令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.56

—自主避難所から、自立避難所へⅪ―(輪島市西保地区小池編)ー

 そもそも小池に行くことになった理由は、前号で紹介したNさんが「地震後、弟にも妹にも会っていない」と言われたので、最初は二人の写真を撮って、Nさんに見せてあげようと思ったことからだ。輪島市内の仮設に住んでいるというので、簡単なことだと思ったのだが、前号で言ったようにこの日は仮設ではなく、小池に帰っているということだった。

 この日朝一で上大沢町まで行ったので、同じような道路事情だろうと覚悟はした。同行していた相棒が運転してくれ、上大沢・西二又と同じように249号線から入って行くのだが、入り口は違う。ただ、山越えで行くしかないのは同じだ。正直、上大沢町に行く林道よりは、さらに厳しい道だと感じた。雨でも降ると、「ズルッ!」と滑り、崖下に落下だなぁと思った。その上対向車が来たら交わすところもない。(但し軽四なら可能)至る所に土砂崩れを応急処置したような林道を、注意しながらゆっくりと走る。途中に「林道大沢線」(上大沢の1本東の林道)という案内板があり、左に行けば大沢町だ。そこを右にとって、「水芭蕉群生地」を右に見て、三蛇山の西側を回り、どんどん海に向かって進んで行くと小池に行く。(途中「下山」との分かれ道がある。)

 249号線から30~40分で、ようやく小池のHさん(Nさんの)弟さんの家にたどり着いた。Nさんの妹Yさんもいた。Hさん曰く、「地震までは輪島から海岸線でこの集落と行き来するのが生活道路で、この山越えの道なんて初めて走った」と。確かにこの林道を生活道路にするには、かなり厳しく、また危険を伴うことだ。これからの梅雨時期は特に心配だ。しかし、それでも一時的に帰るにはこの林道しかない。Hさんのように、こちらで畑を持っており、野菜などの世話をしなければならないという事情だと、当分ここが生活道路となる。但し小池はまだ電気も、水も通っていない。

 「何故、ここはこんなに遅いのか、町を優先するのは分からないわけではないが、遅すぎる」「電話やスマホは使えなかったために完全に孤立した。」「新聞社やテレビは、ここには来たことがない。(実際には中日新聞の記者が小池に入っていた。)「やはり大きな集落ばかりに陽があたる。直後は自衛隊がリレー形式でみなさん、リュツクを背負って、ここまで物資を運んでくれたけど、今は何もない。」「地震直後、外部との連絡が取れないので、一度「行方不明者」と公表された時期があった。」と愚痴が止まらない。でもこの話になったときは苦笑いをしながらも、大変ショックだったようだ。きっと「見捨てられた!」という思いが、込み上げて来たのだろう。このように、愚痴を並べていたが、私たちが訪問したので、一気に吐き出すようになったのかも‥‥。こうして受け止めるのも私たちの役割かも知れないなぁと思った。ちなみにHさん宅では、黒い大きな犬を飼っている。この犬が実に大人しい。一度も吠えなかった。

               (被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)

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