あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり
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今日で、東日本大震災から5年半を迎えました。犠牲になられた方に心よりご冥福をお祈りします。また行方不明者の方が一日も早く見つかることを心より願っています。5年半の月日で復興は進んでいる部分もありますが、行政と住民の復興への気持ちとのかい離が浮かび上がっているようです。
今回、作り手さんのところへお邪魔した時に久しぶりにぞうさんを一緒につくってみましょうということで、ちくちくスタート!こちらも久しぶりのぞうさんづくりで緊張しながら一緒に作りました。
ちくちく縫い進んでいくと、「あれ~??なんだか鼻の作り方がおかしい??」、その方のぞうさん「いつもお鼻がずいぶん大きいな~」と思っていたのですが、
(私)「ちょとお鼻の作り方が違いますよ~」
(作り手さん)「え~だって、こう教わったのよ」
(私)「いいえ、こうですよ」
(作り手さん)「え~そうだったの??だから、たまには復習しないとだめよ~。自分流にやってしまっているから」
と大笑いしながらの作り方の復習でした。
彼女はたくさんのリングぞうさんをつくってくれています。また、リングぞうさんはお尻がプリッとしていて、後姿もとってもかわいいです。作り手さんが一生懸命作っていますので、ぜひ、買ってください。
そして夜は、大槌町の吉里吉里海岸で毎年開かれている「吉里吉里映画祭」に行きました。今年は熊本支援のチャリティ上映で「うつくしいひと」と「未来のカケラ」でした。「うつくしいひとは」熊本の阿蘇などの大自然の風景を舞台に繰り広げられるショートムービーです。「未来のカケラ」は東日本大震災で被災した小学生の作文をもとに作られたもので、夢のある映画です。
こうして、両被災地が映画を通して、つながって支え合いの輪が広がっています。最後に実行委員会の方が「東日本で受けた支援の輪を今度は熊本につなげる」と話してくれました。被災地から被災地へ支援の輪が広がり、避けられない自然災害ですが、少しでも被害が食い止められたら何よりです。
当時はまさか岩手で水害によりこんな被害がでるとは思いもよりませんでした。いま被災地では津波でお世話になった人たちが、当時の恩返しとしてボランティア活動をしているそうです。災害はどんなものであってもとても辛いものです。けれども、「災害は悔しいけれど、こうしてみんなに出会えてよかった。」という言葉を聞くのも被災地です。
【東日本大震災】レポートNo.273
あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり
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今回の台風10号は岩手県の沿岸に甚大な被害をもたらしました。2011年の津波からやっと立ち上がりかけた被災者に追い打ちをかけました。犠牲になられた方々に心からお悔やみ申し上げます。また被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
これまでの被災地から、新たな被災地に支え合いの輪が各地で生まれています。ただ、一方でそれぞれの教訓がいかされずに、被災地に行くたびに「まさか自分のところにこんな災害が起きるなんて」という言葉を必ず毎回被災地で聞いてきました。
東日本の被災地でも同じです。「まさかこんな津波がくるなんて」、今回の台風では「まさかこんな水害があるなんて」という言葉です。残念でしかたありません。
今回の8月に岩手を訪れた時は、熊本地震の後だったこともあり、東北の被災者の人は熊本の人たちのことをとても心配していました。「私たちは、津波ですべてを流されたから、あきらめがつくけど、熊本の人は大変でしょうね」、「津波は高いところへ逃げたらいいけど、地震は逃げるところがないから、心配」、「みんな、いまどうやって生活しているの?」などみなさん心配してくれています。
そして作り手さんを訪ねたところ、お孫さんのお宅にいました。そこで「まけないぞう」でコツコツためたお金でプレゼントしたお孫さんの机を初めて拝見することができました。
とても立派な机です。その横にはなんと、くまモンのカバーがかけられたランドセルがありました。机にも感動しましたが、そのそばに熊本の人気キャラクターがあって、なんかご縁を感じます。
そして、お孫さんのベッドの傍らには「まけないぞう」が飾ってあります。ほこりをかぶらないようにビニールで完全防御です(笑)こうして、両被災地のグッズに囲まれうれしくなり、記念にパチリ!
お家の中には大きなぞうさんも飾られています。いつもなかの良いご夫婦でハイポーズ!
ところで、久しぶりに市内を見て回りました。5年を迎え町の全景が少しずつ見えてきました。津波の直後から見ていますが、区画がだいぶできてきました。
どんな被災地でも元の場所に戻る人、戻らない人、避難先で新たな生活を選んだ人、戻りたいけど戻れない人いろんな人たちがいると思います。それでもふるさとを想う気持ちは変わらないでしょう。災害によりふるさとを奪われてしまう人もたくさんいます。生かされたいのちを大切に生きていきたいものです。