【東日本大震災】レポートNo.277

あれから6年、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
今号は少し長文になります。お許しください。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 2017年3月11日七回忌法要  
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 今年の3月11日は仏教では7回忌にあたります。この節目の命日に各地から被災地に足を運んで頂きました。10日にはいつもまけないぞうを応援してくださっている釜石市の不動寺の住職補佐森脇妙紀さんを作り手さんと訪ねました。
 お参りした場所は、釜石市小川町にある西国三十三カ所の霊場です。これは地元の実業家が大病を患い、弘法大使に助けられたということから、四国八十八カ所と西国三十三カ所をつくり、本尊の菩薩像や如来像などの石仏を設置したものです。昔は遠足や市民の憩いの場所だったということをまけないぞうの作り手さんや地元の方にお聞きしました。けれども近年は次第に訪問者も減少し、荒廃が進んでいたところ、不動寺さんに霊場の再建のお話があり、現在各地のお寺や地元の市民の方により再建が進められています。
お遍路_s.JPG
全員集合_s.JPG
 今回はそちらの西国三十三カ所の石仏にまけないぞうの作り手さんが赤いよだれかけを33枚つくり、7回忌ということもあり、そのよだれかけを地元の市民の方々とかけながら供養させてもらいました。この日は高野山真言宗総本山金剛峯寺の社会人権局からは木下友真さん、雨貝覚樹さん、西蔵全悠さんと神戸からのボランティア家藤美仁さん、溝渕裕子さんのみなさんでお参りをしました。
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 作り手さんのお一人は「足が痛いから車で待っている」と言っていたのですが、いてもたってもいられなくなり、途中から森脇さんに連れられ、山道を登って最後の札所33番によだれかけをかけ供養することができました。「だって~ここまで来たんだもの、私もお参りしたかったのよ~」と足の痛さも吹き飛んだように、必死に歩きながらみなさんとお参りできてとてもよかったです。
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また当日の3月11日の命日には森脇さんと“歩き供養”をさせて頂きました。今年の7回忌にあわせて2014年に発生した広島土砂災害でお世話になった薬師寺の住職猪智喜さん、高野山真言宗心の相談員矢木孝さんと家藤さんとともに参加させて頂きました。
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街でお経をあげながら歩いていると、いつもは車で通りすぎてしまい、気づけないことに気づくことができました。未だに残る津波の爪痕、昔賑わいを見せていた横町の跡、復興の兆しをみせる地元の商店のみなさんなどいろいろな想いが駆け巡ります。
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また、海にお経をあげた後には、お布施をもってこられ、「ちゃんと用意していなくて裸ですみません」と森脇さんにお渡しする姿をみて、なんだかとても温かい気持ちになりました。中には小学生が10円玉を握りしめ駆け寄ってくる子どもたちもいるそうです。
あの6年前の大津波で何もかも奪った海、あれから海をみても素直にきれいとか、あまり感じられなくなっている自分がいました。でも被災者の方が、「時折あの津波がなかったらこんなにいろんな人に会えなかったよ。津波のお陰だよ」と話してくれる時もあります。複雑な気持ちが入り混じる海に向かって、みなさんとお参りできて、とても貴重な時間を過ごすことができました。
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午後には大船渡市のいつもまけないぞうで通っている後ノ入仮設での法要に参加させて頂きました。神戸大学の学生さんも来ていて、にぎやかにみなさんと被災地の様子などをお話ししながら、供養させて頂きました。この仮設は当初は76世帯だったのが、いまは23世帯となり、津波後仮設や再建などをしてから亡くなられた方が13人~14人ほどいるそうです。6年という月日の重みをあらためて感じさせられました。
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夜には同じ広島から西福院の住職生村健空さんが栃木で東日本大震災で犠牲になった動物たちの法要の後に合流してくれました。翌日作り手さんのところへお邪魔しました。なんと偶然にもその方は地元の真言宗の檀家さんで、ご同行してくれた広島の真言宗の僧侶の方とともにお経をあげて頂き、素敵なご縁ができました。
~まけないぞうの作り手さんからのメッセージ~
今年の3月11日は仏前では7回忌になります。精神的な区切りの年になるのかと思います。「まけないぞうさん」を作って5年になります。最初は仮設住宅の集会所で講習を受け、その後1年ほど多雨期に1~2回集まって作りました。そして、幼稚園などに行って園児達に手渡しました。よろこんで受けとってもらえました。私の娘はイギリスにくらしており、現地で支援してくれた方々にもお礼として贈りました。今は個人でそれぞれ製作しております。楽しい時間をありがとうございます。        (2017/1/7 宮城県石巻市)

【東日本大震災】レポートNo.276

あれから6年、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 6年が経過した被災地を訪れました。今回は、東日本大震災の発生直後からタオル仕分け隊としてまけないぞうを応援して下さっている家藤美仁さん、阪神淡路大震災から障害者支援で奔走していた溝渕裕子さんが神戸から同行してくれました。道中は時折、雪が舞う中、3人で快走でした。お二人のお陰で無事に岩手に到着です。
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 到着してからも私たちを歓迎??するように時折、吹雪いていました。そして、拠点が遠野市から陸前高田市に移り、早速引っ越しです。春の嵐のような雪が降る中、遠野と高田を何度も往復し、お二人のお陰で無事に引っ越しも完了しました。
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 翌日からはお二人と大槌町にまけないぞうの回収に行きました。以前家藤さんが訪ねたことのある作り手さんを訪ねました。仲の良いご夫婦で、手作りのおつけもの、「こまこま」(地域によってはざくざく)という野菜を細かく切って炊いた煮物やワカメの茎の炊いたんなどの郷土料理を作って待ってくれていました。お土産にお持ちしたぞうさんグッズとパチリ!ご夫婦は順調にいけば、8月くらいに戸建ての復興住宅に入居予定です。狭い仮設での生活も限界で、新居の話をするときはうれしそうに話してくれます。
 
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続いて、もう一人の作り手さんのところにいくと、マスコミでも取り上げられていましたが、大槌町での住宅再建補助での話が話題になりました。大槌町は津波を受けた造成地を区画整理して新たにそこに家を再建する人に補助金として100万円を出す方針を示しましたが、すでに家を再建した人との格差が生じるとして保留されるということがありました。これは、区画整理してもなかなか移住などが進まず、いまのところ空き地が出てしまっていることから生じる行政の失策か・・・?
自力再建、復興住宅、被災地外への転居など大きく環境が変わろうとしている中で、人口流出の問題、コミュニティの再構築、高齢化、雇用創出、ハード優先の復興における課題がさまざまな形で6年が経過した被災地に押し寄せています。
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