「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.77
自主避難所から、自立避難所へ15(輪島市西保地区上大沢編―5)
6月23日は大雨予報が出されていたので、前日の22日に上大沢を訪ねた。朝9時前に集会所に着き、「おはようございます」と戸を開けたら、T・すさのさん(85)がいた。私の顔を見ると、「また来たの?」というような顔をして迎えてくれた。顔を覚えてくれたんだと嬉しかった。台所の方からもガチャガチャと音がしたので、覗くとK・てる子さん(83)が洗い物をしていた。丁度朝ごはんを食べ終わって片付けをしていたようだ。ここで寝泊まりをして、ここで食事も終える。やがて二人が表に出てきて、それぞれが電動車イスに腰かけていた。「明日は大雨と予報が出ているので、心配ですね!」「今日、金沢(二次避難所)に戻るの。10時半に迎えに来てくれる」。前回11日に会ったところなので、「あれから、ずっといたの?」と聞くと、「長い時は1週間やなぁ?」とてるこさんが、すさのさんに相槌を求めていた。
結局、11日のあと一度金沢に戻って、3日ほどしてまた上大沢に帰って来られたということだ。家の片づけもあるが、集会所で食事をしているので、おそらく男衆のために賄いもしているのだろう。婆さんたちも、何もせずじっとしているより、こうして身体を動かしている方がいいだろうとも思う。前回の足湯の時に、一人の婆さんが「金沢にいても何にもすることがない。嫁が上げ膳据え膳なんでもしてくれる。有難いことや…」と。でも、1週間もこちら(上大沢)にいて集会所で寝泊まりをされている。水が出なくても、話し相手がいるし、やはり住み慣れたここが“居心地がよい”ということだろう。
こうしてしばらく上大沢に帰って来て、またしばらくして「洗濯や掃除もあるし、風呂にも入らな…」って金沢に帰る。実に気楽な感じがする。本レポートNO73の最後で、「婆さんたちの暮らしにも仮はないんだと気づかされる。」と書いたが、やはり婆さんたちの何気ない会話を聞いていると、これが婆ちゃんにとっての暮らしなんだと納得できる。石川県が発表した復興計画案(5月20日発表)には、「ニ地域居住」促進が明記されていた。関係人口とか、交流人口とかで外部からの流入を強化しようということらしい。しかし、この二人の婆さんの会話を聞いていると、本来の「ニ地域居住」というのは、まず被災者が集落で元通り暮らせるようになるまで、このように二次避難所と元の集落を自由に行ったり来たりの生活をサポートするための方策ではないかと理解したが‥・・・。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
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