【東日本大震災】レポートNo.258

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  6月7日
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 この日は快晴の中、いつもお世話になっている釜石の不動寺さんへ高田の作り手さんとお邪魔しました。新緑が眩しいくらいに美しいこの季節の沿岸までのドライブは最高です。
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 作り手さんのお一人は年明け早々、仮設の部屋のなかで転倒して肩にヒビが入りしました。地元の病院では対応できないということで、娘さんのいる東京の病院で手術をしました。けれど、検査をしたり、1000人も患者さんが手術を待っていて、こちらに戻るまでになんと4ヵ月もかかってしまいました。大の仲良しのお二人は久しぶりの再会にとても喜んでおられました。作り手さんは「やっぱ田舎はいい!都会のマンションの部屋は鍵かけて、外にも出られず、まるで牢屋だった」と生まれ育ったところが本当に愛おしいように話してくれました。彼女はかさ上げするもとの土地に自力再建をしようと、ずっと仮設で暮らしています。
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 相方の作り手さんは、少し年上ですが、避難所からずっと一緒に過ごしていた人がいなくなり、いつも電話をかけてたりしていて、とても寂しい時間を過ごしていました。機会があって東京に行くことになり、わざわざ怪我したお友達に会いに行ったそうです。彼女は「東京まで会いに行ったんだから、ほんと寂しかった、帰って来てくれてほんとよかった」ととても喜んでいました。そして、彼女はこの秋ごろにできる復興住宅へ入居する予定です。
そうなると、立地は近いのですが、お二人が自分の都合で頻繁に会うことはできるなくなります。それが寂しい限りです。彼女は「復興住宅なんか入ったら、もう部屋からでないよ」と。マンションという住まい方は、沿岸の人たちにはやはり合わない気がします。
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 そうこうするうちに、釜石のお寺に到着しました。まずは、お参りを。。。
中にお邪魔すると、なんと可愛らしいぞうさんたちがお出迎えです。なんと娘さんが手作りで作ってくれたそうです。
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お二人とも、お寺さんに久しぶりに来れて、とてもうれしそうです。いつも物資やタオルをご寄付いただき、「まけないぞう」の販促にも力を入れてくれています。副住職さん手作りのお昼をごちそうになりました。そして、今回高野山開創1200年という年にあたり、高野山真言宗の本山(和歌山県)の金剛峯寺において、「まけないぞう」を販売してくれました。そのお便りをみて、「これなら帰って家族に自慢できるな!」と嬉しそうにお便りを読んでいました。いつか高野山に訪れたいと二人の夢は膨らみます。
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 帰り際には、なんと境内に流れる清水のほとりに、「みず」、「しどけ」という岩手ならではの山菜を収穫。ボランティアさんに手を引かれながら、大の仲良しさんに退院祝いにと夢中で採ってくれました。
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久しぶりの再会に話も弾み、とても清々しい一日を過ごしました。今日も一日感謝です。
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 ~まけないぞう一言メッセージ~
 今年で震災から4年が過ぎました。まだまだ高台移転が決まらなく仮設で生活しています。震災直後に「まけないぞう」さんに会えて、心の支えに毎日頑張って作っています。全国の皆様に喜びをと思い、自分も癒してもらいながら生活しています。これからもよろしくお願いします。
(2015年6月15日 女性 大船渡市赤崎)

