【東日本大震災】レポートNo.249

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月自給自足
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 17日の河北新報で「都市生活かさむ出費」という見出しで、住み慣れた村から被災者の人が移り住んだ都市部で貧困が深刻化しているという内容が紹介されていました。記事によると、「住み慣れた漁村を離れて直面したのは、『貨幣経済』の冷たい現実だった。『年金収入だけではとても間に合わない。都会の生活は大変ですよ』仙台市内のみなし仮設住宅に暮らす伊藤ふつ子さん(70)が話す。石巻市雄勝町の自宅は東日本大震災の津波で流失。被災後間もなく、子どもを頼って移り住んだ。雄勝では夫婦でホタテの養殖に従事していた。自宅ではトマトやキュウリ、ナスなどを育てていた。近所からウニやホヤをもらえば、お返しにホタテを渡した。日常的に現金購入する食材は肉ぐらいだったが、『今は海産物を含めてスーパーが頼り』。支え合いと自給自足で成り立っていたコミュニティーを離れ、暮らしの再構築を余儀なくされている。」と伝えています。
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 私もこの間岩手に滞在して感じることが多いのですが、ちょっと被災地を回ると食べきれないほどの海の幸を頂きます。山の人は山の幸を、海の人は海の幸を、物々交換で頂き、スーパーに行かなくても食生活のほとんどは成り立ちます。そして、ほとんどの人が小さくても畑をしているので、野菜などは困ることはありません。これって昔あった当たり前の自給自足の生活なんだなぁと思います。それでも困ることはなく、自分たちの作ったもの、自分たちが捕った食べ物こそ何より安心・安全で食べることができるのです。現金収入は、そんなになくてもお金を使うことがないので、生活が豊かに成り立つのです。
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 しかし、いまの政治はどうでしょう??
経済をよくするためにという詭弁を使い、じゃぶじゃぶお金を刷り、市民に借金を負わせ、それでも足りなくて税金を上げ、人々からお金をむしり取っていく。都会の人は住みづらくなっているでしょう。こういった構造で一体誰の経済が豊かになっているのでしょうか?貨幣経済を追い求めた結果、貧困は深刻化し、自然を破壊し、私たちの生活はよくなるどころか悪くなってはいませんか?安倍首相は「景気回復の実感を全国津々浦々にまで届ける。」としてアベノミスクとして様々な施策を行っていますが、被災地を歩いていて、景気回復の実感を持っている人は、私の知る限りほとんどいません。政府の方針に矛盾を感じてしょうがないのです。経済優先により、消費税の増税、電気代の値上げなどが人々の暮らしを圧迫しているのです。
 沿岸に大手スーパーが進出して、商店を閉めざるを得なくなった人、復興住宅の入札が資材の高騰などで不調に終わり、その結果入居が数年先になる人、アパートへの転居を余儀なくされ、畑も花もできなくなり生きがいを失いかけている人、復興住宅に入ったもののコミュニティが壊され、淋しくて淋しくて不安に襲われている人などなど、景気回復どころか明日の生活が見えない人が多くいるのです。お金より田畑を、きれいな海を、夢や希望を被災地に届けて下さい。
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【まけないぞう一言メッセージ】
 「被災しなければ」と辛く、悔しい時、つい精神的に落ち込みがちになりました。そんな時この「まけないぞうさん」を作り始めると自然に何も考えることなく、無心になれる時間を得ることができました。そして、どんな方達が買って下さるのだろう。どんな子どもさんが抱いてくれるのかな?と。大切にして下さることを願いつつ懸命に作ることができました。とてもいい時間を下さったことを感謝申し上げます。
(2014年9月17日 大船渡市黒土田仮設 85才 女性)

