令和6年(2024年) 能登半島地震救援ニュース No.3

今回の地震は非常に被害が深刻で、時間を追うごとに犠牲者の数も増え最新の情報では57名となっています。いまだ倒壊家屋に取り残された人たちがいます。早く救出されることを願うばかりです。
 そんな中、昨日神戸を出発した先遣隊の2名は、無事に七尾市中島町の小牧の被災地に到着しました。

以下、現地からの報告です。

 1月2日、神戸を午後1時に出て能登半島の中島町小牧に着いたのは21時過ぎだった。途中、かほく市の娘さんのところに避難していたKさんと合流し、小牧まで案内していただいた。
途中、反対車線には何度か救急車にすれ違う。金沢の病院に負傷者を搬送しているのだろう。
 七尾市に入ったあたりから少しずつ被害が見え始める。壁が剥がれ落ちた家屋、あちこちに亀裂の入った道路。中でも小さな橋と道路のつなぎ目が陥没して慎重に車を走らせなければならない。能登半島を北上する僕らのような車は少なく、南下してくる対向車が連なる。被害の甚大な奥能登から金沢方面へと多くの人達が避難している。
 中島町小牧は、人口約180人(77世帯)の集落だが、電気、水、ガス、通信などのライフラインがすべて止まっていて外界から孤立しているような状態から、多くの人達が近隣の親戚の家に身を寄せている。集落内に残った方は、公民館や車中泊で不安な夜を過ごしている。
 公民館である中島地区コミュニティセンター西岸分館には、約50人の方が寝泊まりしている。大半が高齢者だが、中には2ヶ月の乳児を抱えた家族もいるという。集落の建設業の方が発電機を提供してもらい、かろうじてセンターの電気だけは確保している。
 神戸から食料・水、ガソリン、灯油、ポータブル電源、オムツ、生理用品などを届けた。
 この避難所のお世話をしている女性は、涙ながらに「遠くからこんなに沢山ありがとうございます。」と喜んでくれた。この女性にお話しを聞くと、「指定避難所にも関わらず、何も物資が来ない。二日目の夜にしてやっと、さっき市職員が来て、冷凍の弁当を置いていった。電気を節約して使っているのに、電子レンジで50人分の弁当を温めろというの?」と首をかしげていた。昨日は、集落内の人で安全に家に入れる人たちが食べ物を持ち寄って、食べたという。
最後にKさんは、被害を受けた自宅の再建を思いながら、「生き残った地獄をどうするか」とつぶやいていた。(吉椿)

*私たちの活動は、日本財団「災害発生前後の初動期に関する支援活動」助成のご協力を頂き活動しています。

■活動支援金のご協力をお願い致します。
・クレジットカードでも寄付ができます。
 https://congrant.com/project/ngokobe/605
・郵便振替
口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター
・銀行振込
ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556
 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。


Comments

“令和6年(2024年) 能登半島地震救援ニュース No.3” への1件のコメント

  1. 日比野恵子のアバター
    日比野恵子

    まだまだ揺れていますね。心配です。
    何ができるか、考えていますが…。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です