【東日本大震災】レポートNo.257

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  6月6日
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 久しぶりの被災地訪問ですが、明暗がわかれているそんな感じです。復興住宅に入居が決まっている人や自力再建を果たした人、いまだ仮設に残される人など、不安でいっぱいです。海では堤防が、陸地では造成が進む街並みを横目に、釜石の作り手さん訪問です。
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 この日は、遠野の「まけないぞう」応援団のリーダーさんと、足湯ボランティアをしていた折り紙のお二人の先生をお連れして、「まけないぞう」とつるしびなと折り紙のコラボでした。
 3月以来の訪問でしたが、待ちに待った復興住宅が完成していました。明るくきれいな建物は海を見渡す高台に建築されました。ここは以前、小学校で津波の当時は被災者の方が避難していた場所です。そこを取り壊し、戸建ての災害復興住宅を建設したのです。そこにはなんと仮設時代にボランティアさんに作ってもらったベランダもお引越ししていました。かなりのお気に入りです。1枚目の写真は仮設のときに完成したものです。2枚目は現在の復興住宅です。
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 お部屋に入ると広々としていて、真新しいお部屋が広がります。やっと落ち着いたようです。海を見下ろせる寝室に、広いキッチンでこれなら得意のお魚さばきもできます。お風呂もフラットで段差も低く作られていました。そして、大好きな子ぞうちゃんもしっかり見守ってくれていますよ。
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 そして、makenaizoneのみなさんからのお手紙を持参すると、「まぁ~だ、みんな応援してくれるんだね。お手紙は孫や誰かが来た時にみせんだよ」と笑顔で喜んでファイルにきれいにしまってくれました。そして、今度はお孫さんの写真やら、津波に流されてしまった大事なご自分の結婚式の写真を「親せきが持って来てくれたんだよ」と見せてくれました。
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 そして、いよいよつるしびなづくりスタートです。先生に教わりながらお二人とも黙々と時間も経つのを忘れてせっせとチクチク針を運んでいます。津波からお二人はとても仲が良く親子のように、避難所の時からいつも一緒です。
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 あっという間にお昼の時間です。ごちそうを用意してくれていました。今はウニのシーズンということもあり、ウニやらホヤの炊き込みごはん、郷土料理のザクザク煮(煮物)など机狭しとごちそうが並びます。「みんなで食べるとおいしいね~」と80代には見えない食べっぷりにびっくりしながらも、みんなでおいしく頂きました。
 そして、午後にはつるしびなの「さるぽっぽ」と傘もきれいに完成しました。
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ふと気づいたら、いつも先の見えない不安からなのかは避難所の時の大変さ、辛さを何度も話していましたが、今日はなかった。やっと落ち着ける我が家になって少し気持ちが安定したのかな・・・。そう信じたい。
 ~まけないぞう一言メッセージ~
 あの日から4年も過ぎました。まだ時々信じられない気がします。夢をみるのはいつもなつかしい家での生活です。復興もまだまだですが、全国の皆様方のご支援を頂き生活も少しずつですが落ち着いてきました。またぞうさんに出会って2年も過ぎ作るたびに表情の違うぞうさんが出来上がるのが楽しみです。そして、このぞうさんはどこに旅するのかと思うと夢が広がってきます。これからもがんばりますので、よろしくお願いします。
(2015年3月 女性 釜石市鵜住居)

