東日本大震災】レポートNo.263

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月7日
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 8月7日は陸前高田市のうごく七夕まつりでした。いつものようにきらびやかに飾られた各地区の山車が被災地を練り歩きます。みなさん待ちに待ったかのように、嬉しそうに山車を担いでいます。ただ、高台の造成が進み、工事エリアは立ち入りが禁じられ、伝統の場所での開催は今年が見納めになったそうです。山車も去年より少なくなり、少し淋しい感じもしましたが、おまつりの間は一時でも辛いことを忘れ、笑顔がこぼれます。
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 みなさん笑顔で歩いている陰にも、「あの人、お父さん、お母さん、弟を亡くして、おじさんがまだ見つからないの」と。また久しぶりに仮設で一緒に住んでいた人と出会い、再会を喜ぶ姿もありました。
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夜になると電飾に飾られた山車がライトアップされ、真っ暗な被災地を照らしました。
ある被災者の方が、「なんにもなくなったから、山車がやけに明るく目立つね」とつぶやきました。
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まけないぞうの作り手さんも、いつか高台移転をしたときに、「ぞうさんでコツコツためているお金で新築した自宅に、記念に残る何かを買う予定にしてるんだ」と嬉しそうに話してくれました。
 一方で、8月27日の毎日新聞によると、陸前高田市の小規模スーパーが閉店を決意したそうです。
「土地のかさ上げが進む市街地から高台へ続く坂道沿い。長屋風のプレハブ店舗には『ナインマート』の看板が掛かったままだ。『寂しいけど、競争だから仕方ないね』。昨年12月まで店を運営していた中田商事の社長、安達清次さん(53)が看板を背につぶやいた。
津波は中田商事の前社長と従業員計3人の命を奪った。急きょ社長を継いだ安達さんは翌月、トラックで移動販売を始める。4カ月後再開 震災後、再開を急いだのはこの時の「恩」もあったからだ。リンゴ畑の土地を借りて11年7月、小さなプレハブ店舗を建てた。開店資金3400万円の4割弱は後日、市内外の食品業者らと、国と県の『グループ補助金』を申請して賄った。オープンの朝は開店前から数十メートルの列ができた。だが翌月、地元中堅スーパーが再開すると売り上げは前月から半減した。同じプレハブでも広々とした店をのぞくと、何人もの顔見知りと出くわす。」(2015/08/27 毎日新聞より一部抜粋http://mainichi.jp/select/news/20150827k0000m040150000c.html)
 他の地域でも最近よく耳にする話です。これが真の復興なのでしょうか?政府は地方創生と言っているようですが、地方とくに被災地は悲鳴をあげているのです。
 このような現実の中で、自らいのちを落とす人もいます。4年も経って、「いつまでも被災者と言っていないで、早く自立しなさい」という心ない言葉も聞こえてきます。でもまだまだ復興の途上です。息の長い支援が必要なのは、被災地KOBEからも学びました。なかなか成果は出ませんが、最後の一人まで被災地に寄り添っていきたいと思います。
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~まけないぞう一言メッセージ~ 
 東日本大震災から4年が過ぎ、被災地以外の人々は、もう忘れているように思われますが、何年過ぎても大きな地震があるとあの日を思い出し、メンタルが少しおかしくなります。それでもこうして“まけないぞう”を作らせていただくことで、心のどこかで安心を手に入れていると思います。これからもどうぞよろしくお願いします。
(2015/06/6 石巻市 女性 58歳)

