熊本地震救援ニュース第97報

熊本地震から4月で5年を迎えました。
駆け足で西原村に行ってきたときのレポートです。

熊本地震から4月で5年の月日が経ちました。駆け足で西原村の被災地にお邪魔しました。震災当時から関わりのある大切畑地区の擁壁や拡幅工事が終了し、4月18日の竣工式に招かれ参加してきました。

 阿蘇の山並みは新緑が眩しいくらいの季節で、唐芋(さつまいも)農家のみなさんが苗の植え付けで忙しい頃でした。思えば、あの5年前の地震後も農家のみなさんは唐芋の苗を植えないと1年間の収入の途絶えるということで、ボランティアが西原村農業復興ボランティアセンターを発足させ、村社協と連携しながら農家のみなさんのお手伝いをしました。

 5年前、4月14日前震と言われる震度7の地震が発生しました。その2日後の夕方、ボランティアと神戸を出発しフェリーに乗り込みました。その日夜中に本震と言われる震度7の地震が再び熊本を襲ったのです。その間も震度6強などの地震が何度も発生し、被害が拡大しました。また、梅雨時期の大雨により緩んだ土地に雨が流れ込み、田畑や擁壁などに洪水のように流れ込み、復旧作業を阻みました。

 当センターでは、西原村を中心に支援活動を開始しました。避難所での足湯活動、災害ボランティアセンターの設置、暮らし再建に向けた相談会の設置、西原村rebornネットワークのサポートなどを行いました。
 震災当初、突如平穏な生活が奪われ、それぞれたくさんの不安や悩みが生じます。足湯をしていると、たくさんのつぶやきが聞こえてきます。「前も足湯をしてもらったよ。身体がぽかぽかしてよく休めた。」、「今は唐芋の季節だから畑にも行きたい」、「避難所に来てから便秘になった」、「家は半壊だけど、とても住める状況ではない。」、「これからどうなっていくのだろう」とたくさんの心の声が聞こえます。ただただ聞くしかないのですが、私たちのわかる範囲で、情報を提供したり、ボランティア、専門家などにつないだりしていました。

 5年経った被災地は、道路の拡幅や擁壁の工事が終わり、再建した家が立ち並び、木の香りが漂う真新しい公民館も完成し、「あれ?以前はどうなっていたかな?」と思わせるほどでした。現在12世帯が集落に戻ってきていて、住んでいる場所は違っていても集落に通っている人もいるそうです。コロナ禍により、活動が制限され、少し物静かでしたが、それぞれの理由で、集落に戻った人も別の場所で暮らす人も大切畑の集落の一員として今後の集落再生に気持ちを新たにしていました。

 集落に一番最初に灯りを灯したSakata Sweetから素敵なプレゼントを頂きました。そこには「感謝」の一言が。
 ある方から、「あの地震の時に話を聞いてもらって、ほんと、とても助かったのよ」という言葉を頂きました。地震で大変な目に遭った被災者の人を前に話を聞くだけで、思うようにいかずに歯がゆい事ばかりですが、何よりうれしい言葉でした。被災地に行くたびに、元気と勇気を頂き、こちらこそ、心から“感謝”致します。これからもどうぞお付き合いください。
(増島 智子)

熊本地震救援ニュース 第96報

 熊本地震では、関連死が直接死の4倍越えで、仮設住宅での孤独死はこの3年間で28人になってしまいました。熊本日日新聞(2019/04/16)では「内訳は、自治体が借り上げて提供するみなし仮設住宅が最多の22人、建設型仮設が4人、市営住宅などが2人となっている」と伝えています。圧倒的にみなし仮設が多いという状況です。このことは、住み慣れたところを離れ、人の繋がりもなく、ボランティアも関りにくいということから孤立していることが伺えます。

仮設住宅の様子

 仮設にお住いの被災者の方を訪ねると、お母さんが地震後体調を崩されたそうです。デイサービスや病院に通う毎日で、送迎をするお父さんもどことなく疲れている様子です。そして、仮設の集約に伴う引っ越しもあり「大変だ。仮設で荷物もないと言っても、なんだかんだあるからね~。ぼちぼちやらなしようがない。誰か手伝ってくれればありがたいけどね」と。。。引っ越しは、梱包して、荷をといて、とても大変な作業です。特にお年寄りにとっては、負担が大きいです。