【東日本大震災】レポートNo.256

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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戦後70年を迎えた今年、戦争の悲惨さを振り返り、被爆国として2度と同じ過ちを繰り返さないような社会づくりをしなければならないはずが、きな臭い政権与党の動向に危機感を覚えます。最近、報道でよく目にするのは、「安全保障法案」「集団的自衛権」「憲法9条」「違憲」「合憲」などの言葉です。
 いつも「まけないぞう」でお邪魔している岩手県釜石市は、日本製鐡株式会社(当時)(現在は新日鐡住金釜石製鉄所)があり、1945年に日本本土初の米海軍による艦砲射撃を受けました。製鉄所があったので、原爆の投下される候補地にもなっていたそうです。お年寄りの方は、特に艦砲射撃を受けた夏が近づくと、当時の話をする人が多くなります。また2回目の艦砲射撃があった8月9日午前11時02分には町中にサイレンが響き渡り、「今日は長崎原爆投下の日ということで、黙祷を捧げましょう」と、黙祷を捧げています。
「まけないぞう」の作り手さんの多くは70代、80代といった戦前・戦後を過ごした方が多くいます。ある作り手さんは釜石市が艦砲射撃を受けて大変だったことを話してくれました。終戦を迎えた時は小学6年生で、戦争で大変な思いをした人たちから聞いたことを伝えてくれました。「戦争に行った人から聞いたけれど、自分の刀が切れるかどうか、敵地の女性の上半身の服を剥ぎ取り、乳房を切っていった」というのです。居合わせた兵士の方が「本当に酷かった。俺たちはそんなことをしに行ったんじゃない。」と聞かされたそうで、「戦後70年を迎えた今伝える人も亡くなっていき、私たちが聞いたことを伝えないとね」と話してくれました。けれど、中には当時の話をしていると具合が悪くなり、夜も寝れなくなる作り手さんもいます。戦後70年経った今も戦争は続いているのです。
また、別の地域の作り手さんも「津波は一日で終わるけれど、戦争は毎日だ。津波に遭っても食べ物も服もある。戦争は銭っこ出しても、食べるものも買われない」と話してくれました。津波でも相当な苦労をしていると想像しますが、それ以上に戦争は大変悲惨なことなんだと作り手さんからの話を聞いてその行間に含まれる言葉の重さを実感しました。貴重なお話を聞かせて頂いたことに感謝します。
そして、現政権の安全保障関連の審議を拙速に進めようとしていることに憤りを覚えるとともに、与党の参考人から「違憲」だと指摘を受けてまでも、自民党の高村副総裁は「学者の言う通りにしたら平和が保たれたか」などと発言する始末です。ここまで民意を無視している人たちに被災地の復興や福島第一原発の収束などできるはずがありません。5年目を迎えた被災地でどれだけ不安を抱えている人がいるのか、きちんと真摯に耳を傾け、対応するべきです。
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~まけないぞう一言メッセージ~
 もう4年ですってね。私そのうち何をしてたかしら…。でもね、津波をかぶったアヤメとマーガレットと菊、これらは港町から掘り出してきて、去年から花をつけてくれるんです。毎日水やりをして、私も元気です。私たちのほかにも災害は色々起きます。心の痛むことばかりね。でも命ある限り頑張ります。ぞうさんに慰められながら…。
(2015年6月3日 女性 釜石市)

【東日本大震災】レポートNo.255

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 6月4日  
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 2ヶ月ぶりに訪れた遠野は新緑に包まれ、爽やかな風が吹き抜けて、田んぼには稲が風にそよいでいました。いつもながら四季の素晴らしさを実感し、自然に感謝する日々です。
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 5年目を迎えた被災地では、少し、いやだいぶ不安が被災者の心を覆っていました。仮設住宅は場所によってはほぼ空き家状態となり、半分がすでに復興住宅や自力再建などを果たし仮設を出てっていました。久しぶりに訪問した作り手さんは、「私、最近鬱かしらと思うの…」と涙をこぼしながら話し出しました。「全て失い、忘れることは絶対できないけれど、こんな辛いことがあったお陰でみなさんにこうして出会い、ぞうさんも作ることができたのよ。過去は変わらないから、前を向いて歩くしかない」と心の底から振り絞って言葉を発していました。取り残されていく孤独感、寂しさをこう話すことで、何とかぎりぎりのところで踏ん張って、いまを生きているように感じてなりませんでした。
この作り手さんは津波で旦那さんと息子さんを亡くされました。旦那さんのお話はしてくれますが、息子さんのお話はいまだ聞いたことはありません。彼女の悲しみの深さは想像をはるかに超えるのでしょう。ただただ黙って話を聞く以外になすすべもありません。
彼女のつぶやきを紹介します。
「月日の流れの早いこと。あれから4年の歳月が過ぎ忘れ去られていくような感もしないではない昨今。震災にあった私どもはまだまだ昨日のことのように思い出されます。『まけないぞう』のお陰様で心が癒され、一針一針心をこめて縫い続けております。」
こうして、少しでもまけないぞうが被災者の方に寄り添い、心を癒してくれています。最近は、販売が滞っています。ぜひ、またみなさまご協力ください。

