今年の元日に能登半島地震が発生し、まもなく4ヶ月が過ぎようとしています。みなさまにおかれましては、この間、貴重なご寄付をはじめ物心両面で多大なるご支援を下さいましたことに、衷心より感謝を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。
その上で、以下のようなご寄付のお願いをさせて頂くのは、ほんとうに心苦しいのですが、2007年の能登半島地震以来のお付き合いをさせて頂いてきた曹洞宗興禅寺住職(輪島市門前町走出)市堀玉宗師よりの能登再建の並々ならぬ決意を受けて、みなさまに重ね重ねご支援を賜りたいとお願いする次第であります。末尾に記している永福寺(輪島市鳳至町石浦)は、市堀玉宗師のご長男が住職を務めているお寺であります。この度の地震で準半壊という認定を受けた被害ですが、本来の寺の役割かつ仏弟子としての市堀玉宗師の能登再建をふまえての覚悟を込めて、解体後に小さいながらも『お堂』を建造することでの再出発することになりました。何卒、ご支援を賜りたくよろしくお願いするとともに、下記のお願いをできる限りの拡散して下さることを望みます。
被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清 (2024年4月23日)
『永福寺被災、その後』
永福寺復興支援をして頂いた方々へのご報告を兼ねて、寺の現状をお伝えします。復興再生の基本的なところは弟子に委ねていることは変わりません。これはあくまで永福寺前住職である私の願望です。
動画で吐露した朝市観音の構想は支援先として期待していた台湾の慈善団体が、自国の震災ということで恐らく当然のことながら自国優先で能登の支援は絶ち消えになるでしょう。
永福寺住職である弟子の孝宗は大乗寺にお勤めしながら、彼なりに知人の知恵や縁故の力を頼りに永福寺の再生を模索しているようですが、未だ形にはできていないようです。
私的には解体撤去して縮小再出発をしたいのですが、「準半壊」と査定され「半壊」になって公費解体を願い出たく申立てをして、今はその再審査待ちです。
いずれにしても、寺の年間行持は以前のようにできるまでには数年かかりましょう。伽藍がなくてもできる行持もなくはありません。寒行托鉢やお盆の棚経も来年からはできるでしょう。葬式は以前から年間を通じて頼まれることはほとんどありません。震災以前からの風潮である家族葬流行で教区寺院の葬儀に随喜する機会も激減しました。
こんな状況下、檀家のない永福寺ですが、これまで少ないながら地域の人たちの心のよりどころとなっていたと自負しています。
そのような篤い信者のためにもお堂レベルの伽藍でも構わないので建立したいのです。輪島の被災状況、宗教意識、家族意識などを考慮すれば、弟子の言うように永福寺には大伽藍など意味がありません。
義母が亡くなった後、興禅寺には私と妻が、義姉はみなし仮設住宅から永福寺にある自分の持ち物を整理すべく、興禅寺に泊まったりして金沢を行き来しています。興禅寺は今回の地震に耐えてくれて、寺族の避難場所としても機能していますが、興禅寺檀家の現況を考慮すれば永福寺と同様の事情を抱えています。
そのために次の代に引き渡すべく、できる範囲で力を尽くしていこうと思っています。お陰様で国民年金も少しばかり当たるので喰うには困らないでしょう。非日常を越えたこころの安らぎをわがものとして終活にいそしみたいものです。
支援していただいている方々には末永く永福寺の行く末を見守って戴けたら、仏弟子としての本懐これに過ぎるものはありません。皆様の、ご清寧なる日々を能登の地より祈念して、ご報告と致します。合掌。
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※ 永福寺令和6年能登半島地震被災復興支援勧進
〒928-0074
石川県輪島市鳳至町石浦町1
鳳来山永福寺
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郵便振替口座
加入者名 永福寺
00750 5 101412
十方有縁の施主皆様の仏心に縋ります。
永福寺住職 市堀孝宗 合掌
興禅寺住職 市堀玉宗 合掌
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