【東日本大震災】レポートNo.245

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月8日  
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今日は神戸大学ボランティアバスの主催で「まけないぞう同窓会」を開催していただき、沿岸の作り手さんの交流会ができました。普段はなかなか出会えない作り手さんが、顔を合わせぞうさんの作り方や情報交換、それぞれの地域の復興の進み具合など、普段話せないようなことなどをざっくばらんに話し合いました。
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 みなさん最初は緊張気味でしたが、ぞうさんを見ると「これどうやって作っているの?」「へーそうなんだ」「私はこうしているわ」などなど会話は弾みます。「ぞうさんはどれもかわいいけれど、私が作ったのが一番かわいいわ」と嬉しそうに話してくれます。そして、今回のお弁当は大槌町で被災したお肉屋さんが用意してくれた巻き寿司でした。また大船渡の作り手さんは銘菓「甘ほたて」を差し入れもあり、舌鼓を打ちながら会話も弾みました。
ぞうさん_s.jpg
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 そして、話は復興状況についても触れています。大船渡は?釜石は?大槌は?自力再建した人、復興住宅を待つ人、高台移転を考えている人など、それぞれ立場が違います。
交流会場にいくまでの車中から「この辺は新しいお家がいっぱい建ったね。うちの報はまだまだ全然進んでないわ」と、普段ならきっと気を止めないような新築のお家が今ではとても気になる様子です。また震災当時の話にもなります。「私は津波の当日は野宿をしたの。孫はまだ9ヶ月くらいで、その子の食べるものやオムツにとても苦労したの。ちょうど離乳食の時期で、お母さんのおっぱいも出なくなり、急いで持ち出した買い物袋に中にあった、野菜ジュースや少しの離乳食でその場をしのいだの。あの時は本当に辛かった」と。
「仮設に入った時も何もすることもなく、ずっと部屋に閉じこもっていたの・・・」「今でも何かしていないと一日がとても長くて、お茶会に行ってもうなづいているだけだと疲れるし」など、3年半の節目が近づいているせいかなのか、みなさん不安を口にします。節目節目に不安が波のように寄せては引きを繰り返しています。
 「高台移転も進んでないよ、せっかく木を切ったのに、また生えてきちゃっているし。だから当初より希望者減って、自力再建や復興住宅を考えるようになり、高台移転もいつのことだか、早くしないとあの世にいっちゃうよ」など、悩みは尽きません。
仮置き場_s.jpg
 不安を口にしながらも、「ぞうさんに心癒されているの」「ぞうさんがないとだめ」「今度この手芸教えて!」と。そして「今回の水害に関して私たちにもできることはないの?」と心配してくれました。「私たちの津波は地震がきてから逃げれば助かるけど、山津波は突然くるから,大変だよね。私たちより向こうの人は大変だ。」「私たちの高台移転の土盛りもちょっと心配になってくるけど、行政は大丈夫だと言っているから」と不安をにじませながら、他の被災地に心を寄せてくれています。支え合いの輪が確実に広がっていることを実感します。
乾杯_s.jpg
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 神戸大の生徒さんの若いパワーに元気をもらったようです。学生さんに足湯もしてもらって、笑顔が耐えない会になりました。帰りはみなさん「とても楽しかった」とおっしゃってくれました。
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 【まけないぞう一言メッセージ】
私がまけないぞうさんに出会ったのは知り合いからプレゼントにもらったのが最初でした。とてもかわいくて、やさしい気持ちになりました。自分もまけないぞうさんを作ることができ、誰かの心を癒してくれればと思いながら、一つ一つ心込めて作っております。まけないぞうさんに感謝しています。
(2014年8月11日 釜石市甲子仮設 60代 女性)