【東日本大震災】レポートNo.262

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月1日
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 今日は杉の木立をドライブしながら大船渡を訪れました。綾里の復興住宅へお邪魔すると、子ぞうさんが待ちかねていたように、作り手さんがひとつ一つ丁寧に並べて数のチェックです。「どれもかわいい」、「私のはお鼻が長いのね」「一つひとつお顔が違うのよ」「ちっちゃいのはめんけー」とおしゃべりしながら楽しそう。
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宮古島のマンゴーと岩手名物のおつけもんのきゅうりのからしづけ、甘くておいしいクルミもちと、ご当地グルメ大会みたいで、みなさん会話も弾みます。そこで、15年前に行われた綾里5年大祭のビデオを見せて頂きました。各地区の権現様の舞を披露するそうです。綾里には日本一と言われる重さ1トンにもなる綾里権現様があるそうです。みなさん夢中で「あっ誰々だ!」「あっこの人は…」「この神社の階段まで津波が来たんだよ」「何度見ても飽きないね」「夜中、ずっと見ているよ」と話が尽きません。作り手さんのお一人はお祭りで踊りの先生をしているので、大活躍するそうです。作り手さんのお父さんに聞いたら、来年6月に15年ぶりの綾里五年祭が開催することになったそうです。みなさんとてもうれしそうで「ぜひ、来てね」と声をかけて頂きました!ぜひ訪れたいです!
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 そして、午後からはいつもお邪魔している憩いの理容室さんへお邪魔すると、お客さんの車になんと子ぞうさんがぶら下がっているではないですか!!!思わずまけないぞう号と記念撮影です。高田のぞうさんチームの人がプレゼントしてくれたそうです。嬉しい再会です(笑)
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 夜は「三陸・大船渡夏まつり」が開催されました。岸壁から近い海上で8000発の花火が
打ち上げられました。防潮堤や護岸工事、盛り土の造成工事などで会場も様変わりし、いつもと会場が変わったりしていましたが、それでも、同時に海上七夕という船団が巡航し、海にはきらびやかな七夕の灯りと空には大輪の花を咲かせていました。私は、自力再建された理容室さんのお宅で絶景のもと、花火を楽しませてもらいました。
 その花火や灯り一つひとつに一日も早い復興への祈りが込められていると感じました。
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~まけないぞう一言メッセージ~ 
まけないぞうさん、ずいぶん他国にも愛されてうれしいです。一針一針縫ってて出来上がるごとにますます可愛さが増す。ぞうさんの力がものすごくあって、これからも大活躍することと思います。作り手の方々もみな喜ばしいことです。
(2015/06/15 大船渡市 女性 81歳)

【東日本大震災】レポートNo.261


あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 7月26日
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 先日、遠野仮設では”流しそうめん”をしました。夏の日差しが降り注ぐ中、みんなで食べるそうめんは格別です。久しぶりにお会いした方もいらっしゃいましたが、みなさん元気そうでした。ミニトマトなども流れてきましたが、取りづらくて子どもたちは、手づかみでおいしそうにほおばっていました。ぞうさんも流しそうめんを堪能していましたよ。
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そして、午後からは、釜石の復興住宅の作り手さんのところへお邪魔しました。沖縄の宮古島から届いたマンゴーをお届けしました。「珍しいものを!」と大変喜んでくださいました。こちらの作り手さんは、もう89歳になります。いつも「指先がしびれる」というのですが、「ぞうさんをすると大丈夫なんだよね」と。ぞうさんの材料がくるといつも夢中になって毎日作っているそうです。娘さんが「ぞうさん、こないとボケちゃうよ」と言って笑っています。
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また、復興住宅の中庭には、住民の方が丹精込めて育てている野菜やお花が所狭しと育っています。以前のレポートでもお伝えしましたが、津波をかぶったお花もしっかりと大地に根を張っていました。その時のメッセージです。「もう4年ですってね。私そのうち何をしてたかしら…。でもね、津波をかぶったアヤメとマーガレットと菊、これらは港町から掘り出してきて、去年から花をつけてくれるんです。毎日水やりをして、私も元気です。私たちのほかにも災害は色々起きます。心の痛むことばかりね。でも命ある限り頑張ります。ぞうさんに慰められながら…。」
 今日はそのお花たちを見せてもらいました。
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被災地の各地に津波をかぶった花々が力強く咲いているのを見ると自然の力強さを感じます。同時に人間の身勝手さも感じます。
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豊かな恵みをくれる自然を見習い、謙虚に共生していきたいですね。
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~まけないぞう一言メッセージ~ 
ゾーさん作りは、私は楽しいです。上手ではないけど、私の作ったゾーさんも可愛がってあげてください。
(2015/06/15 大船渡市 女性 72歳)

