「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.81
—自主避難所から、自立避難所へ―19
(珠洲市馬緤編―1)
先日13日には、珠洲市馬緤町で50年続いた「砂取節まつり」が無事終つたとFBで紹介されていた。実は、昨年の開催を最後にこの祭りは一度終止符が打たれていた。しかし、今年の元日に能登半島地震が起きた。住民の中から「こんな時こそ祭りをやって元気になろう」と声があがり、復活したそうだ。この祭りは、珠洲市の外浦で特に有名な「天然の塩田」の歴史が基になっている祭りだそうだ。実行委員長のNさんも、「こんな時だからこそ、元気を出す場が必要。今年は地域の人たち、支えてくれたボランティアの人たちとの絆を深める『シン・砂取節祭り』として開きたい」と開催前に話していた。地震後は、自主避難所として開設した「珠洲市自然休養村センター」で暮らしていたが、一時は二次避難所に行かれた人も少なくない。(地震前は70世帯約140人)
実は、以前このセンターを訪ねて行き、足湯をしませんか?と訪問したことがある。その後、あらためて足湯の交渉をした時には、丁度51年目になる祭りを8月13日に行うので、その時に足湯をしませんかというお言葉を頂いた。しかし、「この暑い夏で、しかも屋外の祭りを囲む屋台の一画で足湯をしても、誰も参加しないよ!という声が多かったので中止となったのだ。足湯はまた涼しくなってからしましょうと、仕切り直しになった。
ただ、大谷町と高屋町に挟まれたここ「馬緤町」は、どこか気になる存在だった。それは、この避難所の世話をしているNさんの控えめで、夢を語るように復興のことを語る話しぶりが、魅力に感じたからかも知れない。「この馬緤では仮設住宅は建たない。穴水町に完成した“永住型仮設”のようなものが建てられないのかなぁ・・・?」恨めしそうに、控えめにつぶやいた。7月末に3度目の訪問をした時には、同センターの隣の空き地では、「黄色いハンカチ」が靡いていた。「えっ、これ幸せの黄色いハンカチ?」って聞いたら、「ニコ!」っと笑った。「故郷を離れた住民がいつか戻ってこられるように」との願いだ。一緒に行った大学生たちに、「知ってる高倉健と倍賞千恵子の幸せの黄色いハンカチって」と嬉しそうに問いかけたが、誰も「‥・・・」知らなかった。そこでNさんは少し映画の解説を始めだした。私は確信した。「ここ、馬緤町では被災者主体の復興がきっと実現するよ!」と。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
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