【東日本大震災】レポートNo.286

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 昨年暮れの12月に岩手を訪問しました。新しい年を迎えもう2ヶ月が過ぎようとしています。そしてまもなく3月11日が巡ってきます。昨日、「やっと地鎮祭が終わったのよ。」とうれしそうに電話をくれた作り手さん。いつも仮設の集会所で「まけないぞうの日」と称して、みんな集まっておしゃべりしながら、ぞうさんをチクチク。。。「ぞうさんのお金をためて、いつか“ぞう御殿”を建てるんだ!」とチクチク。。。
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 昨年暮れに訪れた際には、やっと、公営住宅に入居した作り手さんもいました。その時には東京で阪神・淡路大震災から応援して下さっているボランティアさんと東日本大震災がきっかけでまけないぞうの応援をしてくれているボランティアさんと一緒に被災地を回りました。
 新居にお邪魔し、まず目に飛び込んだのは、ぞうさんの玄関マット!まけないぞうからぞうさん好きになり、部屋のあちこちにぞうさんがいます。もちろんまけないぞうもいますよ!
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 この方もずっーとまけないぞうの材料を心待ちにしてくれていたそうで、お父さんから宅急便が来るたびに「ぞうさんの材料来たかな?」と話していたそうです(汗)以前から体調が優れなかったですが、だいぶよくなったようで、ぞうさんの顔もニコニコしています。どんなに体調が悪くても、「ぞうさんがないと淋しいから材料は置いて行って」と言ってくれます。それだけ、まけないぞうが被災者の方にとって、精神的支柱になっているのです。あらためて、まけないぞうパワーに驚かされます。
 右側は以前のぞうさんで、左側が最近のぞうさんです。どうですか?左側のぞうさんの顔がにこやかにみえませんか。
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 避難所から仮設、仮設から公営住宅へと、いつかお父さんが「こんな狭いところに入れられて、早く出たいよ」と言っていた言葉を今でも思い出します。お二人とも新居に入って、落ち着いたようで、緊張感がとれたのか、なんとなくお顔が穏やかでした。ただ、仮設とちがって自宅が広くなり歩くのが増えて大変だそうです。7年近くも狭い仮設暮らしで、手を伸ばせば届いたけれど、新居はそうはいきませんね。「動くのが大変」とうれしい悲鳴が聞こえてきます。
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 新居でお父さんが作ってくれた鮭の白子のお吸い物とお漬物の味は格別でした。
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【東日本大震災】レポートNo.284

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月10日   
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 最近、テレビでも取り上げられて、人気に火がつきそうな「あかもく」をみなさんご存知ですか?秋田では昔から身近な食べ物のとして、食されている「ぎばさ」といわれるものです。茹でて刻むととってもすごい粘りがでるのです。海藻好きな私は以前から好きで、岩手に行くたびスーパーなどで仕入れて食べていました。
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 この「あかもく」は海藻の一種で、よく養殖の網などにひっかかり三陸沿岸では厄介者で廃棄していたそうですが、最近その海藻の魅力が見直され、三陸沿岸でも食べるようになったようです。そして、今回たまたま、まけないぞうの作り手さんを訪ねたところ、漁協の女性部でこの「あかもく」の勉強会があるということで、急遽参加させて頂きました。
配布された資料には、この「あかもく」の学名はホンダワラ”の小さな袋(気泡)が藻の葉先にいっぱいついている有様は、“稲穂を連想”させるため「稲穂」に通じます。これをわらしべで一握りほど折って巻き、米俵の形にして、新春のご祝儀とする習わしが古くからあるそうです。その中でも代表的なものが、“蓬莱飾り“(ほうらいかざり)で、初春の祝いにと三宝の盤に目出たい品を飾るのですが、海藻はその中でも重要な一品となっているという貴重な海藻だそうです。
 
 そして、お勉強のあとは、お待ちかねの調理実習です。「あかもく」を使ったパスタ、てんぷら、お味噌汁などみなさんと一緒に作りました。
 沿岸の漁協では、こうして各地から講師を招いて、海産物を加工し少しでも仕事づくりにつなげられるようにみなさんがんばっているんです。みなさんと一緒に作ったお料理は格別でした。
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 おいしいお料理を頂いたあとは、「まけないぞう」の回収です。作り手さんに支援者から預かったお手紙をお届けしながら、久しぶりのおしゃべりタイムです。6年半経っても、津波で何もかも奪われた悔しさや悲しさは消えません。「あの時は・・・」「着物も全部流された」などなど話は尽きません。そんなお話をしながら、「私はお手紙をちゃんとファイルに全部綴じているのよ。ほら、ここにもぞうさん作って飾っているの」など、ぞうさんの話をするときは嬉しそうに話してくれます。
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 箱に大切にしまっておいてくれたぞうさんを数えて、しっかりお預かりします!!
 今度は、どこにお嫁に行くのかな・・・。
 
