「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.80
—自主避難所から、自立避難所へ―18
今号は発災後、1月中旬に金沢の2次避難所から粟津温泉の避難所に移り、その後4月に小松市内の「みなし仮設」に入居されたMさん親子宅への訪問レポートです。表記の副題にある「自主避難所から、自立避難所へ」の枠でレポートを流します。
3月末に二次避難所のホテルへ避難しているMさん親子に会いし、その時の様子は本能登地震救援ニュースでもお伝えしました。83歳のMさんは、災害前年の9月に大病に罹り、その上でまた発災後の病気で入院となり、心配していましたがどちらも無事快方に向かい、今は相変わらず大変元気なお顔を拝見しました。地震前に亡くなられた奥さんの墓参りに珠洲に帰られたようで、その時に車の運転免許証の手続きに行かれたとおっしゃったので、てっきり免許証の返還かと思いきや、更新手続きとのこと。「ビックリ!」しました。「こちらでは乗らないけれど、珠洲では乗ってましたよ!穴水まではよく行っていました。」と、何ごともないように笑っていたのが印象的でした。
先日は息子さんの運転で、同じホテルで友達になった輪島の被災者に会うのに、穴水まで行ったともおっしゃっていた。そのついでに穴水の下唐川で「初の永住型仮設6戸入居」と話題になった「石川モデル」の仮設も見てきたと。被災にあった珠洲の家は、液状化もあって再建は難しいとおっしゃったので、「あっ、みなし仮設が終わったあとのことも視野に入れているのだなぁ…」と感心させられました。そういえば災害後の2週間で1・5次避難所への移動、そこから二次避難所のホテルへの移動、そして4月にはみなし仮設への入居と、結構即座に自己決定されていました。まさに、自主避難から、自立避難、そして今後の住いのことなど、見事なまでの“終活”と向き合っておられるのだなぁ…と感心された一刻でした。
ただ、これまでの職歴や地域での担い手としてのお仕事など初めて知り、「なるほど!」と納得するところも少ないないお話でした。
思い起こすに、元日の地震で息子さんが暮らしていた部屋の一部が壊れ、その修理を兼ねてトイレ、風呂などの新たな修理を計画していたところの元日の地震だったのだが、その後の大掛かりな修復では、約500万円の工事だったので‥‥単純に“不幸中の幸い”と言えるかどうかは、これからの判断でしょうか‥‥?
「珠洲に帰りたいですか?」と愚門と分かっていて問いかけたところ、Mさんは「帰りたい!」と絞り出すように言われた。「ここでは磯の香りがしないもの‥‥」「珠洲では、町が管理していた畑もあって、そこでも野菜を栽培していたよ…」と。
石川県が発表した「能登半島復興ビジョン」では、“コンパクトシティ”という構想が透けて見えるが、珠洲で育った人たちには、届かないでしょう。誰もが、元住んでいたところに帰ることができる住まい方を支援して欲しいものです。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
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