【東日本大震災】レポートNo.242

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 まけないぞうを回収に行くと、作り手さんに「まだ、ぞうさんあるの??」と聞かれます。回収までの時間が長いとみなさん心配で「もう、ぞうさん終わりかと思った」と言われてしまいます。そして、「そんなことないですよ。まだまだずっと続きますよ」というと、にっこり笑って「あ~よかった。」と言ってくれます。
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 被災地の様子は、以前のレポートでもお伝えしたように、決して十分に被災者の方の意見が吸い上げられてはいません。高台移転や自力再建を望んでいた人も、先の見えない不安や遅々として進まない被災地を見て諦めて復興住宅に入る方、故郷を離れて内陸に移住する方など厳しい状況が続いています。
 先日、被災者の人からこんな話を聞きました。念願だった復興住宅にやっと入れた老夫婦が「人の声も聞こえない。ただ風の音だけがする。まるで牢屋に入れられているみたい。仮設へ戻りたい」とつぶやいたそうです。鉄の扉で遮られ近所の物音すら感じず、孤独と不安に襲われているのです。阪神・淡路大震災でもそうだったが、仮設は長屋住まいで隣人の物音も嫌が追うにも聞こえ、人の存在を感じることができるのです。しかし、鉄筋のコンクリートの復興住宅では物音一つせず、部屋にいても静まりかえってしまう。
そして、住み慣れた仮設では、近所との人間関係もできていたはずだが、新しい復興住宅では、また一からコミュニティを作らなければならないのです。以前ようにボランティアの訪問も減り、コミュニティをつくるきっかけも失われています。その言葉を聞いた別の被災者は「本当にコミュニティは大切だよ」というその言葉がいまも忘れられません。こうして被災者は、避難所から仮設、復興住宅と、何度も何度もコミュニティを作り直さなければならないのです。これは阪神・淡路大震災でも同じ状況でした。なぜ、このように不条理なことがまた繰り返されているのでしょう。
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そういう状況のなか、ぞうさんの作り手さんは、まけないぞうを作ることで心癒されています。陸前高田市の作り手さんのメッセージを紹介します。
「購入者・材料提供者・センターの皆々様、ありがとうございます。梅雨の中、縫い重ねる内に歌詞の一部のようにつぶらな瞳のかわいい子が増えていきます。だんだん情けが移って『かわいい、かわいい』と愛される子でありますように願い、型がくずれないでお客様に届いてねと願います。23年9月から心の穴を埋めるように熱中する・・そんな時が今に至っています。」(2014/06/22 岩手県陸前高田市 65歳女性)
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 別の作り手さんは、「ぞうさんを作り始めて3年が過ぎ、私も年をとり、腰が曲がってきました。でもぞうさん作りをしているととても若い気持ちで幸せです。私の作ったぞうさんが人の心を和ませるのか思うと涙が出ます。ぞうさんありがとう!」(2016/06/22 岩手県釜石市 88歳女性)
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 「私はイライラしたときに作るの。そうすると心が癒されて落ち着くのよね。ぞうさんに心癒されているのよ!」と言ってくれる人もいます。
 こうして、まけないぞうは3年半が過ぎた被災地で、静かに被災者の方たちに寄り添っています。
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