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【東日本大震災】レポートNo.281

あれから6年余り、5月連休に岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  5月4日   
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ゴールデンウィークの岩手訪問の続きです。このお休み期間の間はお天気に恵まれ、遠野では桜が満開の時期でした。とてもきれいでした。おまけにSLも見ることができました。
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そんなお休みの中を、遠路はるばる山口県と岡山県からボランティアのみなさんが遠野仮設のみなさんに会いに来てくれました。今回で2回目の訪問です。山口災害救援、山口県立大学有志、なんちゃって山災、岡山の仲間たちのみなさんが、山口名物「瓦そば」とお抹茶をふるまいながら、ハンドトリートメントを提供してくれました。
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岩手のみなさんは初体験の「瓦そば」をどんなものか不思議な気持ちで待っている間に学生さんと久しぶりの再会を楽しみました。
また、その中には遠野に避難してきて方が、「まけないぞう」を作ってみたいと参加され、急きょ村井顧問のマンツーマンのレッスン??が始まりました。できるかな???
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その方の話を聞いていると、当時、釜石市より一部損壊の判定を受け、「書類にハンコが押してあるから、あなたは変更できませんよ!」と言われたそうです。いまはもう遠野に自力で家を借りて、なんの補償も受けずに暮らしてきたそうです。その人は6年経った今でも、その役場の対応に怒りを持ち続けていました。多分この方のように、当時心ない言葉を受け、心の痛み持ち続けている方はきっと少なくないのでしょう。
そうこうしているうちに、「瓦そば」ができあがりました。リーダーの杉本さんが腕を振るいます。「瓦そば」は瓦で茶そばを焼いて、その上に牛肉を甘辛く炊いたものと錦糸卵、青ネギを添えて、つけだれにレモンと紅葉おろしを入れて頂きます。牛肉でしっかりした味付けが、レモンなどの薬味でさっぱりした味になります。みなさん舌鼓をうちながらおいしいと評判でした。
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お別れの際には、みなさん総出で見送りをしてくれて、「またね!!」と笑顔で再会を約束していました。
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最後に杉本さんからまけないぞうのために集めてくれた募金を頂きました!ありがとうました!
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~まけないぞうの作り手さんからのメッセージ~
東北もようやく桜も満開になりました。東日本大震災から7年目に入りました。「まけないぞう」に出会い、楽しく作っています。こんなに長く続けるとは夢にも思っていませんでした。スタッフのみなさんには本当に感謝しています。これからもよろしくお願いします。

(2017/4/20 岩手県陸前高田市)

【東日本大震災】レポートNo.280

あれから6年余り、5月連休に岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  4月30日   
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先日、ゴールデンウィークに岩手を訪問しました。今回は今年で「まけないぞう」が生まれて20年という節目を迎えるにあたっての訪問でした。今年は「まけないぞう20年ありがとうキャラバン」を企画していて、全国のみなさまにお礼とこれまでの報告をしたいと思っています。その皮切りとして、いつもお世話になっている釜石市の不動寺さんにお邪魔して、同市小川町にある霊場新四国88ヶ所霊場と新西国33ヶ所の霊場に、まけないぞうを奉納させてもらいました。まけないぞうの作り手さんや地元の方、そして高野山真言宗総本山金剛峯寺の社会人権局からは木下友真さん、雨貝覚樹さんが駆けつけてくださり、みなさんで88と33の石仏一つひとつにまけないぞうをかけさせて頂きました。
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久しぶりに岩手を訪問した村井顧問はまるでサンタクロースのようにまけないぞうを運んでいました。またmakenazioneの編集長の田中幸子さんから届けられたアイルランドの植物園にかけられた「チベットの祈りの旗」の写真も一緒に奉納させて頂きました。
こうして、霊場を通して、いろいろな人や想いがつながることに、感動させられました。
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作り手さんもとても喜んで頂き、「こうして再び皆さんが集う場になると思うと感無量。象さんを作ることで癒された。感謝の思いを込めて納めた」や「震災以来訪れることがなかったが、ぞうさんの作り手さんと一緒にここに来ることができて、夫や息子の分も頑張って生きていこうと思えた」と取材に答えていました。
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中には、普段はほとんど歩けないのに、杖をつきながらきつい山道を、何度も休憩をし、時には転んだりしながら、必死に登り切りました。「88歳だから88ヶ所お参りしたかったの」と言い、最後はとても清々しい顔をしていました。
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最後はみんな揃って、この霊場を建立した方の前でお参りをしました。みなさん「これてよかった」「昔はよくここへ来たから懐かしいわ」など、暗くなりがちな被災地で明るいニュースになりました。この霊場にはたくさんの想いが込められ、この霊場を通して、またたくさんの人の輪が広がり、地域の住民の人たちが元気なってくれたらうれしいです。
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~まけないぞうの作り手さんからのメッセージ~
世界中で災害が多く、弱い人に一番負担がかかります。そんな中、ぞうさん作りをしながら自分もパワーをもらいまた誰かにパワーを送ることができるといいなと思いながら作成しています。早く世界中が笑顔になるようにと願っています。
(2017/5/1 岩手県大船渡市)

