「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.73
自主避難所から、自立避難所へ13 (輪島市西保地区上大沢編―3)
6月1日に「やさしや足湯隊」が訪問して足湯をさせて頂いた上大沢集落は、輪島市西保地区にある7集落(上山、西二又、上大沢、大沢、赤崎、下山、小池)の一つ。地震前は20世帯で、地震後少しずつ戻って来ているが、5か月を経た未だに水も電気も通っていない。
なので、戻って来てもこの地で長く暮らすことはできない。稲の苗の管理をされているNさんは毎日バイクで輪島から通っている。二次避難所やみなし仮設から、一時、家の片づけのために戻ってくる婆さんたちは、上大沢の集会所で寝泊まりをしている。水、電気がダメでも、地震前の営みが続けられていると錯覚を起こす。しかし、仮設住宅でも同じことだが「暮らしに仮はない」という名言を、私たちはしっかりと胸に刻まなければならない。
上大沢の特出すべき特徴は、1889年から現在(地震まで)まで20世帯という世帯数が減っていないということ(ただし人口は半減)。この現象には驚く。他の6集落と比べても圧倒的な数字と言える。
ただ、6月11日に区長さんを訪ねいろいろ話していると、「この地震後では20世帯が少しは減少するだろうな」と寂しそうに言われた。ただ、6月1日に足湯に来てくれた婆さんたちは、「20世帯って丁度いいのよ。まとまりやすくて・・・」と言われた。減少なんて全く気にしていない風だ。
区長さんは、やはり心労もあり、疲れがピークに達しているようにも見え心配だが、いつも静かに、淡々と語られる様子からは、婆さんたちからの信頼を築いているのは間違いない。
「兄ちゃん(区長のこと)、役所から義援金の紙がきとったけん、みんなもうもらったけ?」「あれは、それぞれが申請しないと貰えないよ!」と・・・。
二次避難所から一時帰宅をされた5人の婆さんたちの「また二次避難所に風呂でも入りに帰るわ」という気軽さが、手作りの大好物のおはぎをご馳走になったからではないが、私には元気を与えてくれる。
石川県の復興計画のビジョンに関係人口を増やす「二地域居住」が一つの目玉になっているが、この婆さんたちの住まい方が、二地域居住そのものだろう。この被災者のニ地域居住のために、行政や支援者はいったい何をするのが、正解なのだろうか‥‥?考えどころだ!
集会所で朝食をとり、あ~でもない、こ~でもないと話し、一段落すると各々電動車いすで、家々の片づけに帰る。一人の婆さんは、ご主人がこの炎天下で草刈りをしているので、電動車いすで田んぼまで行って、「熱中症になるよ!」と声掛けをして、自宅に帰るのかと思いきや、途中の友達の家に上がり込んでいた。婆さんたちの暮らしにも仮はないんだと気づかされる。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
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