 そして、新たに建築する家の土地を見に連れていってくれました。そこはもともと畑だったようで草が生い茂り、まだ整地さえ始まっていませんでした。それでもうれしそうに「ここに家が建つんだよ。たぶん来年くらいには建てられるかな」と話してくれました。

 また、別の家族を訪ねると、「家族が多いから引っ越しも大変、仮設は収納もないしね。」とうなだれていました。「擁壁もできないから、家も建てられない。いつまでかかるかわからないんだよね。実は家を建てたのが、昭和48年の4月16日で、地震で家が壊れたのが平成28年の4月16日で同じ日なのよ。これってどう思う??」と打ち明けてくれました。同じ日に家を新築して、同じ日に家が倒壊したなんて酷いことを神様はしたのでしょうか・・・。ぶつけどころのない怒りがこみあげてきます。

 仮設では、高校生のボランティアと一緒に花植えをしている住民さんがいました。地震後、家の解体に伴い、家財を搬出した方でした。お元気そうで何よりです。毎日花壇の水やりをしているそうで、新たなお花もせっせと植えていました。ちょっとした交流が被災者を元気にしてくれます。

(増島智子)

熊本地震第救援ニュース第95報

熊本地震から3年が経ちました。昔は「災害は忘れた頃にやってくる」といいますが、昨年のように災害が相次ぐと、熊本のことも忘れられ、話題が少なくなっています。しかし、現実はいまだ仮設住宅などの避難生活を余儀なくされ、擁壁などの工事が始まりつつある一方で、手付かずの状態のままのところもあります。以下に、あれからの3年の被災
地をレポートします。


被災地では、現在、建設型仮設とみなし仮設住宅などの避難生活をしている人は、1万6519人います。長期化する避難生活の中で、西原村では今年の夏には仮設の集約が始まります。仮設の空き家が目立ってきていますが、コミュニティがバラバラになったり、引っ越しへの不安も隠せません。阪神・淡路大震災でも経験していますが、もう一度コミュニティを作るのは一苦労なのです。このように仮設の引っ越しは想像以上に負担が大きく、これまでの被災地で体調を崩した人を何度も見てきました。被災地でいつも繰り返されるこの光景に何とかならないものかと頭を抱え込みたくります。

久しぶりに訪ねたお宅では、家族総出で唐芋(さつまいも)の選別や植えつけのための苗の切り取る作業をしていました。いよいよ植えつけの準備です。思い起こせば、3年前の4月に地震が発生し、その片付けに追われる最中に、唐芋の植えつけの時期にぶつかりました。家の片付けももちろんしなくてはならないのですが、唐芋農家にとっては、この時期に苗を植えないと一年間の収入が途絶えてしまい、暮らしの再建にはいもの苗を植えることが欠かせない大切なことでした。そこで、西原村では西原村農業復興ボランティアセンター(西原村百笑応援団)が立ち上がり、農業に特化したボランティア活動が行われました。また、生きがいとしての農作業を支えることは何より被災者の励みとなりました。(*ボランティアセンターでは、原則農業などの生業支援はしていません。それは農家の利益につながるということでしていないのです。)
中には、今回の地震で農家をあきらめかけようとしていた人もボランティアのお陰で、農業をもう一度やり直そうとした人も少なくありません。

他の被災地では生活再建イコール家の片付けということで、畑や事業主さんの片付けは後回しか、手付かずに追いやられてしまうケースがほとんどですが、西原村ではそのタブーを打ち破り農業支援のボランティアセンターができたことはとても画期的なことでした。これで被災者も生きる糧となる農業をしながら家の再建にも力を注ぐことができるのです。

今年もこうして、唐芋の苗を植えている様子に立ち会えることができてうれしかったです。(増島智子)

熊本地震救援ニュース第94報

熊本地震からまもなく3年が経とうとしています。
当センターでは、西原村rebornネットワークを通じて支援活動を継続しています。なかなかニュースが配信できておらず、申し訳ありません。

2月17日(日)に、第2回西原村復興大座談会が開催されました。当日は、普段あまり聞こえてこない被災者の声を聞く機会として、「子育て世代」「障がい者」「移住者」「小さな集落」の4つのテーマで、様々な当事者の方々にお話を聞いたアンケートの結果について、お話がありました。

