自主避難所から、自立避難所へ(金蔵編)―Ⅰ
以下に紹介する輪島市町野町金蔵(かなくら)、という集落の避難所は自主避難所になっている。3月6日、足湯活動の隙間の時間で訪ねてきた。
しかし、いろいろお話を聞いていると、ここは間違いなく「自立避難所」だ!自立とは、約30年前の阪神・淡路大震災で学んだ意味は、「自立は支え合いから」だった。もう一つ加えるならば、「自立とは、孤立させない人権運動だ」(当時朝日新聞論説委員の秦洋一さんの言葉)とも。
今回の能登半島地震では、発災後2か月を過ぎた頃には、どこからか「自立してもらうために、避難所を統廃合し自主避難所は閉鎖の方向に進める」と聞えてくる。ほんとうにそうなると明らかにこれは人権問題と言っても過言ではない。
さて、元旦に発生した能登半島地震は、山間部の多い過疎地域を襲い、山間部では大規模の山津波や土砂災害が発生し、沿岸部では一部では4メートル以上の隆起があり、漁業には甚大な被害をもたらした。一時は孤立した集落が24ヶ所3345人(1月8日時点)もあり、その多くは金沢市はじめ周辺の自治体に設置された2次避難所に移動した(させられたと思った被災者は少なくない)。
本レポートで紹介する金蔵集落からも100余名の人口のうち70名が2次避難所に避難された。この地震後に残っているのはわずか26名という。2ヶ月が過ぎて、未だ断水が続くも、井戸水でしのいでいる。他の山間部の集落では山が蓄えている自然の恵みを引いて賄っているところも少なくない。このまま減少が続くのかと思いきや、真逆の現象が起きている。2ヶ月後に20名までに減少していたのに、やがて1人戻り、2人戻りして26名(3月6日時点)になった。区長さん曰く、みんなが口を揃えて「金蔵に帰りたい」と言うそうだ。何故なのか?
それは自然の豊かさ、人々の優しさ…などがそこに暮らす人にしかわからないものがあるとしかいいようがない。「ここの米は、金蔵米(きんぞうまい)といい、最高に美味しい」と区長さんは嬉しそうに言う。
2次避難所には、90歳の男性がおられ、その彼が金蔵に戻ってこれるために、今残っている住民で介護体制を敷くために、日々会議をしている。一方、毎朝8時に顔を会わせ、誰がいるかを確認する。施設に入ったりさる方もおられるようなので、70人全員が戻ってくることは難しいかも知れないが、目標はそれに近い。<続く>
―水津樹紀、楊颸羽(ヨウ シウ)、山村太一、村井雅清―
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