「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.90

「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.90

 —自主避難所から、自立避難所へ―22(上大沢編―6)

 去る9月5日、やさしや足湯隊18便で輪島市西保地区上大沢(昔は“カメゾ”と言っていた)に3回目の足湯のため訪問した。ところが、急遽お目当ての元気なばあさんたちは、4日に金沢の二次避難所に帰られたとのこと。事情を区長さんに聞くと、仮設住宅が当たり、9月中旬に引っ越しされるのでは…という話で、引っ越しのための準備に帰られたようだ。

 ということで足湯は中止となったのだが、もともとこの日は、区長さんのお父さん(大正13年生まれの100歳)に、この日は昔のことをヒアリングするというスケジュールも入っていたので、予定通り区長さん宅にお邪魔して、お父さんにお話を聞くことができた。

 そもそも何故、100歳のお父さんに聞きたいのかというと、この上大沢に魅せられたのは、明治以来、この地震が来る前の年まで、ず~と20世帯を維持しているということだったが、区長にも、ばあさん達に聞いても分からなかったので、100歳の方に聞けば何かヒントがあるのではないかと思ったからだ。しかし、この件は残念ながら歴史的背景があってそうなったわけではなく、お父さん曰く、「20世帯というのが、争いも起こらないし、ちょうどよい塩梅(あんばい)じゃないか」ということだ。以前、ばあさん達にも同じ質問をしたが、やはり同じ応答だった。やっぱり、よい塩梅なんだ。「なるほど!」と納得した。

 ところでこのお父さんは、台湾の高雄にある製缶工場で働いていて、一度東京に戻り、その後兵役で戦地へ行っていたそうだ。この上大沢の家は、戦争で兄が亡くなったので、次男のお父さんが継いだと。ヒアリングの中で、何度も「ここが元祖や!」という言葉を聞いたのだが、この家が上大沢で最初の家やという意味らしい。歴代の区長も担ってこられた。「元祖、元祖」と誇らしげだった。もう一つ誇らしげに繰り返し言われたのは、「明治36年7月13日、東本願寺の本山から元小町(西保地区上山町)の願誓寺に遣いが来たのだと。詳しくは聞き取れなかったのだが、調べてみるとそれは、-明治36年(1903年)7月13日に、真宗大谷派の本山東本願寺から親鸞聖人のメッセージを持って北陸能登地方の信州の寺に行かれたのは、「親鸞聖人六百五十回御遠忌法要」の一環として行われたものだと。この法要は、親鸞聖人の遷化(亡くなられたこと)から650年を記念して行われた大規模な法要のこと。このような法要は、親鸞聖人の教えを広めるために全国各地で行われ、多くの信徒が参加した。特に、北陸地方や信州などの地域は、真宗大谷派の信仰が深く根付いている場所であり、重要な巡礼地となっていると解説があった。

 お父さんは、この「明治36年7月13日」という日付をしっかり覚えておられた。(続く)

    (被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)

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