子育て世代のテーマからは、今まで出来ていた子どもたちの行事やスポーツなどが出来なくなってしまって、困ったけれど、ボランティアや地域の方の力で解決した、というお話や、一部損壊でもその後の雨漏りで結局、大きな修理が必要になり出費が重なったというお話などがありました。

障がい者のテーマからは、やはり避難所に行くことが出来ない。障害のある子どもたちの居場所がなかなかない、というお話がありました。一方で、家族の中での助け合いが非常に重要だったので、地震をきっかけにより家族間の絆が深まったという話をされる方もいたということでした。

移住者にとっての震災というお話の中では、もともと地域にいた方々との「違い」による「違和感」があるということが出てきました。しかし、その「違和感」は嫌悪感ではないというお話でした。移住者にとっての地域の捉え方と、もともと住んでいた方にとっての地域の捉え方は違う。それは、「おかしなところ」ではなく「違い」であるから、それぞれの違いを認め合っていけると良いよね、というお話がありました。

最後に小さな集落にとっての地震についてです。震災前10世帯であった集落が5世帯にまで減ってしまった。その中で色々なことをやっていくことに対する気力がなくなってきた、というお話が出てきました。一方で、残ったもので守っていかないといかん、というお話もありました。集落の中では、耕す人がいなくなった畑を森に還すための植林の活動なども行われているそうです。

こうして様々なテーマから地震や復興を考えてみると、多様な考え方や見え方があるということがわかってきます。特に声を出しにくい立場にいる方々にとって、地震やその後の生活再建をどのように捉えられているのかということを、私たちが考えていくことが非常に重要なことだと感じました。

こうした場を作ることによって、それぞれの想いを共有でき、そのことが未来へと向かっていくためのステップになるのではないかということを改めて感じました。

引き続き、熊本地震の被災地とじっくりとお付き合いをさせていただきながら、共に復興へと歩んでいきたいと考えています。(頼政良太)

熊本地震から2年、地域の復興は?

熊本地震救援ニュース第93報

熊本地震から丸2年が経過しました。当センターでは、西原村での支援活動を継続しています。
地震から2年の4月15日に、西原村古閑地区でボランティア感謝祭が行われました。
古閑地区は、地震の被害によって宅地が大きな被害を受けたエリアの一つです。ようやく宅地復旧の目処がたち、工事の着工が始まる直前という状況まで進んできました。とはいえ、宅地復旧に時間がかかるので、住宅の再建はもう少し時間が必要です。
当センターでも災害当初から集落復興のための会合などに参加し、過去の被災地への視察なども一緒に行なってきました。この日は、集落全体の人が集まるということで、まずは消防団の若手メンバーから新潟県での視察について報告があり、次に婦人会から福島県での視察報告、婦人会OGのメンバーから宮城県での視察報告がありました。

視察に参加したそれぞれのメンバーから感想などの報告がありましたが、その中で皆さんが口を揃えておっしゃっていたのが、過去の被災地に行くことで古閑の良さに改めて気づくことができた、ということです。同時にこうして生まれた「被災地のリレー」というものが、本当に意義のあるものだと痛感しました。
古閑地区はもともと約30世帯の小さな集落ですが、集落の中での人のつながりが非常に強く、地震後も助け合いながら生活をしています。また、消防団の若手メンバーが古閑集落での再建を決め、集落を盛り上げようと様々な意見交換をしています。こうした若手メンバーがいるということは、他のところにない古閑の強みの一つであるということに視察を通して多くの人が気づき、世代間の意見交換も徐々に始まっています。
地震以前は、若手と年配の方々は行事ごとで顔をあわせる程度だったそうですが、地震後は頻繁に集落の将来について意見交換をしたり、一緒にお酒を飲んだりという回数が増えたそうです。今回の感謝祭での報告の中でも、若手メンバーも色々と考えていくので、集落の方もそれを見守ってほしいという発表がありました。