【東日本大震災】レポートNo.248

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  作り手さん、釜石へ訪問
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  先日、いつもお世話になっている釜石にある真言宗高野山派不動寺の森脇妙紀さんを訪ねました。いつもタオルを各地から集めて、販売にも多大なるご支援を頂いています。いつもお世話になっているということで、陸前高田市の作り手さんと一緒にご挨拶に伺いました。
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 作り手さんのお手製のお煮染めと豆ご飯で、普段のお昼は控えめな作り手さんも食が進みます。やっぱりみんなでわいわいがやがやしながら食べるご飯は格別です。そこへ、相模原から届いたタオルでできたお花が登場です。これは、お供えのお花をわざわざタオルにして、終わったらまけないぞうに作って下さいと、送って下さった貴重な花かごです。作り手さんもこれにはびっくり!どうやって作るのか興味津々。これは特許をとって作ってあるので、作り方は秘密です。「私が死んだらこれにして欲しい!!」と、切実??な訴えです(笑)。妙紀さんも、「その時は私がお供えさせて頂きます」と約束してくれました(笑)。お花が大好きな作り手さんは、仮設でもお花をいっぱい育てています。
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 ここでも話は、今後の住宅のことです。以前のニュースでもお伝えしていますが、復興住宅に移る人、自力再建する人、動物などを飼える復興住宅に移る人など、ぞうさんの作り手さんでも、今後はバラバラになっていってしまう人たちがいます。お一人の方はこの10月くらいにも再建して引っ越しの予定です。冗談半分に「バイバ~イ」という人、引っ越しを言いづらそうにしている人、「また、みんなバラバラだ」と、その言葉のうらに不安と寂しさが見え隠れします。
 大槌町の作り手さんは、「住宅もあと5年先だって~、もうがっくりしちゃうよ。そしたら、10年もここにいるようだよ。」「もうは~、わたしなんて80才になっちゃうよ。家ができた頃には、もうどうなっているか?せめてもう少し若いうちに再建したいよ」「仮設では死にたくないよ。みんなそれを願っているよ」と切実な心の叫びが聞こえてきます。
「土地は決まって9月から着工って言うけど、まだ何にも手をつけてね~。目途がはっきりすれば、がんばれるけど延び延びじゃ、もうやんなっちゃうよ」「お盆前から体調を崩してね。お医者さんには、『ストレスだ!』と言われたよ」と。「それでもなにもしていなかったら、しんどいだけだし、少しでもぞうさんがあるんならやっている方がいくらかましよ」と、先の見えない不安を訴える人がほとんどです。やはり人は夢や希望、生きがいなどといった張り合いがなければ、心も体も弱くなっていくということを、実感します。
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大船渡の作り手さんも、「もうずっと悩んでいる。高台移転か復興住宅。それが一番しんどいよ。復興住宅じゃ畑もできないし。小さな庭でも畑やお花をしたいな。前の家は地震で傾いてしまった。三陸大津波の時に高台移転して、土盛りをしたところだけが今回の地震で沈んでしまったの・・・。あ~悩む。考えすぎて体調があまり思わしくない。」
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【まけないぞう一言メッセージ】
大震災から3年半も過ぎ、ぼつぼつと空き室も出てきます。いつここから出られるのかと一人残るのではないかとか、何もしないと考え不安になります。ゾーさんを作っていると何も考えず、自分の作ったゾーさんでもみんな顔が違うので、一人で笑ったりして心が晴れます。
(2014年9月17日 大船渡市黒土田仮設 71才 女性)