【東日本大震災】レポートNo.260

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月6日
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 各地で酷暑が続いています。70年目の暑い夏、広島に原爆が投下された8月6日、今朝の遠野では8時15分にサイレンとともに、町内放送で「今日は広島に原爆が投下された日、遠野市は核廃絶を訴えている街です。平和への祈りと犠牲になられた方たちへ黙とうを捧げましょう」というアナウンスが流れ、東北の地から広島に向けて祈りが捧げれました。
そんな東北では、少し遅れて梅雨開けし、海開き、七夕祭り、花火大会など夏の催しが各地で行われています。
 7月26日には、大槌町の吉里吉里海岸で4年ぶりに海開きが行われ、砂の芸術祭が20年ぶりに復活したそうです。吉里吉里(きりきり)というのはアイヌ語で白い砂、砂浜を歩くとキリキリという音がするなど諸説あるそうです。震災で砂浜がガレキで埋まり、人々の手によって一部が復活したものの、防潮堤などの工事の影響により、来年はまた海開きができるかどうかという状況ですが、子どもたちは嬉しそうに海で遊んでいました。いまだ被災地に各地では海岸や砂浜が流失したり、地盤沈下したまま戻っていない場所が多くあります。そんななかで一部でも復活したことは被災地の人々に笑顔を取り戻してくれます。
 たくさんの恵みをもたらしてくれる海、そして、今回のように時に人間にはかなわないような刃を向ける自然の驚異といった二つの顔をもつ大自然と私たちはどう向き合って暮らしていくか考えなければなりません。
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海岸では、まるで要塞のような防潮堤が街を囲い、住民の方々は「おかしい、いくら高くしたって、無理だぁ。こんなに防潮堤を高くするなら、高台に逃げる避難路を整備して、防潮堤は海が見えるくらい低くていい。」と口々に話しています。
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 なかなか住民の人たちの思い通りにいかない町の復興に、あきらめ感が漂い、「来年もこの暑い夏を仮設で過ごすのかしら…」とため息交じりのつぶやきが聞こえてきます。また、前回の訪問でも感じましたが、今回も体調を崩したり、病気になった方もいらっしゃいます。仮設で亡くなられた方もいらっしゃると聞きます。「仮設では死にたくない」とみなさん口をそろえてそういいます。けれど、4年の歳月が過ぎ、現実は厳しいものがあります。政府はいま、戦後70年を迎え安保法制法案など被爆国としては首をかしげるようなことばかりですが、被災地はいままだ復興の途上です。そんな被災者の言葉に耳を傾け、被災者の最後の一人が復興するまで、真摯に取り組んでほしいと切に願います。
今回は作り手さんに当センターの元スタッフから宮古島のマンゴーをお届けするとともに、いつも応援してくださるmakenaizoneのみなさんからのお手紙をお届けし大変喜ばれています。みなさんどうもありがとうございます。
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【東日本大震災】レポートNo.259