また、農作業後に集まることのできるコニュニティスペースがほしいという意見が出てきました。「被災地のリレー」を通じて、集まれる「場」が非常に大切であるという学びがありました。古閑地区では農作業をする方々が多くいらっしゃるのですが、従来は作業後に家に集まってお茶を飲んでいたようです。ところが、地震によって家が壊れてしまい、集まれる場所がない状況になってしまい、現在はそれぞれ農作業を行なっても、その後に集まる機会が減ってしまったとのことでした。そこで、今後はあづま屋など、集まれる場所を作っていきたいという発表もありました。

このように、被災地からの復興に向けて、外部との様々な交流をしながら一歩ずつ着実に歩みが進んでいます。まだ家の再建には時間がかかりますが、当センターは今後もこうした一つひとつの歩みを丁寧にサポートしていきます。

熊本地震救援ニュース第92報

被災地NGO恊働センターです。当センターでは、熊本地震の被災地、西原村を支援しています。
現在、関わりを持たせていただいている古閑集落の若手メンバーが12月に新潟県中越地方へ視察に行くお手伝いをさせていただきました。

中越地震の被災地である山古志村の方々と西原村の方々とは、震災以降、中越からメッセージをいただいたり、熊本地震1年の際に山古志から来熊されるなど、交流が進んでいました。今回は、そういったご縁から集落の若手メンバーが中越地震後の取り組みについて学ぶ機会として訪問をされました。
古閑地区中越訪問_180227_0013

古閑集落では、集落内の再生計画(工事)のある程度の青写真が出来てきており、着工を待っている状態になっています。今までは、集落の再生についての議論を交わしていたのですが、それが落ち着いて来た今は踊り場的な状態になっていて、集落の中でどのような活動をしていけば良いのか、何ができるのかということがわかりづらくなっています。若手メンバーは、その中で集落をどのように活性化していくのか、という活動のヒントを探ろうとされています。
古閑地区中越訪問_180227_0008

視察は、木沢集落や川口町、塩谷集落などを見て回り、住民の方々にお話を聞かれました。
参加者からは、「新潟は70歳、80歳がいても諦めずに頑張っていることに感動した。上の人も意見を変えていった。10年たってもボランティアが来てると感じて、そういう雰囲気、受け入れ作りをしていきたいと思った」というような感想が出てきていました。
古閑地区中越訪問_180227_0010

今後は、将来を見据え、集落内の若手や女性陣を中心にした集まりなどを開いていきたいなどの意見も出てきているそうです。外部の人をどのように受け入れていくかということも話題となっていました。

今後もこうした集落内の支え合いや再生に向けた動きをサポートしていきたいと考えています。

熊本地震の支援活動についてのHPを作成しています。
http://ngo-kyodo.org/kumamotojishin2016

寄付の受付はこちらから
http://ngo-kyodo.org/donationandmembership

★JAPANGIVING掲載中(クレジットからの寄付ができます)
 https://japangiving.jp/supports/33713
★マンスリーサポーターの仕組みができました!
 http://ngo-kyodo.org/donationandmembership

熊本地震救援ニュース第91報【西原村ドキュメンタリー映画作成支援のお願い】

被災地NGO恊働センターです。
当センターでは、「西原村rebornネットワーク」を通じて、熊本地震の被災地である西原村で支援を継続しています。今回は、その西原村からのお願いです。

今回、西原村の地震直後からこれまでの復興の道のりを、ドキュメンタリー映画として作成するというプロジェクトが進んでいます。
村の住民と役場職員の奮闘を中心にし、後世へと語り継いでいくための映画となります。
映画完成後は、上映会を開催、その後は村へ映画を譲渡されるとのことです。
村役場も全面協力をしていくとのことでした。

みなさま、ぜひご協力をお願いします。

◆プロジェクトの内容や応援方法の詳細は下記のURLからお願いします。
https://camp-fire.jp/projects/view/64810

みなさまのご協力、どうぞよろしくお願いします。

熊本地震救援ニュース 第90報

西原村rebornネットワーク

熊本地震の被災者支援を続けています。西原村では、「西原村rebornネットワーク」が本格的に立ち上がり、活動を展開しています。当センターでは、このネットワークのサポートをしています。今年度1年間を通じて当センターの活動をハンドオーバーしていきたいと考えています。