【東日本大震災】レポートNo.254

2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月12日  
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 4年目を迎えた被災地訪問の今回でも、いつものように「まけないぞう」のタオルを待ちかねた作り手さんの笑顔に出会えました。
大船渡の仮設では、いつものようのぞうさんの日に集まった作り手さんがちくちくぞうさんづくりしています。被災地では仮設から復興住宅や自力再建などへ引っ越しをする人が少しずつですが出てきています。仮設を出る人は自分だけ出ていくことを負い目に感じ、後ろ髪をひかれるようにひっそりと出ていきます。仮設に残される人は、不安と孤独が入り交じり取り残されたような気持ちが漂っています。この4年間で培ってきたコミュニティが音を立てて崩れていくような状況が被災地の各地で起きています。
復興住宅でも、また知らない人ばかりでコミュニティが作れず家に籠もってしまう人も少なくありません。仮設のような長屋作りとは違い、鉄筋コンクリートの壁に囲まれ、人の気配を感じることはなく、「あの鉄の扉が重いのよね」という20年前に阪神・淡路大震災の被災地で聞いた言葉がそこにありました。20年経っても変わらない現実に憤りを感じました。避難所から仮設住宅、復興住宅と、変わらない住居の再建・・・。
それでもここの大船渡の仮設では仮設から出ていった人も、仮設の集会所に戻ってきてみんなとぞうさんづくりしています。他の仮設でもこんな風になったらいいなと思いました。
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他方、高台移転を待ち続けた作り手さんがいました。この2月に市役所に呼ばれて、そろそろ区割りかと意気揚々と出かけたのですが、「どうしても山からの水を止めることができずに高台移転が急遽中止になった」というのです。昔から水が出る地域で住民も心配していたのですが、その通りになってしまいました。「4年も待ったのに、行くところがなくなった」という作り手さんの言葉が虚しく心に響きます。
きっとこんなケースはここだけではなく、他にもあるのでしょう。まさに「復興災害」です。先の見えない不安を4年も持ち続け、さらにまたその不安が増大しています。
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~まけないぞう一言メッセージ~
 ○4年目を前に隣町に引っ越しました。それでも仮設の集会所に集まってぞうさんを作るのが楽しみです。自分たちが助けられたように、誰かの心を癒してくれる可愛いぞうさんをもう少し続けたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)
○ぞうさん作りを始めて、丸4年、長いようで短い時です。これからも作っていけるのなら続けていきたいです。みなさんと交流し元気過ごしていきたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)
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【東日本大震災】レポートNo.253

被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月11日  
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 3月11日、東日本大震災から丸4年を迎えました。各地で追悼の灯りが灯され、祈りが捧げられました。10日現在で犠牲者の数は15,891名、行方不明者は2,584名、震災関連死は3,222名となりました。改めて犠牲になられた方にご冥福をお祈りするとともに、行方不明者の方が見つかりますように願ってやみません。
 そして、4年を迎えてもなお、岩手、宮城、福島の3県では81,730人が仮設住宅で暮らし、みなし仮設や自主避難などを加えると約22万8千人の人たちがいまだ不自由な避難生活を強いられています。
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いま、被災地ではインフラ整備が進み、山は削られ、海は巨大防潮堤の工事が進み、異様な高さの堤防が各地で出現しています。
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 そして、仮設住宅から復興住宅、自力再建などステージが変化しつつあります。引っ越しを控えた人、自力再建を決めた人など心が落ち着かない様子がひしひしを伝わって来ます。自力再建を決めた人は、「当初より予算が多くなってしまった。資材も高騰しているようだ。なんだか頭が考えすぎてぐちゃぐちゃだ」と話しが止まりません。
 
