「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.94
水害篇―2
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
記録的大雨に見舞われ3日目を迎えました。行方不明者および安否不明者の懸命な救命活動、捜索活動が続いています。未だ孤立集落は46カ所を数えます。残念なことに死者が8名になりました。衷心よりご冥福をお祈り致します。
通信状況も悪く、なかなか電話も通じないので気持ちが落ち着かないのですが、今回の水害によるダブルパンチを受けた被災者は、通信ができないという事態よりも、とにかく地震より酷いという現実に、「どうすればいいの?」という虚脱感が襲い、立ち直る術もないという状況です。
昨日、やっと上大沢(輪島市西保地区)のNさんと連絡が取れたのですが、Nさんは今日歩いて集落までたどり着いたと。「(上大沢の観光の目玉)間垣も流され、住宅も押しつぶされ、集会所はぎりぎり無事だったけれど、林道の応急措置としてあったブロックや黒いトンバックも流され、元の上大沢の風景は、崩れてきた岩や土砂に埋まった状態です」と。「歩いてと言っても、自衛隊か私のように慣れた者しか歩いては行けないです」とのこと。地震後何度も足を運び、足湯も行ってきたので言葉がありません。
さて、当NGOの小牧拠点から。昨日は、2班に別れて、一昨日の輪島の継続ニーズ3件と珠洲に島村、三宅と視察に行きました。昨日の朝七海屋さんでお水を購入、珠洲市の三崎の断水地域と大谷小中学校の避難所に届けました。七海屋さんも「弱り目に祟り目で、地震の次に水害で、言葉が出ない。能登はこんなところじゃなくて、何にもなくても自然豊かで風光明媚ないい所だったのに」とうっすら涙を浮かべながら話してくれました。
三崎町寺家の4つの集落のうちのひとつの断水になった川上本町に飲料水を届けました。
被災者の男性は「地震の次は水害でここの集落も三軒くらいしか残ってないよ。みんな戻ってくるのか。でも、都会には住めないから、やっぱり田舎が住みやすいよ」と。
午後からは大谷地区を訪問しました。避難所となっている大谷小中学校に行きました。当センターともつながりのある日本災害看護学会酒井明子さんが詰めていて、 飲料水や土嚢袋など物資を降ろし 、出入り口の泥かきの作業をしました。そこまでの峠の道は至る所で土砂崩れが起きていて、またいつ土砂崩れが起きるかわからない状況で、緊急車両と住民さんしか通れない道です。訪問した現場では自衛隊の給水車が来るはずだったのに来なくなってしまったので、トイレの水などももっても1日~2日しかかと話していました。
輪島でも学生スタッフの南がリーダーとして、3件の家屋の清掃作業をしました。床下の泥だしをできる家屋もあれば、家屋の中に入るのもままならないくらいの泥が押し寄せその周りの泥出しからしている家屋もあります。店舗の次に自宅、資材置き場と自営業の人は何か所も掃除をしなければなりません。 背丈ほど水が入ってしまったところもあり、片付け作業に人手がいります。
そんな中、突然当センターが拠点を置く小牧に、地元の宮本水産の奥さんが輪島の親戚を訪れ、「そっちは大丈夫だったから一緒に手伝わせて!」と一緒に作業をしました。こちらでいう お互いに助け合う古くからの知恵「えー」(結) ですね。こんな時だからこそ諦めません!
地震でやっとこれからの暮らしにいて考えようと思った矢先のこの水害に、被災された方の気持ちを考えるとほんとに言葉もでません。
マンパワーが圧倒的に足りませんが、地震直後から一緒に活動している佐賀の(一社)おもやいや(一社)はちはち、資機材を懸命に集めてくれている地元の「チームこのへん」、やさしや足湯隊、岩手県の不動院からタオル、新宗連、四番隊、個人・学生のボランティアのみなさんなど、いまできる範囲で対応しています。ご支援をよろしくお願いします。
(増島智子、被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
コメントを残す