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 7月23日
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 神戸で、台風に遭ってそのまま北上するとなんだか雨雲をそのまま連れて岩手入りしたようです。岩手には“避暑”にきたつもりが、とっても暑くて内陸や沿岸の一部では38℃前後まで気温が上がっていたそうです。雨雲は内陸の一部の田畑に恵みの雨をもたらしたようですが、沿岸ではほとんど降っていないので、困っています。
今回、7月24日~28日の5日間は例年お世話になっている川徳さんで沿岸の支援活動をしている10団体が出展した「第4回岩手発手しごと絆フェア」を開催しました。主催は復興グッズ連携会議、後援は東京大学被災地支援ネットワーク、盛岡情報ビジネス専門学校、協力は株式会社川徳というメンバーでした。リピーターのお客さんもいらして、昨年に引き続き盛岡情報ビジネス専門学校の生徒さんも販売のお手伝いをして頂き、強力なサポーターでした。
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学生さんの中には、沿岸の被災地出身の生徒さんもいらっしゃいました。直接被害を受けた人そうでない人も、津波による故郷の変貌ぶりに心を痛めているようです。これまで思い出をつくった地域がなくなるなんて、本当につらいことだと思います。中には沿岸の宮古に住んでいるお母さんにまけないぞうを宣伝してくださり、ネットで神戸にわざわざ注文をくださった親御さんもいらっしゃいました。ありがとうございます。
そして、ちょうど初日にテレビ取材を受け、その日の夕方に放映があったようで、吉里吉里の作り手さんから、電話で「いまテレビに映っていたよ!すごいね。うれしいわ」と連絡を頂きました。とっても喜んでいただけました。被災地を忘れられそうな現状で、こうしてみなさんが各地から応援してくれることが何より被災者の方の心の励みになります。
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また、今回は元スタッフの宮古島の仲間から特産のマンゴーを毎年被災地に届けて頂き、作り手さんにプレゼントしました。東北ではめったに生のマンゴーをみないので、みなさん珍しい南国のフルーツを堪能しています。
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~まけないぞう一言メッセージ~
東日本大震災から4年が過ぎ、被災地以外の人々は、もう忘れているように思われますが、何年過ぎても、大きな地震があるとあの日を思い出し、メンタルが少しおかしくなります。それでもこうして「まけないぞう」を作らせて頂くことで、心のどこかで安心を手に入れていると思います。これからもよろしくお願いします。
(2015/6/6 宮城県石巻市 女性 58歳)

【東日本大震災】レポートNo.260

先日増島が岩手に入っていた時のレポートの続きをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  6月8日
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 新緑の中、紫陽花を眺めながら沿岸へ車を走らせます。でも沿岸に行くと、その光景の落差に心が折れそうになります。トラックがこれまで以上に行き交い、復興道路や防潮堤、かさ上げといったハード面の復興が進み、被災者の人たちが取り残されているよう気がします。
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3月に訪ねたときには、いつ家が建てられるのかわからないと言っていた作り手さんの一人が急きょ自力再建へ向けた動きが始まり、この7月には新築へのお引越しが完了するということでした。新居ができたらそこに飾るためのタペストリーを作っておられました。
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 また、同じ地域で被災されて高台移転を待つ、作り手さんは来年の4月まで土盛りが終わらずそれ以降に土地の明け渡しがあり、それから家の建築がはじまるそうです。けれどそれはあくまでも予定なので、どうなるかはわかりません。「いつも行政には裏切られているからもう期待していないけどね」とため息交じりのつぶやきが聞こえてきます。
その方の旦那さんは、この3月に心筋梗塞をおこして入院されたそうです。「弱いところは見せないのよこの人は」とお友達が言いました。そんなことに気づけず、必死にがんばっていた彼女の気持ちを思うと、いたたまれない気持ちになりました。
 そんな彼女がメッセージをくれました。
「あの日から4年、復興も思うように進まず、家族が思いもよらない病気をし気持ちがしずみがちなり、何もしない日がつづいた時、自分がしっかりしないとと思い、ためしにぞうさんを作って見ました。一つまたひとつそのたびに気持ちが楽になり、がんばれそうな気がしました。ほんとうに(まけないぞうさん)ありがとう。」
まけないぞうが彼女に寄り添っていてくれました。
 仮設の統廃合も進みつつあり、せっかく慣れた仮設を引っ越さなければならない状況がくるかもしれないという不安があり、「私たちは仮設から仮設への引っ越しはしたくない、ここを出るときは最後にしたい」とおっしゃっていました。
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 土盛りは各地で進みつつありますが、小学校が取り壊され、津波でも大丈夫だった家々が移転を余儀なくされ、山の木々が伐採され、巨大コンクリートで街を囲み、これがみなさんが望んだ街並みなのかと思うと、複雑な気持ちになります。
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造成作業中に遺跡がみつかり、造成が遅れているようです。
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【東日本大震災】レポートNo.259

