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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 9月10日
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最近、テレビでも取り上げられて、人気に火がつきそうな「あかもく」をみなさんご存知ですか?秋田では昔から身近な食べ物のとして、食されている「ぎばさ」といわれるものです。茹でて刻むととってもすごい粘りがでるのです。海藻好きな私は以前から好きで、岩手に行くたびスーパーなどで仕入れて食べていました。
この「あかもく」は海藻の一種で、よく養殖の網などにひっかかり三陸沿岸では厄介者で廃棄していたそうですが、最近その海藻の魅力が見直され、三陸沿岸でも食べるようになったようです。そして、今回たまたま、まけないぞうの作り手さんを訪ねたところ、漁協の女性部でこの「あかもく」の勉強会があるということで、急遽参加させて頂きました。
配布された資料には、この「あかもく」の学名はホンダワラ”の小さな袋(気泡)が藻の葉先にいっぱいついている有様は、“稲穂を連想”させるため「稲穂」に通じます。これをわらしべで一握りほど折って巻き、米俵の形にして、新春のご祝儀とする習わしが古くからあるそうです。その中でも代表的なものが、“蓬莱飾り“(ほうらいかざり)で、初春の祝いにと三宝の盤に目出たい品を飾るのですが、海藻はその中でも重要な一品となっているという貴重な海藻だそうです。
そして、お勉強のあとは、お待ちかねの調理実習です。「あかもく」を使ったパスタ、てんぷら、お味噌汁などみなさんと一緒に作りました。
沿岸の漁協では、こうして各地から講師を招いて、海産物を加工し少しでも仕事づくりにつなげられるようにみなさんがんばっているんです。みなさんと一緒に作ったお料理は格別でした。
おいしいお料理を頂いたあとは、「まけないぞう」の回収です。作り手さんに支援者から預かったお手紙をお届けしながら、久しぶりのおしゃべりタイムです。6年半経っても、津波で何もかも奪われた悔しさや悲しさは消えません。「あの時は・・・」「着物も全部流された」などなど話は尽きません。そんなお話をしながら、「私はお手紙をちゃんとファイルに全部綴じているのよ。ほら、ここにもぞうさん作って飾っているの」など、ぞうさんの話をするときは嬉しそうに話してくれます。
箱に大切にしまっておいてくれたぞうさんを数えて、しっかりお預かりします!!
今度は、どこにお嫁に行くのかな・・・。
【東日本大震災】レポートNo.283
あれから6年半、9月に岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 9月9日
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先月の岩手訪問では、「まけないぞう20年ありがとうキャラバン」の企画として、「岩手医科大学 創立120周年記念イベント『健康フェス2017』~いきいき元気健康家族~」に参加させて頂きました。
今回のご縁をつないでくれたのは、大船渡の作り手さんです。その久美子さんは、2011年津波に襲われ自宅は大規模半壊でした。その後、仮設住宅コミュニティ支援員として仮設住宅の住民のお世話をしていました。そんな久美子さんに出会い、小物づくりが好きだということで「まけないぞう」づくりに参加されました。それから、2017年に自宅を再建し、仮設の統廃合に伴い、仮設住宅をでました。けれどもまだきちんと再建できていないので、実家に間借りしながらの生活だそうです。
その後、岩手医科大学で入院生活をされ、体調が落ち着いた頃に、病気を持つ患者さんやその家族のために「まけないぞう」を岩手医科大学付属病院「がん患者・家族サロン」に寄付されたそうです。その担当者がとても熱心な方で久美子さんのボランタリーな行為に感銘を受け、「まけないぞう」にもとても感動してくれたのです。
久美子さんは「まけないぞう」を受け取った人たちが喜んでくれる姿がとてもうれしいそうです。今回そんな患者さんから、お礼のお手紙も届いたそうです。ここに紹介致します。
