7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 9月6日
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約1ヶ月ぶりの遠野はすでに秋の気配です。田んぼも黄色に色づいていました。夜は肌寒いくらいです。
今日は快晴の中、ぞうさん号を走らせ釜石市の尾崎白浜へ伺いしました。みなさん、広島などの水害のことをだいぶ気に掛けてくれていて、「きっと被災地に行っていると思ってたよ。あれじゃ津波より大変だ」ととても心配してくれていました。災害は起きては欲しくないことですが、こうして、被災地から被災地の支え合いの輪が育まれていくんだなぁと、あらためて実感します。
ここ尾崎白浜では、廃校になった小学校が当時の避難所でした。土地がなかなかないので、その小学校を壊して、復興住宅を建設する予定です。今回その学校が壊されて、平地になっていました。工事も思うように進んでいないようで、8月に着工という話がずれ込んで9月という話を行政から聞いているそうですが、今日までに着工できていませんでした。「オリンピックがあるから、向こうに集中しちゃってるんだよね」と。「私が生きているうちに復興住宅に入れるのかね」と不安は尽きません。
仮設も統廃合になったり、一度部落外の仮設へ出たり、入ったり、また自力再建して仮設を出た人など、コミュニティはバラバラです。小さな部落でも一度コミュニティが崩壊すると、心までにバラバラになってしまう現実がそこにありました。
作り手さんが一言「なんか淋しいんだよね」とぽつりつぶやきます。作り手さん同士、同じ仮設のお隣さんだったのですが、自力再建をした人と、仮設から仮設へ移動し、行き来が難しくなり、私が訪問したときに「久しぶりだね」と会話をされていました。車ならほんの5分くらいですが、高台に家の再建した人の自宅へ行くには舗装されていない山道を進まなければなりません。
この道は津波がきた当時、林道でしたが、海側は流されたため隣の部落へ行くための命をつなぐ道の一つでもありました。いま生活道路なっているため、早くこの道を舗装してみなさんが安心して行き来できるようにしてほしいです。
そして、久しぶりの再会に話も弾み、ご馳走を頂きながら楽しい時間を過ごすことができました。makenaizoneのみなさんから届いたメッセージをお渡しすると、「いつもこのお手紙を楽しみにして、ちゃんとファイルに挟んでいるんだよ。私が死んでからも何をしていたかわかるでしょう」と、とても喜んで下さいました。
以前、ボランティアさんに作って頂いた、ベランダも健在です。他にも教えてもらった手芸などで趣味が広がったと作品がたくさん増えていました。
午後は、今の時期に釣れるという海水にいるワカサギ「ちか」という魚を釣りに出掛けました。「津波前は、自宅からすぐが海だったから、魚がいる!といってすぐに家に道具を取りに戻って釣りをしていたけど、いまは遠くなったから、気軽に来れないのよ」と。久しぶりの釣りを楽しんでおられました。帰りはバケツ一杯の大漁でした。
帰りは鹿さんがお見送り。大きな立派な角をした雄鹿でした。