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  6月
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 毎日のドライブも緑に包まれた風景のなかをひた走り、とても心地よいです。今日は大船渡方面にお邪魔しました。
災害復興住宅へ移った人たちの暮らしはどうでしょうか?この3月に復興住宅へ転居したぞうさんチームに大船渡まで会いに行きました。田園風景に突如現れた近代的なつくりのマンション。なんだかとても違和感があります。
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 この日は4人のメンバーが久しぶりの再会です。4人のうち2人は自力再建、あとの2人が復興住宅へ入居されました。立地もとても近いのですが、仮設から引っ越して以来3ヶ月ぶりの再会だそうです。やはり仮設と違って、行き来が格段と少なくなります。でも今日は久しぶりの再会に大笑いです。Makenaizoneのみなさまからのお手紙もお届けしました。お一人の方は高血圧でお漬物を控えるようにお医者さんから言われているのですが、「やっぱりお漬物がないとね~」とパクパク。お友達が心配して、「食べすぎだよ!」と注意すると、「大丈夫!先生に聞かれたら『食べてない!』っていうから」と。(大爆笑)「みんなに久しぶりに会えて楽しいね。こうやってみんなで一緒に食べるとおいしいよ」と笑いが止まりません。集会所はあまり使われていないようで、何かきっかけがあるとみんな集まれるんだろうな…。
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 ~まけないぞう一言メッセージ~
 増島さんが、3月にお出での時「私たちは災害公営住宅に移りますけど、続けますか」と言ったら「はい行きますよ」と事もなげに、当然のごとくに。阪神・淡路大震災の大震災から20年、東日本大震災から4年、未来へ伝えていくべく行動のひとつと思い、増島さんたちが来て下さるうちは続けようと思う。あと何年続けられるか(年齢的に)未来へのタスキを渡すために、何故なら私たちは当事者なのだから。
(2015年6月15日 86歳女性 大船渡市綾里)

【東日本大震災】レポートNo.258

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  6月7日
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 この日は快晴の中、いつもお世話になっている釜石の不動寺さんへ高田の作り手さんとお邪魔しました。新緑が眩しいくらいに美しいこの季節の沿岸までのドライブは最高です。
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 作り手さんのお一人は年明け早々、仮設の部屋のなかで転倒して肩にヒビが入りしました。地元の病院では対応できないということで、娘さんのいる東京の病院で手術をしました。けれど、検査をしたり、1000人も患者さんが手術を待っていて、こちらに戻るまでになんと4ヵ月もかかってしまいました。大の仲良しのお二人は久しぶりの再会にとても喜んでおられました。作り手さんは「やっぱ田舎はいい!都会のマンションの部屋は鍵かけて、外にも出られず、まるで牢屋だった」と生まれ育ったところが本当に愛おしいように話してくれました。彼女はかさ上げするもとの土地に自力再建をしようと、ずっと仮設で暮らしています。
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 相方の作り手さんは、少し年上ですが、避難所からずっと一緒に過ごしていた人がいなくなり、いつも電話をかけてたりしていて、とても寂しい時間を過ごしていました。機会があって東京に行くことになり、わざわざ怪我したお友達に会いに行ったそうです。彼女は「東京まで会いに行ったんだから、ほんと寂しかった、帰って来てくれてほんとよかった」ととても喜んでいました。そして、彼女はこの秋ごろにできる復興住宅へ入居する予定です。
そうなると、立地は近いのですが、お二人が自分の都合で頻繁に会うことはできるなくなります。それが寂しい限りです。彼女は「復興住宅なんか入ったら、もう部屋からでないよ」と。マンションという住まい方は、沿岸の人たちにはやはり合わない気がします。
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 そうこうするうちに、釜石のお寺に到着しました。まずは、お参りを。。。
中にお邪魔すると、なんと可愛らしいぞうさんたちがお出迎えです。なんと娘さんが手作りで作ってくれたそうです。
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お二人とも、お寺さんに久しぶりに来れて、とてもうれしそうです。いつも物資やタオルをご寄付いただき、「まけないぞう」の販促にも力を入れてくれています。副住職さん手作りのお昼をごちそうになりました。そして、今回高野山開創1200年という年にあたり、高野山真言宗の本山(和歌山県)の金剛峯寺において、「まけないぞう」を販売してくれました。そのお便りをみて、「これなら帰って家族に自慢できるな!」と嬉しそうにお便りを読んでいました。いつか高野山に訪れたいと二人の夢は膨らみます。
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 帰り際には、なんと境内に流れる清水のほとりに、「みず」、「しどけ」という岩手ならではの山菜を収穫。ボランティアさんに手を引かれながら、大の仲良しさんに退院祝いにと夢中で採ってくれました。
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久しぶりの再会に話も弾み、とても清々しい一日を過ごしました。今日も一日感謝です。
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 ~まけないぞう一言メッセージ~
 今年で震災から4年が過ぎました。まだまだ高台移転が決まらなく仮設で生活しています。震災直後に「まけないぞう」さんに会えて、心の支えに毎日頑張って作っています。全国の皆様に喜びをと思い、自分も癒してもらいながら生活しています。これからもよろしくお願いします。
(2015年6月15日 女性 大船渡市赤崎)

