令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.55

—自主避難所から、自立避難所へⅩ-(輪島市西保地区西二又編)

 前号NO54で紹介した上大沢町の手前に西二又というバス停があったので、そこの集落にも立ち寄った。二人の方が戻って来られていたので、少し話を聞かせて頂いた。この集落は地震時に15世帯が住んでおられ、2月6日には6世帯が戻って来たとのこと。話を聞いているときに、1家族6人が車に乗って戻ってきた。どうも家の片付けに来たようだ。何もなかったように明るく振る舞っていたことが印象的だった。もう一人気がつかなかったが、表の掃除をしていた女性がいた。私たち二人を含めて、一度に5~6人が集まっていたので、「何事か?」と怪訝に思われたのかも知れない。

丁度3日前(4月18日)に電気は通ったが、断水のまま。孤立したため、一時避難した後4人が金沢中央病院に入院したとのこと。集落の家々は、外観からは大きな被害がないように思えたが、家の中は結構傷んでいるそうだ。

 前号の上大沢町でも同じだと思うが、ここでも一見地震前のように何事もなく暮らしているように感じなくもない。もちろん、想像以上の身体的・精神的・社会的な被害を受けていることは言うまでもないのだが、そう感じさせないこの集落の自然体の在り様が、きっと「自主」とか、「自立」とか、どこ吹く風?というほどに感じさせてくれる。

 この集落に「長誓寺」というお寺がある。集落で唯一のこの寺は、昭和20年に焼け、類焼で集落は3軒を残し、全部消失したとのこと。集落は全世帯この寺の檀家さんなので、みんなが資金を出し合い建て直したそうだ。この寺はそれほど大きい寺ではないのだが、山門が凄く大きく、高いので、正直本堂とは不釣り合いに見えるほどだ。伝統木造構法の典型で、立派な雄姿を構え、堂々としている。住職さんは不在だったので、次回訪ねた時には、もっと詳しいことを聞いて見たいと思いながら、集落を後にした。

 さて集落を出て、しばらく走ったところで、昨日いつもように立ち寄った穴水の来迎寺で15年振りに出会ったNさんの弟妹さんが住んでいる輪島市内の上野台仮設住宅を訪問しようと思って、Nさんに弟さんの電話番号を聞いた。弟さんに電話したところ「妹と一緒に小池にいる」となった。小池は前号で説明した西保地区の7つの集落の一つだが、ナビで場所を確認すると、二山ほど西の谷筋を走る道のようだ。「ヨシ、ついでに行こう!」と同行していた方と運転を代わって貰い、小池を目指して走ることにした。(次号は「小池編」)
(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)

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