東日本大震災】レポートNo.263

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月7日
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 8月7日は陸前高田市のうごく七夕まつりでした。いつものようにきらびやかに飾られた各地区の山車が被災地を練り歩きます。みなさん待ちに待ったかのように、嬉しそうに山車を担いでいます。ただ、高台の造成が進み、工事エリアは立ち入りが禁じられ、伝統の場所での開催は今年が見納めになったそうです。山車も去年より少なくなり、少し淋しい感じもしましたが、おまつりの間は一時でも辛いことを忘れ、笑顔がこぼれます。
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 みなさん笑顔で歩いている陰にも、「あの人、お父さん、お母さん、弟を亡くして、おじさんがまだ見つからないの」と。また久しぶりに仮設で一緒に住んでいた人と出会い、再会を喜ぶ姿もありました。
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夜になると電飾に飾られた山車がライトアップされ、真っ暗な被災地を照らしました。
ある被災者の方が、「なんにもなくなったから、山車がやけに明るく目立つね」とつぶやきました。
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まけないぞうの作り手さんも、いつか高台移転をしたときに、「ぞうさんでコツコツためているお金で新築した自宅に、記念に残る何かを買う予定にしてるんだ」と嬉しそうに話してくれました。
 一方で、8月27日の毎日新聞によると、陸前高田市の小規模スーパーが閉店を決意したそうです。
「土地のかさ上げが進む市街地から高台へ続く坂道沿い。長屋風のプレハブ店舗には『ナインマート』の看板が掛かったままだ。『寂しいけど、競争だから仕方ないね』。昨年12月まで店を運営していた中田商事の社長、安達清次さん(53)が看板を背につぶやいた。
津波は中田商事の前社長と従業員計3人の命を奪った。急きょ社長を継いだ安達さんは翌月、トラックで移動販売を始める。4カ月後再開 震災後、再開を急いだのはこの時の「恩」もあったからだ。リンゴ畑の土地を借りて11年7月、小さなプレハブ店舗を建てた。開店資金3400万円の4割弱は後日、市内外の食品業者らと、国と県の『グループ補助金』を申請して賄った。オープンの朝は開店前から数十メートルの列ができた。だが翌月、地元中堅スーパーが再開すると売り上げは前月から半減した。同じプレハブでも広々とした店をのぞくと、何人もの顔見知りと出くわす。」(2015/08/27 毎日新聞より一部抜粋http://mainichi.jp/select/news/20150827k0000m040150000c.html)
 他の地域でも最近よく耳にする話です。これが真の復興なのでしょうか?政府は地方創生と言っているようですが、地方とくに被災地は悲鳴をあげているのです。
 このような現実の中で、自らいのちを落とす人もいます。4年も経って、「いつまでも被災者と言っていないで、早く自立しなさい」という心ない言葉も聞こえてきます。でもまだまだ復興の途上です。息の長い支援が必要なのは、被災地KOBEからも学びました。なかなか成果は出ませんが、最後の一人まで被災地に寄り添っていきたいと思います。
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~まけないぞう一言メッセージ~ 
 東日本大震災から4年が過ぎ、被災地以外の人々は、もう忘れているように思われますが、何年過ぎても大きな地震があるとあの日を思い出し、メンタルが少しおかしくなります。それでもこうして“まけないぞう”を作らせていただくことで、心のどこかで安心を手に入れていると思います。これからもどうぞよろしくお願いします。
(2015/06/6 石巻市 女性 58歳)