 仮設住宅は1年ごとの更新で、来年どうなるのか不安を抱えながらの生活です。もっと長期的な供与期間があれば、安心して将来の展望も描けると思います。また、行政から支援される仮設から復興住宅などへの引っ越し費用が全壊と半壊などでは違い、自治体によって異なります。同じ被災者で、同じ仮設からの引っ越しでどうしてこういう格差が生じるのか?首をかしげたくなるのは私だけでしょうか??
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 そんな不安な状況のなかでも、刻々と時は過ぎ4年を迎え、追悼の灯りが灯された。遠野の仮設「希望の郷」では、地元緑峰高校の生徒さんは遠野名産のホップの和紙で灯籠を作り、被災者の人たちに届けました。ほのぼのした灯りは人の心を和ますような灯りでした。被災者の心に一日でも早く希望の灯りが灯りますように。
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【東日本大震災】レポートNo.252

被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月6日つるしびな  
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 約2ヶ月半ぶり遠野を訪れました。遠野の街はちょうどつるしびなのシーズンでした。「まけないぞう」チームの「ふきのとうの会」のメンバーが例年のようにつるしびなを所狭しと飾っています。圧巻は遠野の獅子踊りをまるでひな壇のように飾ったものでした。来る人来る人目を奪われていました。大船渡の後ノ入仮設からもぞうさんの作り手さんが
見学に来てくれました。
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今年のテーマは「親から子・孫へ」でした。震災から20年を迎えた神戸でも語り継ぐ、継承というのがテーマでした。親から子、孫へと時代は移り変わり、その中で伝え残していくもの、文化や習慣、教訓など多くのことが次の時代へ受け継がれることを願ってやみません。
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 そして、沿岸の被災地に足を伸ばすと、街はかさ上げ工事が進み、来る度に道が変わっています。山は無残にも地肌が剥き出しとなり、山津波を恐れる被災者の人も少なくありません。
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 作り手さんのところに久しぶりに訪れると、お店は床屋さんでその横に自力再建の自宅を建設中で間もなく完成の予定で、とてもうれしそうでした。ぞうさんの材料も久しぶりの到着で心待ちにしていたようで、こちらも喜んで頂けました。
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 一方で、いまだ不自由な仮設住宅などの避難生活を送る人は、約23万人いらっしゃいます。まちづくりなどの会議の度に工期が伸びる人、仮設の集約に伴う先の見えない不安が被災地に広がっています。阪神・淡路大震災では震災から5年を前に仮設住宅が解消されましたが、東日本では、いまだ8万1730人が主にプレハブの応急仮設住宅に暮らしています。仮設住宅でも空き家が目立ち始め、やっとつながったコミュニティがなくなり、孤独や不安が被災者の人たちの心を襲っています。
 「まけないぞう」の作り手さんも、「集約のことが心配。仮設から仮設への引っ越しはしたくない。最後までここにいたい(自力再建するまで)。別のところへ行ったら知らない人ばかりで困る。いつまでいまの仮設にいていいかはっきり先を示して欲しい。でないと落ち着かない。仮設から出ていく人は、ルンルンだけど、残された方としてはね・・・」とため息まじりにつぶやきます。
 このように被災者の人たちは避難所から仮設、復興住宅など何度も何度もコミュニティを構築し直さなければなりません。阪神・淡路の経験から、避難所から直接恒久住宅へ移行できるように提言してきてはいるものの、行政にはその声が届いていないようです。こうして、コミュニティが変わるごとに、不安や心配、取り残され感など被災者のストレスが増大し、健康悪化を招くことが心配です。