【東日本大震災】レポートNo.247

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月12日
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 今日は久しぶりの青空でした。気温もぐっと下がってきました。そして、遠野仮設へ回収へ。「もう遅いから、ぞうさんほこりかぶってたよ(笑)」と言いつつも厳重に紙をかぶせて、大事に保管してくれていました。
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「ねぇ見て見て、このぞうさん可愛いでしょう??まるでお口があるみたいでしょう」と、笑顔で語りかけてくれます。「このぞうさんも可愛いよ。」「あらっこっちのも可愛いよ」とやっぱり丹精込めて作った自分のぞうさんが一番かわいいのかしら・・・(笑)
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「ちょっと時間あるでしょう」と、遠野仮設には渡り廊下があり、コミュニティスペースにもなります。椅子を並べて、お茶とお茶うけがあっという間に出てきて、お茶っこタイムです。季節的にも屋外でも風通しがよくとっても気持ちよく、おしゃべりも弾みます。
「広島や丹波の被災地に行って来たんだよ」と話すと、「あっ丹波篠山ね。お豆がおいしいよね」と!びっくりして訪ねると、「昔大阪に数年住んでいて、子ども会で丹波篠山行ったから知ってるよ。向こうも今回の水害で大変だね」と、東北の地で急に地元兵庫の話題ができて嬉しかったです。
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 話題は住宅のこと。「(沿岸から)遠野にきて、もう慣れたから地元には帰りたくないの」。仮設の近所に自力再建した人は、「やっぱり仮設が恋しいの。知った人ばっかだもんね」と少し淋しそうに。「せっかくここに(仮設)来て、仲良く慣れたんだから」と話してくれます。被災地から仮設、みなし仮設、県外、そして、復興住宅、自力再建と被災者の人たちは何度も何度もコミュニティを壊され、作り直さなければならないのです。今後より一層コミュニティづくりのお手伝いが急務の課題となるでしょう。復興住宅、自力再建できたというのはただハコモノができただけで、暮らしはすぐには再建できないのです。それは私たち神戸や他の被災地で学んだことです。だからこそ、今からが正念場なのです。
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午後からは、大槌町吉里吉里に伺いました。ここでは、なんと大きなぞうさんがたくさんいるではないですか!!バスタオルでつくったぞうさんです。「この大きなぞうさんを広島や丹波の被災地に持って行ってもいいですか?」と聞くと、「あ~よかった。役に立つのなら持っていってもらったらうれしい。行き先が決まってよかった」と言ってくれました。
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そして、また前回来たときに釜石の不動寺さんが神奈川県から頂いた、お供物のタオルのお花がぞうさんに出来上がっていました。「これは、お寺さんから頂いたお供物でできたぞうさんだからお守りにするの」と、とても大事そうにしていらっしゃいました。
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仮設の窓から見える空は小さいですが、
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心の中では大きく広がり、世界とつながっているぞうさん。
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そして、多くの人に支えられている実感。
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家中には「まけないぞう」が飾ってあります。いつもあなたのそばにいます。
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【まけないぞう一言メッセージ】
まけないぞうを作るときは、他のことは何も考えず一心に作ることだけに専念しています。一頭出来上がるごとに少しずつ幸せに近づいているような気がします。作り手の私たちの手元から、みなさんのところへ届くときは「まけないぞう」、みなさんが手にされた後は「忘れないぞう」に名前を変えて下されば嬉しいのですが。
(2014年5月5日 遠野仮設 74才 女性)

【東日本大震災】レポートNo.246

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  あれから3年半が過ぎた被災地より  
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 今日で東日本大震災から3年半の節目を迎えました。紙面では「24万人避難生活続く」「進まぬ住宅再建」「入札不調震災前の4倍」「仮設生活 今も8.9万人」「」などまだまだ先行きが見えない深刻な見出しが多かったです。道路をつくるため、防潮堤の工事など公共工事は進んでいますが、それより先に、高台への避難路、復興住宅、高台移転など、被災者の暮らしを優先した復興がなぜ後回しになるのでしょうか?
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今日11日は月命日ということで、釜石の作り手さんをいつもまけないぞうの販売やタオルの仕分けにご協力頂いているお寺さんにお連れしました。全国各地から届いたお茶菓子を頂きながら、やはり当時の津波の話になります。
「あの時は、高い方高い方に逃げて、やっと避難所にたどりついた」
「お父さん(息子さん)の遺体の上を知らずに通っていた。」
「私は、チリ津波、十勝沖津波、今回と3回も津波に遭った」
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昨日のお邪魔した、陸前高田の作り手さんは、
「毎日、津波の話、聞かねぇ日はないな」
「仮設もバラバラ、またバラバラ(復興住宅などへ移るので)」
「また、せまっこい中、はいらな、わかんねぇんだ」(次も狭い復興住宅に入らないといけないんだ)
「復興住宅入ったら、もう花もできねぇ、今年で終わりだ!」
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陸前高田では、第一期の復興住宅が完成し、来月から入居が始まります。それで、何人かの人が仮設から復興住宅に移るようで、自力再建した人など、何かと落ち着かない日々が過ぎているようです。来年の秋には、動物も一緒に住める住宅が建設されるようですが、コミュニティがどんどん崩壊しています。阪神・淡路の教訓を考えると2度も3度もコミュニティを崩され、復興住宅での孤独死などはいまも続いています。東日本被災地でも復興住宅やバラバラになってしまった人たちのきめ細かいフォローが欠かせません。
釜石で復興住宅へ入居した人は、入居してからほとんど外に出ることもなく、家の中で過ごし体調が思わしくありません。ボランティアも減っていく中で、バラバラになった人たちのフォローをどうしていくかが課題です。ちなみに今回広島で起きた土砂災害の被災地でも仮設は建設されず、既存の住宅への入居が進められています。こちらでもコミュニティの崩壊が起きつつあります。住み慣れた環境においてコミュニティの崩壊は、心も体も崩壊させてしまうケースがあります。そんな声なき声に耳を傾けることが本当の意味での町の復興には欠かせません。
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ある作り手さんは、「最近私は傾聴ボランティアの講習を受けているの」と避難所でも何もやらせてもらえず、私たちに何かやらせて欲しいと直談判したそうです。被災者はやはり支えられるだけの弱者ではなく、双方向にお互いに支え合える関係が大切なのだと、またここで実感することができました。
「自分がこんな目にあって、この間本当にいろんな人に支えられ感謝してます。」
「お茶っこに来て、話したいこと話して、胸がすっきりした」
 と最後に笑顔で帰ることができました。
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 【まけないぞう一言メッセージ】
ぞうさんを作り始めて3年が過ぎ、私も年をとり腰が曲がってきました。でもぞうさん作りをしていると、とても若い気持ちで幸せです。私の作ったぞうさんが、人の心を和ませるのかと思うと涙がでます。ぞうさんありがとう!!
(2014年6月22日 釜石市復興住宅 88才 女性)

