奥能登地震2023・5被災者支援活動レポート-16

前号で、O邸の能登瓦製造販売を通じてO家の歴史の一端を聴かせて頂きました。土蔵が全壊で、扉が壊れブルーシートで覆われていたのですが、この度は扉が開けられ、じっくりと土蔵の中も拝見させて頂きました。息子さんは、当初3代続いた能登瓦の製造販売業についても、ほとんど経緯を知らず、むしろ関心もないようでした。でも、今回の長谷川さんのいろいろなアドバイスによって、やはり土蔵が気になられたのかコツコツと土蔵の中の“宝物”の整理を始めていました。最終的には、“蔵ざらえ”というほど徹底して整理をできるのかは分かりませんが、文化財の存在を考慮すると長谷川さんは珠洲市の文化財担当の職員にも逐一報告をされています。文化財価値が認められると助成金も出る可能性があり、土蔵の修復も可能になるかも…と期待が膨らみます。そもそも土蔵は、現O邸の隣の空き地にあったのを、先々代の音吉さんが現在の場所に移築したそうです。そのことを聞いた長谷川さんは、「この土蔵はもしかすると江戸時代からあった米蔵を活用されたのかも…?」と言われました。それを聞いた私は、「なるほど江戸時代説はありかなぁ…?」と思いました。というのは、O邸の玄関を入った入口の“潜り戸”や土間の雰囲気を見たときに、2007年の能登半島地震で被災家屋を見た時のことを思い出したのです。そのお家の玄関にあった潜り戸と全く同じであったからです。そのお家は江戸時代から建っている豪邸だったのです。こうした潜り戸は、江戸時代では一般的に使われていたという専門家の話もあるので、ありうる話だと思えます。

能登瓦製造工程図録

このようにホンの一部分かもしれませんが、3代に渡る暮らしの在り様とその以前の江戸時代から建物の原型があったのかもしれないと推測すると、実に多彩な時空間がそこに刻まれたいたとも言えるでしょう。それだけに、まだ確定していないですがこの歴史あるO邸を解体撤去という選択は、なんとしても避けて欲しいと願うのは私だけではないでしょう。   
もちろん、後を継ぐ息子さんたちの事情もあることですか、私のような外部の者がとやかく言うことは、慎まなければならないと理解した上でのことですが‥‥。
災害で被害に遭った住家を再建するということは、ただ建物を再建するだけではなく、そのお家の暮らし、歴史を再建するということでもあることを痛感します。
長谷川さんは私がヒアリングをしている間に、建物の実測調査を丁寧にされていました。解体せずに、修復をという選択を息子さんがされれば、2軒のK邸に続いてこのO邸も、耐震補強の修復モデルの3例目になるのだが‥・・・? (顧問 村井 雅清)


*なお「奥能登地震2023」の活動は、公益社団法人Civic Forceとのパートナー協働事業として実施します。

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 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
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