【東日本大震災】レポートNo.251

再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  11月広島法要報告
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 先日10月7日、広島の土砂災害に見舞われた被災地で超宗派による49日法要が
執り行われました。そこで当センターもお声掛け頂きました。その会場に東北の
被災地から送られた「まけないぞう」を奉納させて頂き、作り手さんが作成した
ロウソクが灯されました。8月20日発生した豪雨水害の被災地に私たちも何かで
きないかという、作り手さんからお話を受けて実現しました。私たちも助けても
らったから、人ごとは思えないので何かお役に立てることないかしら??と水害
の後で行った被災地でみなさんとても心配そうに話してくれました。
大きなぞう_s.jpg
そこで、KOBEで毎年行っている竹灯籠に手作りのロウソクを灯し、追悼行事をす
るので、そのロウソクを手作りで作ってくれませんか?と。みなさん二つ返事
作って下さいました。また、作り手さんはバスタオルで作った大きなまけないぞ
うをぜひ届けて下さいということで、追悼の時に祭壇に飾ってもらいました。こ
のような経緯の中で執り行われた法要の報告を今回の岩手入りでさせてもらいま
した。写真や新聞記事を手渡すと大変喜んでくれました。
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高田広島_s.jpg
そして、また遠くから広島の現地に足を運んでくれた釜石のフェアトレード無農
薬のコーヒー屋さんハピスコーヒーさん。広島の災害の現状をみた地元東北の人
達が「あんたも行くんだんべ」「募金するから」などなどコーヒー一杯売れるご
とに被災地へもコーヒーを送るということで活動を開始した店主の岩鼻さんにも
お会いできました。お店には募金箱がいまだ設置してあって、たくさんの貴重な
ご寄付が寄せられていました。岩鼻さんも「また被災地にコーヒーを送ります」
と笑顔を話してくれました。広島の避難所では温かな一杯のコーヒーが被災者の
方の心をほぐしてくれました。
ハピスコーヒー_s.jpg
 こうして被災地から被災地への支え合いの輪が広がっていくんだなぁと実感で
きました。まけないぞうは商品ではなくメッセンジャーなんだと、20年近く言い
続け来たことをあらためて実感させてもらいました。
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それぞれの被災地のみなさんに心から感謝致します。ありがとうございました。

【東日本大震災】レポートNo.250

再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  11月13日
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 久しぶりの遠野は紅葉も終わりかけで、冬将軍が到来です。全国的に今週は寒さが厳しいようですが、ここ遠野は初雪です。厳しい遠野の冬がそこまできています。
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久しぶりに復興住宅へお住まいの作り手さんのもとを訪ねました。「復興住宅へ入居してから約1年経ったけれど、なんかいまだに慣れない、やはり持ち家とは違うよね。いつかは返さないといけないし、いつまでたっても仮住まいのような気がする・・・。」終の棲家のはずがこのような気持ちになってるいのが現実です。借りているから、部屋には画鋲はダメ、シールもダメ、現状復帰で戻して下さい云々・・・それだけとっても持ち家なら、もっと自由に家の中を改装できるはず。ただたまたま被災に遭って家を流されたら、あれもこれもダメな家に住まうだけでこんな窮屈なことがあっていいのでしょうか。
そのお母さんは、津波で自宅を流され、新居を再建したのですが、なかなか新居になじめず、みなし仮設だったアパートに帰りたいとこぼしていて、「こんなことなら生きていくのが辛いと。。。」。被災地に関わっているものとして一番聞きたくない、言って欲しくない心の叫びがそこにありました。せっかく津波で助かったのに、生きているのが辛いなんて悲しすぎます。きっと、広島や丹波などの水害の被災地などどこにでもあるでしょうが・・・。
 たまたま自然災害に遭い、全てを失った被災者の方たちが、どうしてこれほどまでに普通の暮らしを奪われるような理不尽な目にあわないといけないのでしょうか?
日本では憲法25条の生存権により、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならな。」と謳われているにも関わらず、長期にわたり不自由な避難生活を余儀なくされ、最低限度の生活すら保障されず、人権を奪われるこの社会に憤りを感じます。
 私たちは被災者ひとり一人に、時間がかかってもそのつぶやきを丁寧に拾い集め、向き合っていくしか真の復興はないと思います。阪神・淡路大震災から20年の節目を目前にあらためてそう感じています。

