あれから5年目、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月13日
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いつものようにまけないぞうの回収に行くと、たわいのない話に花が咲きます。ある作り手さんは毎日「こうして今日も一日無事に過ごせた」と感謝の気持ちを込めてお祈りするそうです。そんな話をしているうちに、「あの時は本当に地獄だった。この5年間ぞうさんがなかったら、どうしていたかな。ぞうさんに癒されてここまで5年間やってきたのよ。津波のお陰とは言えないけれど、それでみなさんとこうして出会えたことは感謝しています。」と涙ながらに話してくれました。彼女に最初に会ったのは、震災の年の5月頃で「お父さん(旦那さん)は津波で流されたけれど、うちはまだましよ。すぐに遺体も見つかったし、まだ見つかっていない人もいるから」という言葉を聞いたのが衝撃でした。息子さんも流されているのですが、いまだにまだ息子さんのお話は本人の口から聴いていません。
どんな気持ちでこの5年間過ごしてきたのかと思うと私も涙がこぼれました。
そして、今年やっとこの5月に復興住宅が完成し、仮設から引っ越す予定です。彼女は仮設で仲の良い3人のぞうさんチームの一人でしたが、他のみなさんが先に自力再建や復興住宅に移ってしまい、不安な日々もありました。1年前に彼女が話してくれたつぶやきです。当時のレポートを一部抜粋して紹介させて頂きます。
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「私、最近鬱かしらと思うの…」と涙をこぼしながら話し出しました。「全て失い、忘れることは絶対できないけれど、こんな辛いことがあったお陰でみなさんにこうして出会い、ぞうさんも作ることができたのよ。過去は変わらないから、前を向いて歩くしかない」と心の底から振り絞って言葉を発していました。取り残されていく孤独感、寂しさをこう話すことで、何とかぎりぎりのところで踏ん張って、いまを生きているように感じてなりませんでした。
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また、別の作り手さんも高台の造成が今年の夏頃には終わる予定で、来年のお正月には新居で過ごせる予定だそうです。彼女は「孫3人で川の字になって寝るのが夢」と話してくれました。仮設の狭い部屋ではそれがかなわず、孫たちが帰るときにいつも泣くそうです。それが辛くて辛くて5年間も我慢してきたそうです。
一年前の彼女のつぶやきです。
「あの日から4年、復興も思うように進まず、家族が思いもよらない病気をし、気持ちがしずみがちになり、なにもしない日が続いた時、自分がしっかりしないとと思い、ためしにぞうさんを作ってみました。一つまた一つ、そのたびに気持ちが楽になり、がんばれそうな気がしました。本当まけないぞうさんありがとう!」
そして5年経ったいま彼女は「やっと希望が出てきた。故郷に帰るって決めたから、あとは前だけ向いていくしかない」と。その言葉に覚悟を感じました。
「家ができたら、お茶のみでもしましょう」という彼女の希望に満ちた笑顔が晴れ晴れしくもありました。
厳しい冬を乗り越え、少しずつ被災者の方たちにも春の足跡が聞こえています。