令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.6

1月2日午後9時30分頃に、吉椿雅道(CODE海外災害援助市民センター事務局長)と二人で当NGO第一次先遣隊として七尾市中島町小牧の避難所(77名が避難)に入り、ワゴン車に満載した食糧・水・灯油・ガソリン+携行缶・カセットコンロ+ボンベ・発電機3台+タップ・段ボールトイレ+トイレットペーパー・生理用品はじめ衛生用品などを届けて来ました。

 空っぽになったワゴン車で、二人は寝袋で一夜を過ごし雨音で目を覚ましました。ちょうどすぐ食べられる食料が切れていたところでの3万円分のパン(兵庫県防災士会からの寄贈)は、早速朝食として出され大変喜んで下さいました。

 当たり前かも知れませんが、避難者には圧倒的に高齢者が多いのですが、決して”上げ膳据え膳”にせず、各々ご自分で食料配布の場所まで取りに来て貰う方法をとっています。こういう災害時の避難者では一日中動かないという方々が少なくないので、いわゆる生活不活発病を予防する配慮の一つでしょう。また、これも当たり前かも…ですが、水が止まっているので、一番困るトイレ対策でも細々と工夫をされていました。幸いというのか、2日は終日雨だったので、雨水をためトイレに使い、慣れない段ボールトイレは即座に使い方講習をしていました。  

 もっとも関心させられたのは、車イス生活の高齢者のトイレ使用の時に、当然介護者(小牧の住民)が付いていますが、使用後の車イスのタイヤを消毒液で丁寧に拭き、部屋にお連れしていたことです。トイレの管理が不十分な場合、ノロウイルス発生などでトイレから部屋に菌が移動し、食中毒を起こすという結果にならない配慮も完璧でした。先に触れた生活不活発病の予防のための簡単な体操ハウツーを書いたチラシをサポートされていたスタッフに渡したら、「わ〜嬉しい!これを待っていたの!」とこちらが凄くびっくりするほどの喜びようでした。私たちが帰る直前に判明したのは、この方は看護士だったのです。生まれたばかりの乳児を抱えた家族(一家族だけ)は一つ別の部屋を提供するという配慮もされていました。

 圧巻だったのは、この小牧の中は他の被災地同様道路が陥没・地割れ・隆起と、いわゆる”ボコボコ”で幹線道路であるにもかかわらず交通整理も自分たちで。もちろん地域内の道路の応急処置も自分たちで。大型発電機の設置も自分たちで、という本来”官”がやる作業を率先して自主的に対応されていることでした。最近よく耳に、目にする”市民自治”の実践がここで見事に実現しているではないかと、私には最大の学びとなりました。この小牧では「結しあおう=え〜しあう」ということばがあるそうです。おたがいが助け合おうという意味です。なるほど…と最大のおみやげを貰ったようです。

 5日から第二次派遣が出発します。今回の2024年能登半島地震は、広域で、甚大な被害となりました。復旧はもちろん復興までにはかなり長期の支援体制が不可欠です。これからも長きにわたるご支援をよろしくお願いします。

(被災地NGO恊働センター顧問、CODE海外災害援助市民センター理事 村井雅清)

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