【東日本大震災】レポートNo.249

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月自給自足
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 17日の河北新報で「都市生活かさむ出費」という見出しで、住み慣れた村から被災者の人が移り住んだ都市部で貧困が深刻化しているという内容が紹介されていました。記事によると、「住み慣れた漁村を離れて直面したのは、『貨幣経済』の冷たい現実だった。『年金収入だけではとても間に合わない。都会の生活は大変ですよ』仙台市内のみなし仮設住宅に暮らす伊藤ふつ子さん(70)が話す。石巻市雄勝町の自宅は東日本大震災の津波で流失。被災後間もなく、子どもを頼って移り住んだ。雄勝では夫婦でホタテの養殖に従事していた。自宅ではトマトやキュウリ、ナスなどを育てていた。近所からウニやホヤをもらえば、お返しにホタテを渡した。日常的に現金購入する食材は肉ぐらいだったが、『今は海産物を含めてスーパーが頼り』。支え合いと自給自足で成り立っていたコミュニティーを離れ、暮らしの再構築を余儀なくされている。」と伝えています。
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 私もこの間岩手に滞在して感じることが多いのですが、ちょっと被災地を回ると食べきれないほどの海の幸を頂きます。山の人は山の幸を、海の人は海の幸を、物々交換で頂き、スーパーに行かなくても食生活のほとんどは成り立ちます。そして、ほとんどの人が小さくても畑をしているので、野菜などは困ることはありません。これって昔あった当たり前の自給自足の生活なんだなぁと思います。それでも困ることはなく、自分たちの作ったもの、自分たちが捕った食べ物こそ何より安心・安全で食べることができるのです。現金収入は、そんなになくてもお金を使うことがないので、生活が豊かに成り立つのです。
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 しかし、いまの政治はどうでしょう??
経済をよくするためにという詭弁を使い、じゃぶじゃぶお金を刷り、市民に借金を負わせ、それでも足りなくて税金を上げ、人々からお金をむしり取っていく。都会の人は住みづらくなっているでしょう。こういった構造で一体誰の経済が豊かになっているのでしょうか?貨幣経済を追い求めた結果、貧困は深刻化し、自然を破壊し、私たちの生活はよくなるどころか悪くなってはいませんか?安倍首相は「景気回復の実感を全国津々浦々にまで届ける。」としてアベノミスクとして様々な施策を行っていますが、被災地を歩いていて、景気回復の実感を持っている人は、私の知る限りほとんどいません。政府の方針に矛盾を感じてしょうがないのです。経済優先により、消費税の増税、電気代の値上げなどが人々の暮らしを圧迫しているのです。
 沿岸に大手スーパーが進出して、商店を閉めざるを得なくなった人、復興住宅の入札が資材の高騰などで不調に終わり、その結果入居が数年先になる人、アパートへの転居を余儀なくされ、畑も花もできなくなり生きがいを失いかけている人、復興住宅に入ったもののコミュニティが壊され、淋しくて淋しくて不安に襲われている人などなど、景気回復どころか明日の生活が見えない人が多くいるのです。お金より田畑を、きれいな海を、夢や希望を被災地に届けて下さい。
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【まけないぞう一言メッセージ】
 「被災しなければ」と辛く、悔しい時、つい精神的に落ち込みがちになりました。そんな時この「まけないぞうさん」を作り始めると自然に何も考えることなく、無心になれる時間を得ることができました。そして、どんな方達が買って下さるのだろう。どんな子どもさんが抱いてくれるのかな?と。大切にして下さることを願いつつ懸命に作ることができました。とてもいい時間を下さったことを感謝申し上げます。
(2014年9月17日 大船渡市黒土田仮設 85才 女性)