◆「まけないぞう」ありがとうございました。生まれつき心臓病があり、入退院を繰り返している娘も術後1週間ですが、嬉しそうにゾウさんをもって遊んでいます。私も東日本大震災を岩手県沿岸で目の当たりにしています。沢山の方の支援に感謝しています。
今回も娘の病気を思ってくれる方が大勢いるということを実感し、涙が出るほど嬉しく、親も頑張らねばと思う日々です。このような支援をこれからも続けてほしいです。
子供たちは笑顔になります。家に帰ったら待っている子供たちもゾウさんと遊ばせます。これからの入院の際に宝物として持っていきます。
◆入院中、とても気持ちが不安になり、辛い気持ちで過ごすことが多かったなか「まけないぞう」をいただきました。
赤を選んだのは赤は生命力の象徴かな・・・なんて勝手に思ったからなのですが、「まけないぞう」を見るたびに頑張らないと、と自分に言い聞かせ入院生活を過ごしました。おかげさまでそろそろ退院できそうです。ありがとうございます
こうして、今回「健康フェス2017」に参加することができました。イベント当日は、快晴の中、関係者の方によるとこれまでで最高の人手だったそうです。久美子さんにもお手伝い頂き、たくさんの「まけないぞう」がお引越ししました。ボランティアの大原さんもバッグに子ぞうを身に着け、子どもたちにアピールしながら販売をがんばってくれました。
久美子さんは「とても楽しかった。久しぶりに子どもをこんなにたくさん見たわ。」と嬉しそうに話してくれました。
【東日本大震災】レポートNo.282
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 9月
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すっかり秋めいて、朝晩寒いくらいですね。先月9月に岩手県に行ってきました。今回は村井顧問と、熊本地震で知り合った大阪市在住の大原久史さんも同行してくれました。大原さんは阪神・淡路大震災を経験し、その時できなかったボランティア活動をいつかしたいと胸に秘めていて、今回ご縁があり一緒にまけないぞうの活動に参加してくれました。
いつもながらですが、みなさん首を長くして待ってくれています。「ぞうさんないと淋しいわ、でもあちこちで災害があって大変だったんでしょう??」とみなさん他の被災地のこともとても心配してくれていました。
久しぶりに顔を合わせた作り手さんたちが、できあがったまけないぞうを持ちよります。中には、まるでシマウマみたない子ぞうさんを発見です!そして、近況報告もかねて、おいしいごちそうを頂きながら、おしゃべりタイムの始まりです。「ぞうさん、いつまでできるの?」、「ちょっと、体調を崩してね」「このごはん美味しいね」などたわいもない話で盛り上がります。
また、6年も経つと体調を崩す人も多いです。6年という月日を考えるとお年寄りにはとても長い時間です。中には、更年期のような症状で、肩が上がらなくなった、足の調子が悪くなってうまく歩けなくなった、腰の調子が悪いなど原因がよくわからないような体の不調を訴える人が多くなりました。
そういう中で、まけないぞうはより一層被災者の心の支えになっているような気がします。「今度ぞうさんの仲間でどこかに行きたいね」などとお話が弾むと、なんだか元気になっていくような気がします。
春に釜石市の霊場を回ったときにも、随分とアップダウンの激しい山道でしたが、みなさん必死に歩いて、疲れたはずにも関わらず行けてよかったととても喜んでくれました。
いまは売り上げもかんばしくないこともあって、みなさんにたくさんのぞうさんを作ってもらえていませんが、いつもお届けしている各地から届いた暖かいメッセージに励まされ、「一人じゃないんだ」「みんな応援してくれている」と思えるようになり、またがんばろうと明日に向かって一歩踏み出します。
~まけないぞうの作り手さんからのメッセージ~
今日は震災から早くも6年が過ぎました。仮設生活も6年、早いような・・・
日々ガンバって生活しております。仮設に入って1年位の時に出会った。“ガンバルぞうさん”のお陰で毎日が楽しく過ごしています。まだまだ復興半ばですが、これからもよろしくお願いします。
(2017/9/8 岩手県大船渡市)
注)なぜか?メッセージのなかのぞうさんは“ガンバルぞうさん”です。20年経ってもこの間違いは減りませんね(^^;)正しくは「まけないぞう」さんです!!(^^)