【東日本大震災】レポートNo.257

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  6月6日
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 久しぶりの被災地訪問ですが、明暗がわかれているそんな感じです。復興住宅に入居が決まっている人や自力再建を果たした人、いまだ仮設に残される人など、不安でいっぱいです。海では堤防が、陸地では造成が進む街並みを横目に、釜石の作り手さん訪問です。
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 この日は、遠野の「まけないぞう」応援団のリーダーさんと、足湯ボランティアをしていた折り紙のお二人の先生をお連れして、「まけないぞう」とつるしびなと折り紙のコラボでした。
 3月以来の訪問でしたが、待ちに待った復興住宅が完成していました。明るくきれいな建物は海を見渡す高台に建築されました。ここは以前、小学校で津波の当時は被災者の方が避難していた場所です。そこを取り壊し、戸建ての災害復興住宅を建設したのです。そこにはなんと仮設時代にボランティアさんに作ってもらったベランダもお引越ししていました。かなりのお気に入りです。1枚目の写真は仮設のときに完成したものです。2枚目は現在の復興住宅です。
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 お部屋に入ると広々としていて、真新しいお部屋が広がります。やっと落ち着いたようです。海を見下ろせる寝室に、広いキッチンでこれなら得意のお魚さばきもできます。お風呂もフラットで段差も低く作られていました。そして、大好きな子ぞうちゃんもしっかり見守ってくれていますよ。
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 そして、makenaizoneのみなさんからのお手紙を持参すると、「まぁ~だ、みんな応援してくれるんだね。お手紙は孫や誰かが来た時にみせんだよ」と笑顔で喜んでファイルにきれいにしまってくれました。そして、今度はお孫さんの写真やら、津波に流されてしまった大事なご自分の結婚式の写真を「親せきが持って来てくれたんだよ」と見せてくれました。
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 そして、いよいよつるしびなづくりスタートです。先生に教わりながらお二人とも黙々と時間も経つのを忘れてせっせとチクチク針を運んでいます。津波からお二人はとても仲が良く親子のように、避難所の時からいつも一緒です。
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 あっという間にお昼の時間です。ごちそうを用意してくれていました。今はウニのシーズンということもあり、ウニやらホヤの炊き込みごはん、郷土料理のザクザク煮(煮物)など机狭しとごちそうが並びます。「みんなで食べるとおいしいね~」と80代には見えない食べっぷりにびっくりしながらも、みんなでおいしく頂きました。
 そして、午後にはつるしびなの「さるぽっぽ」と傘もきれいに完成しました。
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ふと気づいたら、いつも先の見えない不安からなのかは避難所の時の大変さ、辛さを何度も話していましたが、今日はなかった。やっと落ち着ける我が家になって少し気持ちが安定したのかな・・・。そう信じたい。
 ~まけないぞう一言メッセージ~
 あの日から4年も過ぎました。まだ時々信じられない気がします。夢をみるのはいつもなつかしい家での生活です。復興もまだまだですが、全国の皆様方のご支援を頂き生活も少しずつですが落ち着いてきました。またぞうさんに出会って2年も過ぎ作るたびに表情の違うぞうさんが出来上がるのが楽しみです。そして、このぞうさんはどこに旅するのかと思うと夢が広がってきます。これからもがんばりますので、よろしくお願いします。
(2015年3月 女性 釜石市鵜住居)

