「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.86
地域おける今後の復興拠点としての寺院の在り方を考える-3
前号で「本来の寺の役割について考えてみれば、特に能登の場合は寺と暮らしを切り離すことはできない。」と書きました。2007年の能登半島地震の時に、輪島市門前町の寺の檀家さんが言われた言葉を思い出します。「私のところの家の修復より、とにかく早く寺の再建をして下さい」とおっしゃったのです。この方のお家も半壊くらいの被害を受けているのです。都会では、寺との関係がともすれば疎遠になってきているだけに、びっくりしました。
また、同年穴水の寺では地震後すぐに住職が、50軒の檀家さん宅に1軒あたり5万円のお見舞金を配られました。まだ、穴水町から見舞金など出ていない段階でした。
そして、今回の地震後、偶然お出会いした輪島市町野町金蔵という集落での話です。この集落には、寺が5カ寺あり、うち4カ寺は浄土真宗大谷派の寺です。区長さんがおっしゃるには、「昔は、この大谷派の寺では“講”という集まりがあり、その時には大人数が集まります。その時には皆さんに食事を出します。そのためには寺の坊守さん(住職の奥さん)の陣頭指揮のもと、料理がつくられます。今でも“料理長”がいます。その坊守さんが集落の女性に、講の時に各家庭から提供してもらう、食料についての調理法を指導されます。その経験から、各家庭の料理というものに技が継がれていくのです」とのこと。
このようにして、日々の暮らしの中心には寺の存在があるようです。能登半島では、輪島の白米千枚田や稲作を守る田の神様を祀る「あえのこと」、各地の祭り、揚げ浜式製塩の塩づくりなど、各々の人々の営みが「世界農業遺産」に選ばれています。寺も、その景観もさることながら、見事な建築物としての風格は見逃せないものがあるでしょう。でも、忘れてはならないのは、世界農業遺産に選ばれているのは、寺と人との関係、営みが選ばれているのです。金蔵の区長さんは「寺の影響を受けた日常の生活、農作業の取り組み方、人々の歴史も世界農業遺産に認定されたきっかけの一つになっているのです」と。
石川県小松市にある廃寺となった「西圓寺」は、地域と一体となり再活用されています。寺の本堂などほとんどの部分が、そのままの原型を残すようにリフォームされ、銭湯やカフェ、ジムなどが併設されています。本堂はレストランに改造して、地域の住民が気軽に出入りし、そのレストランを地域の福祉施設に通う方たちのデイサービスの場にもなっていて、障害を持つ人たちが介護者と共に、地域住民はもちろん一般の利用者とも、同じ空間で食事をしているのです。まさに寺が、地域丸ごとコミュニティの場になっているのです。
やはり今回の地震で大きな被害になったことから、もとのような立派な寺構えが必要なのかは、この機に考えなければならないことだと思います。(了)
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
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