【東日本大震災】レポートNo.254

2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月12日  
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 4年目を迎えた被災地訪問の今回でも、いつものように「まけないぞう」のタオルを待ちかねた作り手さんの笑顔に出会えました。
大船渡の仮設では、いつものようのぞうさんの日に集まった作り手さんがちくちくぞうさんづくりしています。被災地では仮設から復興住宅や自力再建などへ引っ越しをする人が少しずつですが出てきています。仮設を出る人は自分だけ出ていくことを負い目に感じ、後ろ髪をひかれるようにひっそりと出ていきます。仮設に残される人は、不安と孤独が入り交じり取り残されたような気持ちが漂っています。この4年間で培ってきたコミュニティが音を立てて崩れていくような状況が被災地の各地で起きています。
復興住宅でも、また知らない人ばかりでコミュニティが作れず家に籠もってしまう人も少なくありません。仮設のような長屋作りとは違い、鉄筋コンクリートの壁に囲まれ、人の気配を感じることはなく、「あの鉄の扉が重いのよね」という20年前に阪神・淡路大震災の被災地で聞いた言葉がそこにありました。20年経っても変わらない現実に憤りを感じました。避難所から仮設住宅、復興住宅と、変わらない住居の再建・・・。
それでもここの大船渡の仮設では仮設から出ていった人も、仮設の集会所に戻ってきてみんなとぞうさんづくりしています。他の仮設でもこんな風になったらいいなと思いました。
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他方、高台移転を待ち続けた作り手さんがいました。この2月に市役所に呼ばれて、そろそろ区割りかと意気揚々と出かけたのですが、「どうしても山からの水を止めることができずに高台移転が急遽中止になった」というのです。昔から水が出る地域で住民も心配していたのですが、その通りになってしまいました。「4年も待ったのに、行くところがなくなった」という作り手さんの言葉が虚しく心に響きます。
きっとこんなケースはここだけではなく、他にもあるのでしょう。まさに「復興災害」です。先の見えない不安を4年も持ち続け、さらにまたその不安が増大しています。
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~まけないぞう一言メッセージ~
 ○4年目を前に隣町に引っ越しました。それでも仮設の集会所に集まってぞうさんを作るのが楽しみです。自分たちが助けられたように、誰かの心を癒してくれる可愛いぞうさんをもう少し続けたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)
○ぞうさん作りを始めて、丸4年、長いようで短い時です。これからも作っていけるのなら続けていきたいです。みなさんと交流し元気過ごしていきたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)
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【東日本大震災】レポートNo.253

被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月11日  
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 3月11日、東日本大震災から丸4年を迎えました。各地で追悼の灯りが灯され、祈りが捧げられました。10日現在で犠牲者の数は15,891名、行方不明者は2,584名、震災関連死は3,222名となりました。改めて犠牲になられた方にご冥福をお祈りするとともに、行方不明者の方が見つかりますように願ってやみません。
 そして、4年を迎えてもなお、岩手、宮城、福島の3県では81,730人が仮設住宅で暮らし、みなし仮設や自主避難などを加えると約22万8千人の人たちがいまだ不自由な避難生活を強いられています。
仮設_s.jpg
いま、被災地ではインフラ整備が進み、山は削られ、海は巨大防潮堤の工事が進み、異様な高さの堤防が各地で出現しています。
防潮堤_s.jpg
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 そして、仮設住宅から復興住宅、自力再建などステージが変化しつつあります。引っ越しを控えた人、自力再建を決めた人など心が落ち着かない様子がひしひしを伝わって来ます。自力再建を決めた人は、「当初より予算が多くなってしまった。資材も高騰しているようだ。なんだか頭が考えすぎてぐちゃぐちゃだ」と話しが止まりません。
 
 仮設住宅は1年ごとの更新で、来年どうなるのか不安を抱えながらの生活です。もっと長期的な供与期間があれば、安心して将来の展望も描けると思います。また、行政から支援される仮設から復興住宅などへの引っ越し費用が全壊と半壊などでは違い、自治体によって異なります。同じ被災者で、同じ仮設からの引っ越しでどうしてこういう格差が生じるのか?首をかしげたくなるのは私だけでしょうか??
平屋復興住宅_s.jpg
 そんな不安な状況のなかでも、刻々と時は過ぎ4年を迎え、追悼の灯りが灯された。遠野の仮設「希望の郷」では、地元緑峰高校の生徒さんは遠野名産のホップの和紙で灯籠を作り、被災者の人たちに届けました。ほのぼのした灯りは人の心を和ますような灯りでした。被災者の心に一日でも早く希望の灯りが灯りますように。
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【東日本大震災】レポートNo.252

被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月6日つるしびな  
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 約2ヶ月半ぶり遠野を訪れました。遠野の街はちょうどつるしびなのシーズンでした。「まけないぞう」チームの「ふきのとうの会」のメンバーが例年のようにつるしびなを所狭しと飾っています。圧巻は遠野の獅子踊りをまるでひな壇のように飾ったものでした。来る人来る人目を奪われていました。大船渡の後ノ入仮設からもぞうさんの作り手さんが
見学に来てくれました。
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今年のテーマは「親から子・孫へ」でした。震災から20年を迎えた神戸でも語り継ぐ、継承というのがテーマでした。親から子、孫へと時代は移り変わり、その中で伝え残していくもの、文化や習慣、教訓など多くのことが次の時代へ受け継がれることを願ってやみません。
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 そして、沿岸の被災地に足を伸ばすと、街はかさ上げ工事が進み、来る度に道が変わっています。山は無残にも地肌が剥き出しとなり、山津波を恐れる被災者の人も少なくありません。
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 作り手さんのところに久しぶりに訪れると、お店は床屋さんでその横に自力再建の自宅を建設中で間もなく完成の予定で、とてもうれしそうでした。ぞうさんの材料も久しぶりの到着で心待ちにしていたようで、こちらも喜んで頂けました。
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 一方で、いまだ不自由な仮設住宅などの避難生活を送る人は、約23万人いらっしゃいます。まちづくりなどの会議の度に工期が伸びる人、仮設の集約に伴う先の見えない不安が被災地に広がっています。阪神・淡路大震災では震災から5年を前に仮設住宅が解消されましたが、東日本では、いまだ8万1730人が主にプレハブの応急仮設住宅に暮らしています。仮設住宅でも空き家が目立ち始め、やっとつながったコミュニティがなくなり、孤独や不安が被災者の人たちの心を襲っています。
 「まけないぞう」の作り手さんも、「集約のことが心配。仮設から仮設への引っ越しはしたくない。最後までここにいたい(自力再建するまで)。別のところへ行ったら知らない人ばかりで困る。いつまでいまの仮設にいていいかはっきり先を示して欲しい。でないと落ち着かない。仮設から出ていく人は、ルンルンだけど、残された方としてはね・・・」とため息まじりにつぶやきます。
 このように被災者の人たちは避難所から仮設、復興住宅など何度も何度もコミュニティを構築し直さなければなりません。阪神・淡路の経験から、避難所から直接恒久住宅へ移行できるように提言してきてはいるものの、行政にはその声が届いていないようです。こうして、コミュニティが変わるごとに、不安や心配、取り残され感など被災者のストレスが増大し、健康悪化を招くことが心配です。