「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.78

「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.78

   —自主避難所から、自立避難所へ―16 (輪島市町野町金蔵編―3)

  6月2日、輪島市の白米千枚田~同市町野町南志見町の海岸まで、外浦線が走れるようになった。これで、町野町の住民は一歩ずつ元の生活リズムに戻りそうだ。しかし、一方で輪島市西保地区の大沢町に行く林道および海岸線が、地すべりや落石のため通行止めになったと翌3日一報が入った。その西隣りにある上大沢、西二又へ行く林道は影響がなかった。

 さて、6月10日三度目の金蔵を訪問してきた、この日は私が一人でお伺いしたのだが、区長さんは午前中3時間にわたっていろいろな話をして下さった。特に私が注目したのは、区長さんが「二次避難している住民が、やはり金蔵に戻りたいという人たちがいると思うが、そういう人たちを全員受け入れ、安心して元の金蔵で暮らせるように、生活環境を整えたい」と強く言われたことだ。同じような環境で一時は孤立した集落でも同様の決意を話される区長さんは多い。ただ、金蔵は先に戻ってきている、あるいは発災時に残った10人を含めて、みんなでその環境整備に尽力されていることが伺える。(この“みんなでというのを、金蔵では”総がかり“という。)

 そのための第一歩として、一時は古民家を活用した“仮設シェアハウス”を構想された。しかし、この構想は事情があって残念された。代替案としてではないが一気に災害復興公営住宅を集落内に建てようという案が浮上してきた(6月30日付毎日新聞1面と3面)。

実は、東日本大震災後釜石の唐丹という地区では、最初から仮設住宅を建てないで、その代わりどこの地域よりも真っ先に公営住宅を建てると宣言された区長さんがいた。彼が、住民にそのことを伝え、「親戚のところやあるいは民間の住まいを借りるなどの不自由な避難生活かも知れないが、我慢してくれ!その代わりどの被災地よりも一早く、公営住宅を建てて、みなさんが住めるようにするから・・・・」と約束し、そのとおり実現させたという事例がある。 

阪神・淡路大震災はじめその後の被災地の最大の課題の一つとして、災害前のコミュニティを壊さず、維持することというのは避難生活をする上での“一丁目一番地”だ。仮設住宅も、公営住宅もそうすべきだ。被災者の不安やストレスを取り除くもっとも効果のある方策であることはいうまでもない。金蔵でも是非実現して欲しいと切に願うところだ。

 ところで、先述したように金蔵では昔から“総がかり”という集落の基本精神がある。集落の規約にも記されている。集落のさまざまなイベント、また景観を整備する草刈り、米作のためのため池管理、上下水道工事などなど、要は集落で暮らしていくためのライフラインに不可欠なことは、みんなで助け合って”総がかり“で取り組もうというものだ。例えば、90歳の住民に「草刈りに出て来い」とは言わない。でも、集合時には顔を見せて、「暑いけれど、熱中症に気をつけて、頑張って!」と声をかけるだけでもいいのだと。”総がかり“と言っても個人々の事情を尊重しながらの気遣いが素晴らしいと思えた。 

              (被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)

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