「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.68

「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.68

輪島の仮設住宅での孤独死に思う。

 今年の元日に発生した能登半島地震から、「やっと半年が過ぎたか‥‥」と一つの節目を迎えようとした矢先の5月27日、輪島市の仮設住宅で独り暮らしの70代女性が「孤独死(孤立死)」された。29年前の阪神・淡路大震災では、5年間の仮設住宅暮らしで255人の孤独死を数えた。255人という数字を話題にしたいのではない。この輪島市の仮設での孤独死が、仮設住宅では初めてだったということに、自省を込めて悔しさがこみあげてくる。残念ながら、あれから5ヶ月が過ぎ、マスコミでのこの地震に関する記事が極端に減少してきた今、よりこの亡くなられた女性のことが気になる。たった一人かも知れないが、かけがえのない“いのち”が、明らかに地震の影響といえる関連死として亡くなったことが問題なのだ。

 さて、去る5月21日に神戸で開業医を営んでいた梁勝則(リャン・スン・チ)さんが逝去された。5月16日に自宅で倒れ、家人が発見したが‥‥。

梁先生は、29年前の阪神・淡路大震災で、直後の「緊急長田ケアセンター」での緊急医療支援をサポートし、その後の避難所での主に高齢者の医療支援に携わり、そして仮設住宅での支援へと継続しつつ、被災者支援に尽力された医師の一人だ。阪神・淡路大震災後に孤独死が相次ぎ、私たち支援者は、毎朝新聞を開くのが怖かったほど孤独死が続いた。私たちはじめ仮設住宅の被災者に対する寄り添い支援をしていた者は、仮設住宅での孤独死を防ぐために、徹底したローラー作戦のように、見守り活動をした。しかし、残念ながらいつも孤独死がでたあとで、死者を見ているだけに過ぎなかった。そのことに「ボランティア、見つけられず!」と指摘を受けたこともある。そんな時に梁先生が「孤独死が問題なのではなく、孤独な生が存在していることが問題なのだ!」と指摘された。私たちは“目から鱗”状態になった。

以後、仮設住宅で孤立しないように、バザーを展開したり、訪問を繰り返したり、買い物手伝いや話し相手、」寺子屋勉強会・・・とできることは何でもしてきた。空前の1日2万人というボランティアが活動していても、孤独死はじめ梁先生が指摘された“防げた死”を無くすことができなかった。

石川県知事は今回の孤独死を受けて、「見守り体制を強化する」とコメントしていた。何故、行政は過去に学ばないのか?こんなにも簡単に一人のかけがえのない“いのち”を奪っていいのだろうか?29年の事象をもとに、いつも災害時には「見守り強化」「覚えきれないほどの支援員制度の設置」「暮らしに仮はないと仮設でのケアハウス実施」などなど、これでもか、これでもかと手を打ってきた。同じ石川県内の珠洲市は昨年5月にも地震に遭ったことから、今回も見事な見守り体制で巡回訪問を重ねている。それは、「絶対に孤独死はださない!」という固い決意があるからだ。

このような事例があるにも拘わらず、石川県は過去の事例や現在の活動の何を学んでいるのか?憤りを超えて、この原稿を打ちながら涙が止まらない。今頃、「見守り体制の強化」なんてマニュアル通りのコメントに過ぎないではないか。今回のことは、法的には明らかに「行政の不作為」だと断言できる。

石川県に声を大にして言いたい。二人目の犠牲者を出さないためには、有無を言わず大量のボランティアを被災地で受け入れることだ!そうしてボランティアがとりあえずの寄り添い活動を展開していると同時に、専門家はもっと効果的な提案をし、職能集団としての役割も以てボランティアをサポートして欲しい。29年前が原点とは言わないけれど、梁先生に胸を張って、「安心して天国に…」と伝えたい。

被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清


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