【東日本大震災】レポートNo.272

あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 今日30日で東日本大震災から2000日を迎えました。河北新報(2016/08/30)では「東日本大震災の発生から2000日目を迎えた30日、東北の被災地では復興への取り組みが続いている。そのスピードは、地域によって大きく異なる現実がある。」と伝えています。
仮設の集会所では、遠野の「ふきのとうの会」のみなさんがつるしびなの講習会を定期的に開催しています。みんなの笑い声が夏の暑さを吹き飛ばします。「ふきのとうの会」のみなさんは「3.11」の震災の直後から、「まけないぞう」の作り方を沿岸の被災者の人たちに伝えてくれて、いまでも3カ所の仮設でつるしびなの指導に行っています。5年経ったいまでも継続的に活動を続けている貴重な団体のひとつです。
 今回は「押絵(おしえ)」というもので、舞妓さんをモチーフにした作品です。これらの作品はひな祭りのときに、遠野で展示・公開されます。これまでの間にも多くの作品が生まれています。
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 みなさんつるしびなを作るのを楽しみにしています。
 仮設にそのまま残る人、仮設から引っ越した人、津波後に別の街に引っ越した人、これから引っ越す人など復興への道はそれぞれ違いますが、みなさんそれぞれのそのことを受け止めています。そのメンバーの中の人には「ここの仮設に入って本当によかった。こうしてみんなと仲良くできて、手芸もできたし、ここじゃなければこんなふうにできなかった」と。もうすぐ仮設からの卒業して復興住宅に引っ越すのですが、引っ越ししても毎月つるしびなの日には、仮設の集会所にくるそうです。こうして、少しでもコミュニティの維持ができれば、離れても寂しくなかったり、孤独を感じることも少ないと思います。
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 復興住宅での新しいコミュニティづくりが課題となっているいま、また改めて被災地に目を向けてほしいものです。
~訂正とお詫び~
2014年7・8月豪雨災害レポートNO.50の中で、「広島の被災地を歩いてみると、流れたお墓の救出などに関わった現場では、お墓の区画ができあがり、新しくなったお墓が目立ち、観音様が建立されていました。」の中の観音様はもともとあったもので、観音様の台座の碑文が新しく刻まれていました、というのが正確でした。
NO.51で「法要を行ったのは、広島密教青年会の有志の方たちです。」とお伝えしましたが、ただしくは「高野山真言宗広島青年教師会」でした。合わせて訂正してお詫びいたします。

【東日本大震災】レポートNo.271

あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  7月30日
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 沿岸では、国土強靭化の名の元ハード面の復旧が粛々と進んでいます。復興予算として計上された総額は5兆6328億円です。執行しているのは2015年度で65%とされています。たまたま地元紙を見ていたところその横の記事には公的年金の積立金を運用し、その総額が5兆3098億円だったと伝えられていました。一体この国はどうなっているでしょうか?
 沿岸を車で走ると、高い防潮堤が要塞のごとく街を取り囲み、住宅よりも高く、その近くにいくと到底海などは見えません。山は削られ、生態系が崩れ、山津波を心配する人々。「こんなはずじゃなかった」という声も聞こえてきます。前に「壊すのは簡単だけれど、植物が育つには何年もかかるんだよ」ということを言われたのが心をよぎります。
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 「復興道路」も整備が進みます。リアス式の三陸沿岸には復興道路として三陸縦貫道の建設が各地で進んでいます。いままでだったら立ち寄っていた道の駅も縦貫道が整備されることで通り過ぎてしまうケースが見受けられます。大船渡にある国道45号沿いの「道の駅さんりく」もその一つです。これまでは、売り上げも好調ということでしたが、「同道の駅は、吉浜道路開通の影響などで昨年度の売上高(三陸直売組合の受託販売分を除く)が約2億4300万円(前年度比94・6%)、物産センター部分の来館者数は過去10年間で最少の16万9707人(同約2万人減)と落ち込んだ。」(岩手日報2016/08/19)と伝えています。こうした売り上げの減少は直接被災者の収入にも影響します。直売組合員の人たちは津波の被災者です。収入が維持できなければ生活を圧迫することになります。「復興」という名の道路が、被災者の人たちの生活を圧迫して本来の「復興」の意味とは違います。
 よく被災地でいわれるのが「ショック・ドクトリン=惨事便乗型資本主義」というものです。被災地に大型の資本がはいり、地元の中小零細企業がこれまでの通りの生活がいきゆかなくなるのです。一方で、そのくらいでダメになるならしょうがない、もっと競争力を持って商売をしないといけないんだと指摘する人もいます。これまでの通り食べていくに困らない程度に仕事を生きがいとしてきた人の生業を奪っていくことが復興なのでしょうか?住民の十分な合意形成もないまま、外部の大手資本を誘導し、それに負けないようにしないといけないというのは、強引だと思います。復興住宅にコミュニティづくりとしてテナントを用意してもテナント料が高くて空き店舗になったりと、一体だれのための何のための「復興」なのでしょうか?そこに生活するのは被災当事者である地元の住民です。その人たちが主人公なのです。
 毎回感じてはいるのですが、年を追うごとに、沿岸の変わり果てた姿をみて、まざまざと人間の傲慢さを感じ、強い憤りを覚えました。             
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【東日本大震災】レポートNo.270

