令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.49

 —自主避難所から、自立避難所へⅥー(珠洲市大谷町編)

 前号で紹介した日置ハウスがある折戸町から、車でさらに外浦を輪島の方面に20分ほど走ったところに大谷町がある。輪島方面といったが、残念ながら輪島には辿り着きません。海岸線の途中が何か所も山崩れがあり、通行止めの箇所がまだまだ整備されていないからだ。

 ただ、発災後3か月が過ぎた今は、完全孤立という訳ではなく輪島市門前町や珠洲市内から山越えでは行くことができるようだ。

 大谷町から、さらに外浦の海岸を西へ走ると、珠洲市で500年以上続いている「揚げ浜式製塩法」という方式で天然塩を生産しているところが数件並んでいる。昨年開催された“奥能登国際芸術祭”で車窓ではあるが、数か所の製塩所を観たことを思いだす。NHK連続テレビ小説『まれ』で、世界的ダンサー田中泯さんが演じた伝統的な塩づくりの現場もこのあたりで、田中泯さんは、角花豊さんの指導を受けたとのこと。

 さて、大谷町には大谷小・中避難所がある。この大谷町も発災直後は孤立集落の一つとして報じられ、直後には231名が避難した。大谷小・中避難所には、ピーク時は400人の避難者がいたが、私たち「やさしや足湯隊」第6次派遣チームが訪問した時は40人まで減っていて、しかも日中は4~5人になり、夜のなると寝るために帰ってくる。この現象は、どこの避難所も同じで、避難所から仕事に出かけている人や家の方づけに帰る人、放置していた畑の世話に行っている人などが少なくないのだろう。この集会所は電気も通り、水は自衛隊が設置している1回4トンの水が入った給水車を活用している。また、救援物資が不足して困っている風でもなく、少しばかりの物資を手渡すと喜んでくれた。やはり4月からは学校も再開するのだが、着任する教員の住まいの確保も大変なようだ。すぐ近くにあればいいのだが、なかなか難しいようだ。

 ところで、考えなければならないのは避難所から昼間に家の片付けに帰っているという現実だ。仮設住宅にも入れず、なんとか片付けして元の家で暮らそうという選択だろうが、その家が応急危険度判定で赤紙の場合もあるだろう。赤紙の内容にもよるが、そのような家に戻るという選択肢を、簡単に「どうぞ!」といっていいものか?行政は、きちんと調査をし「耐震診断をして、大丈夫!」と診断結果を伝えるべきではないか?「赤紙が貼っているのに、勝手に住んだ!」では済まされないのだ。少なくとも赤紙を貼っている以上は、すべての家庭に仮設住宅(みなし仮設も含む)を供与すべきだと思う。行政にとっては「そんなことをしたら、仮設住宅が足りない」というのだろうが、本レポートでも伝えたように、本来災害後の仮設住宅の設置に関しては、もとのコミュニティ―を壊さずに、全戸が同じ仮設に入るように備えておくべきなのだ。日本は災害先進国であるだけに、防災先進国といわれるような備えを平時からしておくべきだということが、今回の能登半島地震からの教訓ではないか‥‥。

(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)

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