西原村rebornネットワークは、縮小する災害ボランティアセンターの機能をどのように維持するのかを考えて、当初は「西原村rebornプロジェクト」という名前で発足しました。災害ボランティアセンターを中心として、支援に関わっている村内外のボランティア団体やNPO/NGOをゆるやかにつなぐ場として機能を持たせようという趣旨でした。
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これまで西原村災害ボランティアセンターの運営は、社会福祉協議会が担ってきましたが、どうしても時間が経つと規模を縮小せざるを得ません。がれき撤去などのいわゆるガテン系の活動は徐々に減っていきますが、一方で被災者一人ひとりの困りごとは多様化していきます。例えば、「住宅をどこで再建するか決めかねている」「仮設住宅は狭くてものが置けない」「畑仕事をしたいけど、足がないから仮設住宅から通えない」「みなし仮設に住んでいるんだけど、子どもの送り迎えの間の居場所が村の中にない」など。こうした多様化する個別の困りごとに対応するために、西原村rebornプロジェクトは各種団体と共に情報共有、課題の抽出などの連携を図る場としての機能を果たしてきました。

これから益々、被災地内の課題が多様化していく中で、今年の3月末から事務局をしっかりと持った団体として、そして多くの団体と共に運営・活動していくという意味も込めて「西原村rebornネットワーク」として本格的に立ち上がりました。

現在の活動の柱は、1.集落再生支援、2.村内外の情報共有と発信、3.住民が主役になるイベントづくり、の大きな3つです。当センタースタッフもこの西原村rebornネットワークの事務局をサポートしています。一人ひとりの声に耳を傾けるということを大切にしながら、多様なネットワークで被災者を支えていくことを目指して活動を展開しています。
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まだまだ立ち上がったばかりで、活動は少しずつしかできていませんが、それでも一歩ずつ復興への道のりを歩いているという実感があります。こうした地元の団体が根付いていくことが復興への道のりの中では大きな意味があると感じています。
今後ともご協力をよろしくお願いします。

西原村rebornネットワーク
https://rebornnet.wixsite.com/reborn-network

◎引き続きご支援をよろしくお願い致します。
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熊本地震救援ニュース 第89報

4月に入り猛烈な暴風に見舞われている、西原村。

地震後から時折聞かせてもらっていた、阿蘇の外輪山の一つ、俵山から吹き下ろされる季節風「マツボリ風(かぜ)」である。

あまりの強風なので、地域を回ってみると、全壊して取り壊された後に建てられた運動会に使われるようなテントを物置小屋代わりに使われているお宅が多数あるが、幾つかがすでに吹き飛ばされ、あるいは風圧によって骨組みが折れてしまっているテントも幾つかあった。

西原村の風当(かざて)地区。「この風が一番当たるから、風当なんだよ」と地区の方。

他の地区に比べて、確かに特に風がひどく感じる。

「周りに地震で家もなくなって、木も少なくなったからか、今年は特に風がひどく感じる」

「とにかくこの風がおさまらないと、どうしようもない。地震の後はなんだかいろんなことが起きる気がする。」

 

これからの作付けのために畑に張られたマルチが風で飛ばされたり、屋根のブルーシートがめくれ上がっていたり。ゴーゴーとうねる風の音、揺らされる電柱や信号機、これ以上何も起こらないことを願うばかりである。

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▲テントが飛ばされて修理も大変

そんな中、夜、布田地区の公民館において、地震の後の断層の状態がどうなのか、特に布田地区、小森地区、畑地区、風当地区に隣接する「大峯山」の中の断層の状態、亀裂なども含めて今後の余震などによる影響、また6月に迎える梅雨の時期の影響などについて、熊本大学や防災科学技術研究所の専門家の方々からの実際に実地調査をされての今の現状について、住民の方々への説明や意見交換を行う研修会が布田地区の地域再生委員会の主催で開かれた。

 

今後、昨年のような規模の地震が発生する確率が少ないこと、だが今後の大雨による影響で土砂崩れなどが発生する可能性を孕んでいるところも少なからずあること、特に人家に被害が及ぼされるところはそれほど多くないが、ただいざという時のための備えや避難ということを充分に準備しておくことなどが話された後、住民の方々からの質問など意見交換が熱心に行なわれた。