【東日本大震災】レポートNo.256

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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戦後70年を迎えた今年、戦争の悲惨さを振り返り、被爆国として2度と同じ過ちを繰り返さないような社会づくりをしなければならないはずが、きな臭い政権与党の動向に危機感を覚えます。最近、報道でよく目にするのは、「安全保障法案」「集団的自衛権」「憲法9条」「違憲」「合憲」などの言葉です。
 いつも「まけないぞう」でお邪魔している岩手県釜石市は、日本製鐡株式会社(当時)(現在は新日鐡住金釜石製鉄所)があり、1945年に日本本土初の米海軍による艦砲射撃を受けました。製鉄所があったので、原爆の投下される候補地にもなっていたそうです。お年寄りの方は、特に艦砲射撃を受けた夏が近づくと、当時の話をする人が多くなります。また2回目の艦砲射撃があった8月9日午前11時02分には町中にサイレンが響き渡り、「今日は長崎原爆投下の日ということで、黙祷を捧げましょう」と、黙祷を捧げています。
「まけないぞう」の作り手さんの多くは70代、80代といった戦前・戦後を過ごした方が多くいます。ある作り手さんは釜石市が艦砲射撃を受けて大変だったことを話してくれました。終戦を迎えた時は小学6年生で、戦争で大変な思いをした人たちから聞いたことを伝えてくれました。「戦争に行った人から聞いたけれど、自分の刀が切れるかどうか、敵地の女性の上半身の服を剥ぎ取り、乳房を切っていった」というのです。居合わせた兵士の方が「本当に酷かった。俺たちはそんなことをしに行ったんじゃない。」と聞かされたそうで、「戦後70年を迎えた今伝える人も亡くなっていき、私たちが聞いたことを伝えないとね」と話してくれました。けれど、中には当時の話をしていると具合が悪くなり、夜も寝れなくなる作り手さんもいます。戦後70年経った今も戦争は続いているのです。
また、別の地域の作り手さんも「津波は一日で終わるけれど、戦争は毎日だ。津波に遭っても食べ物も服もある。戦争は銭っこ出しても、食べるものも買われない」と話してくれました。津波でも相当な苦労をしていると想像しますが、それ以上に戦争は大変悲惨なことなんだと作り手さんからの話を聞いてその行間に含まれる言葉の重さを実感しました。貴重なお話を聞かせて頂いたことに感謝します。
そして、現政権の安全保障関連の審議を拙速に進めようとしていることに憤りを覚えるとともに、与党の参考人から「違憲」だと指摘を受けてまでも、自民党の高村副総裁は「学者の言う通りにしたら平和が保たれたか」などと発言する始末です。ここまで民意を無視している人たちに被災地の復興や福島第一原発の収束などできるはずがありません。5年目を迎えた被災地でどれだけ不安を抱えている人がいるのか、きちんと真摯に耳を傾け、対応するべきです。
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~まけないぞう一言メッセージ~
 もう4年ですってね。私そのうち何をしてたかしら…。でもね、津波をかぶったアヤメとマーガレットと菊、これらは港町から掘り出してきて、去年から花をつけてくれるんです。毎日水やりをして、私も元気です。私たちのほかにも災害は色々起きます。心の痛むことばかりね。でも命ある限り頑張ります。ぞうさんに慰められながら…。
(2015年6月3日 女性 釜石市)