【東日本大震災】レポートNo.245

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月8日  
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今日は神戸大学ボランティアバスの主催で「まけないぞう同窓会」を開催していただき、沿岸の作り手さんの交流会ができました。普段はなかなか出会えない作り手さんが、顔を合わせぞうさんの作り方や情報交換、それぞれの地域の復興の進み具合など、普段話せないようなことなどをざっくばらんに話し合いました。
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 みなさん最初は緊張気味でしたが、ぞうさんを見ると「これどうやって作っているの?」「へーそうなんだ」「私はこうしているわ」などなど会話は弾みます。「ぞうさんはどれもかわいいけれど、私が作ったのが一番かわいいわ」と嬉しそうに話してくれます。そして、今回のお弁当は大槌町で被災したお肉屋さんが用意してくれた巻き寿司でした。また大船渡の作り手さんは銘菓「甘ほたて」を差し入れもあり、舌鼓を打ちながら会話も弾みました。
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 そして、話は復興状況についても触れています。大船渡は?釜石は?大槌は?自力再建した人、復興住宅を待つ人、高台移転を考えている人など、それぞれ立場が違います。
交流会場にいくまでの車中から「この辺は新しいお家がいっぱい建ったね。うちの報はまだまだ全然進んでないわ」と、普段ならきっと気を止めないような新築のお家が今ではとても気になる様子です。また震災当時の話にもなります。「私は津波の当日は野宿をしたの。孫はまだ9ヶ月くらいで、その子の食べるものやオムツにとても苦労したの。ちょうど離乳食の時期で、お母さんのおっぱいも出なくなり、急いで持ち出した買い物袋に中にあった、野菜ジュースや少しの離乳食でその場をしのいだの。あの時は本当に辛かった」と。
「仮設に入った時も何もすることもなく、ずっと部屋に閉じこもっていたの・・・」「今でも何かしていないと一日がとても長くて、お茶会に行ってもうなづいているだけだと疲れるし」など、3年半の節目が近づいているせいかなのか、みなさん不安を口にします。節目節目に不安が波のように寄せては引きを繰り返しています。
 「高台移転も進んでないよ、せっかく木を切ったのに、また生えてきちゃっているし。だから当初より希望者減って、自力再建や復興住宅を考えるようになり、高台移転もいつのことだか、早くしないとあの世にいっちゃうよ」など、悩みは尽きません。
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 不安を口にしながらも、「ぞうさんに心癒されているの」「ぞうさんがないとだめ」「今度この手芸教えて!」と。そして「今回の水害に関して私たちにもできることはないの?」と心配してくれました。「私たちの津波は地震がきてから逃げれば助かるけど、山津波は突然くるから,大変だよね。私たちより向こうの人は大変だ。」「私たちの高台移転の土盛りもちょっと心配になってくるけど、行政は大丈夫だと言っているから」と不安をにじませながら、他の被災地に心を寄せてくれています。支え合いの輪が確実に広がっていることを実感します。
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 神戸大の生徒さんの若いパワーに元気をもらったようです。学生さんに足湯もしてもらって、笑顔が耐えない会になりました。帰りはみなさん「とても楽しかった」とおっしゃってくれました。
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 【まけないぞう一言メッセージ】
私がまけないぞうさんに出会ったのは知り合いからプレゼントにもらったのが最初でした。とてもかわいくて、やさしい気持ちになりました。自分もまけないぞうさんを作ることができ、誰かの心を癒してくれればと思いながら、一つ一つ心込めて作っております。まけないぞうさんに感謝しています。
(2014年8月11日 釜石市甲子仮設 60代 女性)

