「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.103

「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.103 水害編―11

 能登半島支援 緊急支援のお願い!!

水害後1週間を過ぎた9月末に、これまで何度も紹介してきた「輪島市西保地区上大沢」に行ってきた。水害後、この上大沢に住んでいてNさんに電話したところ、「いつもありがとう!心配かけて…。でも今回の大雨で陥没、倒木、土砂と上大沢までの道路を塞いでおり、もう、当分上大沢には帰れないなぁ・・・」と。「今年やっとの思いで収穫した米も40~50袋は水浸し、30袋は大丈夫だけれど取り出せない。停電でもあるし、乾燥機も水に浸かり使えない。集会所も川沿いにあるので、護岸がえぐられて、もう一度大雨が降れば流されるだろう」

Nさんは、元日の地震後も早くに上大沢に出入りし、初めてお会いした4月末には、「とにかく米を守らなければ、来年に影響する。とにかく稲の苗を腐らないように管理しなければならないんだ。」と。真夏の暑いときも、Nさんのシンボルの“つなぎ”を着て、田んぼ作業に精をだしていた。いつも笑顔で迎えてくれたNさんだが、今回はかなりのショックを受けたようだ。

Nさんから水害後の上大沢のことを聞いた後、区長が住む輪島市内の仮設住宅に住むY区長宅を訪ねた。このレポートでも紹介したが、100歳のおとうさんもおられた。同区長は、「もう住めないだろうなぁ・・・」とポツリと一言つぶやかれた。いつものように言葉少ない区長さんだが、やはり相当なショックを受けただろう。

「実は、私も昨日、上大沢まで行って来たんだ!片道1時間ほどかかったけれど…倒木が大変だった。」と。「えっ、1時間。往復2時間か…」これなら行けるなぁと行くことを決意した。

しかし、道路の崩落、山々からの流木、水田に土砂が入り、上大沢の入り口の商店と住家、集会所の損傷は想像以上だった。往復2時間どころか、10ヶ所ほどの倒木を乗り越え、泥の中に長靴ともすぶりとはまり、途中河原を歩き、現地での滞在も含めて6時間もかかった。上大沢の有名な間垣は一部流されたものの、間垣の中の敷地に入ると住家は地震後のそのままで、水の被害はなかった。不幸中の幸いというか、「ホッ!」としたが、いつになれば帰ることができるのかを考えると、暗澹たる気持ちなる。(詳細は次号に) (被災地NGO恊働センター村井雅清・顧問)

*現地に入られた記者が詳細の記事を発表されたので参考にしてください。

https://mainichi.jp/articles/20241003/k00/00m/040/233000c

*私たちの活動は、日本財団「災害発生前後の初動期に関する支援活動」助成を頂き活動しています。

*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。

https://www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html

*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。

引き続き現地からの情報を発信していきます。

ブログはこちら→http://ngo-kyodo.org/2024noto/

■活動支援金のご協力をお願い致します。

・クレジットカードでも寄付ができます。  https://congrant.com/project/ngokobe/605

・ヤフー募金でもご寄付いただけます。  https://donation.yahoo.co.jp/detail/5240008

・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター

・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556  名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター

*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。

-- 

Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です