被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月6日つるしびな
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約2ヶ月半ぶり遠野を訪れました。遠野の街はちょうどつるしびなのシーズンでした。「まけないぞう」チームの「ふきのとうの会」のメンバーが例年のようにつるしびなを所狭しと飾っています。圧巻は遠野の獅子踊りをまるでひな壇のように飾ったものでした。来る人来る人目を奪われていました。大船渡の後ノ入仮設からもぞうさんの作り手さんが
見学に来てくれました。
今年のテーマは「親から子・孫へ」でした。震災から20年を迎えた神戸でも語り継ぐ、継承というのがテーマでした。親から子、孫へと時代は移り変わり、その中で伝え残していくもの、文化や習慣、教訓など多くのことが次の時代へ受け継がれることを願ってやみません。
そして、沿岸の被災地に足を伸ばすと、街はかさ上げ工事が進み、来る度に道が変わっています。山は無残にも地肌が剥き出しとなり、山津波を恐れる被災者の人も少なくありません。
作り手さんのところに久しぶりに訪れると、お店は床屋さんでその横に自力再建の自宅を建設中で間もなく完成の予定で、とてもうれしそうでした。ぞうさんの材料も久しぶりの到着で心待ちにしていたようで、こちらも喜んで頂けました。
一方で、いまだ不自由な仮設住宅などの避難生活を送る人は、約23万人いらっしゃいます。まちづくりなどの会議の度に工期が伸びる人、仮設の集約に伴う先の見えない不安が被災地に広がっています。阪神・淡路大震災では震災から5年を前に仮設住宅が解消されましたが、東日本では、いまだ8万1730人が主にプレハブの応急仮設住宅に暮らしています。仮設住宅でも空き家が目立ち始め、やっとつながったコミュニティがなくなり、孤独や不安が被災者の人たちの心を襲っています。
「まけないぞう」の作り手さんも、「集約のことが心配。仮設から仮設への引っ越しはしたくない。最後までここにいたい(自力再建するまで)。別のところへ行ったら知らない人ばかりで困る。いつまでいまの仮設にいていいかはっきり先を示して欲しい。でないと落ち着かない。仮設から出ていく人は、ルンルンだけど、残された方としてはね・・・」とため息まじりにつぶやきます。
このように被災者の人たちは避難所から仮設、復興住宅など何度も何度もコミュニティを構築し直さなければなりません。阪神・淡路の経験から、避難所から直接恒久住宅へ移行できるように提言してきてはいるものの、行政にはその声が届いていないようです。こうして、コミュニティが変わるごとに、不安や心配、取り残され感など被災者のストレスが増大し、健康悪化を招くことが心配です。