やはり気になるのは、ご自身の自宅への影響がどうなのか、またこれから住宅再建をしたとして、そこは安全なのか、そのことがやはり気がかりで、そうした具体的な「◯◯地区のここは大丈夫か?」や「安心がないと元の地域に戻ることはできない。もし予測があるのであれば教えて欲しい。今後の地震の可能性と崩落の可能性の有無について教えて欲しい。」という質問などもやりとりされた。

 

地震後に片付けのお手伝いをした、久々に再会したお母さんは、「さっきの話の中には自分の宅地のところの断層がどうかということはなかったけれど、実際はこれからの再建をどうしようか悩んでいる。住宅のすぐ裏にあった牛舎があったところに亀裂が走っていたので、それを見た父が心配をしてなかなか家族の中でも再建先について決まらない。」とこぼした。


再建をこれからどこにするべきなのか、またご自身にとって安全で安心できるところはどこなのか。なんとなくも先行きを考えつつも揺り戻し、また前を見て、という振り子のように揺れる気持ちを誰もがどこかで抱えているのを垣間見た、研修会だった。(鈴木隆太)


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熊本地震救援ニュース 第88報

熊本地震から1
西原村古閑地区の「いま」

2月下旬、西原村の古閑地区で住民の方々が集まっての会合が仮設住宅の集会所で開かれました。
まもなく1年を迎えようとしている被災地・西原村では、仮設住宅での生活もひと段落し、また自宅に戻られた方々もそれぞれの暮らしがあり、またみなし仮設や親類の方を頼っての生活をされている方など、それぞれがそれぞれ今与えられている環境での「くらし」が一定になりつつある中、むしろ「停滞感」を感じている方も少なくないようです。

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そんな中、古閑地区の方とお話する機会がありました。
「今はなんか落ち着いたというか、それぞれがそれぞれになってしまってバラバラ。誰がどうしようと(家の再建など)しているのか全く分からなくなった。」
地域から離れての仮設などでの暮らしをしている方、かろうじて残った家に戻っての暮らしを始めている方、それぞれがそれぞれの環境下にあって、なかなか集まる機会を作ることも難しいとおっしゃいます。

だからこそ、今一度集まってそれぞれがどう考えていらっしゃるのか、そのことを確認しようということで、冒頭の仮設での会議となりました。

今はまだどこをどう修復するのか、また住宅は元の宅地に建てられるのか、あるいはどこか別の場所に建てることになるのか、まだまだ不確定な部分はありますが、そうした中でもそれぞれのご家庭でどのような再建をされるのか、そしてその集合体としての集落のこれからはどうなっていくのか、この地域におけるそれぞれの「納得」をしながらの合意形成を図っていかなければならない、そうしたことを確認する場となりました。

昨年6月の梅雨。地震による大きな被害を受けた西原村では大雨による二次災害が各地で発生しました。そして3月。またも6月を目前とする時期に差し掛かる中、雨による再び起こるかもしれない被害への警戒が村内ではあちらこちらで声として聞こえてきます。
様々な要因でなかなか前に進めない今、焦燥感と疲労が見え隠れします。中には地域での話し合いが行われないまま、これからどうなるのか先行きが全くつかめない人も。

4月。一軒ずつのヒアリングが始まりました。これから住宅再建をどうしていくのか。それは「これからどの地でどのように生きていくのか」という問いに他ならなく、またそこから聞こえてくる声はまだまだ悩みの真っ只中にある、そうした心象風景が垣間見えます。
「戻りたくても、今のところは雨が降った時に不安だから」
「俺の思うところはあるけれど、それはまた親父とは違う考えだと思う」
「公営住宅に入ろうと思う。元の地域にできるなら、それがいいけれど、それも難しいのではないか」
こうした声を聞きながら、これからの地域についてそれぞれが思いを馳せておられます。

そんな中、こんな言葉も聞かれました。
「一人でも多く、この地に戻ってきてくれたら。」

今まであった地域のつながりの中で生きてきた方々だからこそ、今一度、という気持ちが強くにじみ出る方も決して少なくありません。

1年を目の前にして、あらためて今までを振り返り、これからを見据える。そうした「踊り場」に今、被災地があることを感じます。そしてこれからのここ西原村の復興を目指して、やはり一人ひとりと向き合いながら、なお、地域での合意形成を図る、そんな一助ができればと願ってやみません。(鈴木隆太)

◎引き続きご支援をよろしくお願い致します。
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