「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.74
—自主避難所から、自立避難所へ―14 (輪島市西保地区上大沢編―4)
上大沢には次のような調査レポートがある。「この集落が小規模ながら結束が固く、江戸時代の能登に見られた戸数制限/維持制度であるツラ制度の伝統を今も残すいっぽう、漁港のほか西保では比較的まとまった面積の水田を有し、しかも種々の事業を試みる進取の気風にも富んでいるので、ここだけは若い夫婦や子どもがめずらしくないという話をよく耳にした。」とある。(金沢大学文学部文化人類学研究室 鏡味治也の資料「上山・西二又・上大沢・大沢の概要」(2006)より引用)
上大沢では20戸という世帯数が減らないというのが私の最大の関心事だが、この調査レポートを読むと、現在の話ではないが大変興味深い内容だ。ここでいう「ツラ」とは、能登地方の村落社会における民俗概念で、世帯を単位とした村落社会の成員権であり、分家をしてはならないという制度にも関連しているのだろう。また、5戸を1班として集落内での、共有地における例えば田畑の作業や草刈りのような助け合いの仕事を維持するしくみが集落維持にも貢献しているのかもしれない。ちなみに海よりの10戸を「カミデ」、その奥の10戸を「シモデ」と分かれている。前号で婆さんが言った「まとまりやすい」とは、的確な表現ではないかと思う。世帯数が増えると、食料不足、水不足という問題にも影響することがある。他の地域では、寺の行事である“講”に集まるのは、「そのときに寺に行けば、腹いっぱい食える」ということも聞いたことがある。
ところで、上大沢で採れる“岩海苔”は品質がよく、市場で高く売れるそうだ。だから、集落内では「ここでは食ってはならぬ」という風習があったと。しかし、今回の地震で海岸隆起が2㍍~3㍍はあるので、今後も質の良い岩海苔が採れるのか危うい。この集落では各家庭に一艘の船は所有していて、“イワシ場”という漁場まで船を出し、漁を営んでいたそうだ。昔は「海は宝」と言っていたと聞く。
ここでは一番若い人が28歳で、彼が地震直後のヘリを誘導するのに、地面にスプレーで「SOS」と書いたとのこと。このとっさの判断のおかげでまず病人一人をヘリで病院に搬送したという。
(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)
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