被災地NGO協働センターです。
あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 東北も梅雨明けです。梅雨の肌寒さが嘘のように、夏の暑い日差しが照り付けています。
それでも、東北の夏は涼しく風は爽やかです。緑が深く、青い空、夕焼け、星空と何度来ても自然の豊かさを感じさせてくれます。こんな自然をいつまでも大切にしたいものですね。
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 久しぶりに伺った作り手さんは1ヶ月前に仮設から災害復興住宅に引っ越しをされていました。海辺から山奥に仮設が建てられ、「奥に引っ込んでたの」とみなさんに話しながら、部屋のドアはガラス張りで明るく、開放感があり、海風が心地よく通っていきます。
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作り手さんも「ここはいいのよ~、風が仮設とは違うのでしょ??涼しいのよ。ここはお友だちもたくさんいるし、お寺さんも近くて、窓から見えるのよ。だから毎朝、お寺の鐘とともにお部屋から手を合わせるの。」と仮設にいた頃より、とても明るく笑顔が素敵でした。「毎日お友だちとお茶のみしながら、おしゃべりして、忙しいのよ~。」と本当にうれしそうに話してくれます。
 住み慣れた場所に戻るというのは、これほどまでに人を変えるということを目の当たりにしました。
 そして、近くに住むお友だちが「ぜひ、まけないぞうを作りたい」ということで、久しぶりにぞうさん講習会です。ふと思い出したのが、この災害復興住宅が建った場所は、震災の時、避難所になっていた体育館だったところなのです。
 また、そこで偶然にもまけないぞうの講習ができるなんて、とてもうれしいような懐かしいような気がしました。当時はこんな様子でした。ロイター通信記者の我謝京子さんがmakenaizoneの主宰青木先生と取材に来てくれたところです。
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 「そうだね~懐かしいね~」と話を弾ませながらチクチクとぞうさんが出来上がっていきます。
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それぞれの復興への道を歩みつつあります。

【東日本大震災】レポートNo.269

被災地NGO協働センターです。
あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 久しぶりの作り手さんとの再会はとても嬉しいものです。みなさんにご支援頂きました“まけないぞう号2代目”が緑の中を走り抜け、作り手さんのところへお伺いしました。これもひとえに「まけないぞう」を応援してくださるみなさまのお陰です。ありがとうございました。作り手さんにそのことをお伝えすると「え~ほんとに??私も寄付しようか??」とうれしい言葉を頂きました。そんな風にみなさんが「まけないぞう」のことを想って下さっていて本当に「まけないぞう」は幸せものです。あらためてお礼を申し上げます。
そして、makenaizoneのみなさんが届けてくれたぞうさんのお手紙を作り手さんにお渡ししました。「わぁうれしいね~」「私のぞうさんはどこの国へ行くんだろうね」「ぞうさん活躍してるね」ととても喜んでくれました。
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 さて5年が過ぎ、やっと仮設を出て新たな暮らしがはじまった人もいます。「私はやっと先が見えてきて、これからはよくなる一方です。だから、熊本の人のことを考えるとこれから大変だろうから、私はそろそろ卒業して、今度は熊本の人に必要な人がいればぞうさんをしてもらいたい。私も仮設に来た時は、知らない人ばかり、コミュニティが大変だった。それで一人になって部屋にこもりたいこともありました。そんな時に部屋のなかで何もしないでぽーっとしているより、まけないぞうがあってとても助けられました。」と言ってくれました。なんだか寂しいような、うれしいような気持ちが入り混じりました。
 5年という月日がさまざまな変化を生み出しています。再建をできた人、まだ造成が終わらず2~3年はかかる人など、それぞれ立場違います。「私は、ここで(仮設)最後までがんばる」という人もいます。
 8月1日には岩手県最大の災害復興住宅への入居が陸前高田市で開始されました。それは「県営栃ヶ沢アパート」です。9階建てと8階建ての2棟301戸が整備されました。河北新報(2016/8/1)によると、「だが、持ち家が中心の市民に高層集合住宅はなじみが薄く、新たなコミュニティづくりや防災対策が課題となっている。アパートは高台の市役所仮庁舎近くに立地する。県大船渡土木センターによると、現段階の入居見込みは206世帯。このうち、一人暮らし高齢者は24.8%に及ぶ」と伝えられています。
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 こうして、まもなく5年と4ヶ月が過ぎようとしていますが、被災者のみなさまはそれぞれの復興への道を歩みつつあります。これからも末永く見守り続けてください。