再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 11月13日
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久しぶりの遠野は紅葉も終わりかけで、冬将軍が到来です。全国的に今週は寒さが厳しいようですが、ここ遠野は初雪です。厳しい遠野の冬がそこまできています。
久しぶりに復興住宅へお住まいの作り手さんのもとを訪ねました。「復興住宅へ入居してから約1年経ったけれど、なんかいまだに慣れない、やはり持ち家とは違うよね。いつかは返さないといけないし、いつまでたっても仮住まいのような気がする・・・。」終の棲家のはずがこのような気持ちになってるいのが現実です。借りているから、部屋には画鋲はダメ、シールもダメ、現状復帰で戻して下さい云々・・・それだけとっても持ち家なら、もっと自由に家の中を改装できるはず。ただたまたま被災に遭って家を流されたら、あれもこれもダメな家に住まうだけでこんな窮屈なことがあっていいのでしょうか。
そのお母さんは、津波で自宅を流され、新居を再建したのですが、なかなか新居になじめず、みなし仮設だったアパートに帰りたいとこぼしていて、「こんなことなら生きていくのが辛いと。。。」。被災地に関わっているものとして一番聞きたくない、言って欲しくない心の叫びがそこにありました。せっかく津波で助かったのに、生きているのが辛いなんて悲しすぎます。きっと、広島や丹波などの水害の被災地などどこにでもあるでしょうが・・・。
たまたま自然災害に遭い、全てを失った被災者の方たちが、どうしてこれほどまでに普通の暮らしを奪われるような理不尽な目にあわないといけないのでしょうか?
日本では憲法25条の生存権により、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならな。」と謳われているにも関わらず、長期にわたり不自由な避難生活を余儀なくされ、最低限度の生活すら保障されず、人権を奪われるこの社会に憤りを感じます。
私たちは被災者ひとり一人に、時間がかかってもそのつぶやきを丁寧に拾い集め、向き合っていくしか真の復興はないと思います。阪神・淡路大震災から20年の節目を目前にあらためてそう感じています。