【東日本大震災】レポートNo.244

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月6日  
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 約1ヶ月ぶりの遠野はすでに秋の気配です。田んぼも黄色に色づいていました。夜は肌寒いくらいです。
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 今日は快晴の中、ぞうさん号を走らせ釜石市の尾崎白浜へ伺いしました。みなさん、広島などの水害のことをだいぶ気に掛けてくれていて、「きっと被災地に行っていると思ってたよ。あれじゃ津波より大変だ」ととても心配してくれていました。災害は起きては欲しくないことですが、こうして、被災地から被災地の支え合いの輪が育まれていくんだなぁと、あらためて実感します。
 ここ尾崎白浜では、廃校になった小学校が当時の避難所でした。土地がなかなかないので、その小学校を壊して、復興住宅を建設する予定です。今回その学校が壊されて、平地になっていました。工事も思うように進んでいないようで、8月に着工という話がずれ込んで9月という話を行政から聞いているそうですが、今日までに着工できていませんでした。「オリンピックがあるから、向こうに集中しちゃってるんだよね」と。「私が生きているうちに復興住宅に入れるのかね」と不安は尽きません。
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 仮設も統廃合になったり、一度部落外の仮設へ出たり、入ったり、また自力再建して仮設を出た人など、コミュニティはバラバラです。小さな部落でも一度コミュニティが崩壊すると、心までにバラバラになってしまう現実がそこにありました。
作り手さんが一言「なんか淋しいんだよね」とぽつりつぶやきます。作り手さん同士、同じ仮設のお隣さんだったのですが、自力再建をした人と、仮設から仮設へ移動し、行き来が難しくなり、私が訪問したときに「久しぶりだね」と会話をされていました。車ならほんの5分くらいですが、高台に家の再建した人の自宅へ行くには舗装されていない山道を進まなければなりません。
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 この道は津波がきた当時、林道でしたが、海側は流されたため隣の部落へ行くための命をつなぐ道の一つでもありました。いま生活道路なっているため、早くこの道を舗装してみなさんが安心して行き来できるようにしてほしいです。
 そして、久しぶりの再会に話も弾み、ご馳走を頂きながら楽しい時間を過ごすことができました。makenaizoneのみなさんから届いたメッセージをお渡しすると、「いつもこのお手紙を楽しみにして、ちゃんとファイルに挟んでいるんだよ。私が死んでからも何をしていたかわかるでしょう」と、とても喜んで下さいました。
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以前、ボランティアさんに作って頂いた、ベランダも健在です。他にも教えてもらった手芸などで趣味が広がったと作品がたくさん増えていました。
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 午後は、今の時期に釣れるという海水にいるワカサギ「ちか」という魚を釣りに出掛けました。「津波前は、自宅からすぐが海だったから、魚がいる!といってすぐに家に道具を取りに戻って釣りをしていたけど、いまは遠くなったから、気軽に来れないのよ」と。久しぶりの釣りを楽しんでおられました。帰りはバケツ一杯の大漁でした。
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 帰りは鹿さんがお見送り。大きな立派な角をした雄鹿でした。
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