「自主避難所から、自立避難所へⅦ – 川上本町編」
能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市の最先端にある三崎地区。
その中の自主避難所である川上本町集会所には、現在、3名の被災者の方々が寝泊まりしている。
この日、足湯隊の学生さんたちとここに水などを物資をお届けした。
この集会所は、高台にあることから、地震直後には、約30名が避難してきたという。
現在は、三崎地区内に2か所の仮設住宅110戸が建設されたことで、抽選に当たった人たちは避難所から仮設住宅や金沢などの2次避難所へと移っていった。
この避難所を直後から運営してきたTさんは、「俺は区長だからここを離れられない。」と金沢に避難して奥さんとも離れ離れで暮らしている。
Tさん自身も仮設住宅に応募したが、抽選に外れてしまったそうで、しばらくはここで3名で暮らさないといけないという。
「2次避難した人が片付けや手続きなどで、時々帰って来て、泊めてくれって言うから、ここを閉めるわけにはいかないんだ」と語るTさんの表情から、その責任感が垣間見えた。
そんなTさんは、後悔している事があるという。
娘さん夫婦がこの地域に家を建てる事になり、Tさんは、海岸線が目の前の自分の土地に家を建てる事をすすめたそうだ。
12月20日ごろに新築の家が完成して、娘さん夫婦はわずか10日ばかり住んだところで、地震に遭い、津波の被害を受けたという。
「俺があんなこと言わなければ・・・」とボソッとつぶやいた。
Tさんは、30分ほど離れた珠洲の中心部の蛸島の仮設が当たっても、「遠いから俺は行かない。。。」という。
それは、物理的遠いという事よりも、区長としてここを離れる訳にはいかないという責任感からそう言ったように見えた。
Tさんは、「4畳半の仮設は狭いわ。でも、夫婦が仲良くなるわ!」と冗談まじりで笑うが、その気丈にふるまっている姿が何とも痛ましかった。3か月休みなしでずっと走り続けてきた自主避難所の現実をTさんの姿から思い知らされた。(吉椿)
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