と名づけられたところもあり、観光地にもなっているそうです。
単純に比較はできないけれど、広川町の話に戻ると、台湾の“石板通り”のように町全体を青石で家並み、街並み、道路を創り上げれば、地域の活性化と共にきっと素晴らしい観光地になるような気がします。イタリアでも地域住民が、自ら道普請をして石畳みを造っていると聞いたこともあります。
せめて、康照院付近だけでも川の護岸も含めて、青石づくしの里にならないかと夢が膨らみます。広川町の石垣に使っている青石は、厚みは10㌢以上もあり、長さは2㍍を超えるような石なのです。難しいのは承知しているのですが・・・・・。(青石の里広川町編続く)(村井 雅清)
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