【東日本大震災】レポートNo.279

あれから6年、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  3月14日   
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 街を走るとトラックが多いことにびっくりさせられます。そして、行くたびに道が変わります。土地や道路を高くするため、一度に全部できないので、一カ所を高くして、それが終わるともう一カ所を高くするなど、地道な作業のために毎回道が変わるのです。うずたかく積まれた造成の土地で、道に迷いそうになるときもしばしばあります。
 そんな高台を目指していくと、真新しい家々に辿り着きます。作り手さんの新居です。家に入るとほとんどの人が、「見てみて」と、木の香りが漂うお家を見せてくれます。そのうれしそうな笑顔にこの6年間の辛さを忘れてしまうほど、こみ上げてくるものがあります。走馬灯のようにこの6年間のできごとが頭を駆け巡ります。
 少しずつですが自宅の再建が進みつつあります。そしてこれからが「くらしの再建」です。住まいができれば再建ではありません。またそこから「くらしの再建」がはじまるのです。
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そして、3月はひな祭りの月でもあります。ご縁があって東京の方から「お雛さまを被災地に送りたい」という申し出を受けました。津波で何もかも流された被災者の方とご縁がつながりました。「うちにも7段飾りの立派なお雛さまがあったのよ」と、懐かしそうに見つめる姿に笑みがこぼれます。「孫が女の子だからね」と、早速お披露目です。近所の仲良しさんも懐かしそうに見ています。
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なんとその横に「まけないぞう」が!なんとなんとたくさんのミニミニぞうさんが壁掛けになって飾ってあるではないですか!!よく見ると「絆」の文字が!ミニミニぞうさんが連なって「絆」を表現しています。
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 「仮設に入って初めて『まけないぞう』を教えてもらったのよ。それがきっかけでご近所さんと仲良くなれて、いろいろ悩み事も相談できるようになったし、『まけないぞう』のお陰なのよ。神戸の人たちともたくさんの縁ができたのよ~。」と話してくれました。
「まけないぞう」が人と人をつなぎ、辛いことも楽しいことも分かち合い、やっとここまできたのです。心の復興にはまだまだ時間がかかりますが、被災者の人のそばにはずっと「まけないぞう」が寄り添ってくれています。
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~まけないぞうの作り手さんからのメッセージ~
 震災から6年、昨年の11月にやっと自宅が完成し、地元に戻ることができました。長かったです。心が折れそうになったとき、ぞうさんを作りながら何とか日々の生活を送ることができました。これからの生活を静かに暮らしたいと思います。
                          (2017/3/14 岩手県釜石市)

【東日本大震災】レポートNo.278

あれから6年、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり   
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 いつもお邪魔している大船渡の後ノ入仮設に伺いました。当初はみなさん仮設暮らしでしたが、この6年間で自力再建を果たした人、復興住宅に入居した人などがいます。ほとんどの仮設では、仮設から出てしまうと関係性がなくなるところが多いのですが、ここ後ノ入仮設では、仮設から出た人も、何かあれば戻ってきて交流を続けています。
今日は、久しぶりに会うぞうさんチームの人もいました。仮設の住民さんが車で迎えに行ってくれたのです。久しぶりの彼女は「昨日は、うれしくて興奮してなかなか寝付けないから、お酒を少し飲んで寝たよ」ととてもうれしそうに話してくれました。自家製のお漬物をたくさん持って来てくれました。他のメンバーさんも果物、煮物などを持ち寄ってくれて、お客さんから頂いたお土産などお昼ご飯を食べながら、久しぶりに話に花が咲きました。
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こちらの会長さんも、「いつでも寄って」とやさしく声をかけてくれます。この地域は、震災前から、災害の備えについてもしっかり取り組んでいて、何かあったときにはAさんはBさんを助けにいく、集約する人など徹底的にやっていました。元々のコミュニティがしっかりしているのかなと感じます。まけないぞうの人たちが集まる日でも、誰かが車で復興住宅に移った人を送迎したり、仮設でできたコミュニティも、それ以前からあったコミュニティも継続して育んでいます。なかなか他の地域では見られないですが、ここではそれが自然体のようにコミュニティづくりができています。
いま、仮設から復興住宅や自力再建した人たちのコミュニティが崩壊し、それを支える人も少なく、孤独や不安を感じている人がいます。
「まけないぞう」はそんな人に寄り添い続け、心の支えになっています。
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~まけないぞうの作り手さんからのメッセージ~
 私の住所の数字「88-8」漢字で縦に書くとハハのハ。このごろ気づき、笑顔でおらねばと思うのですが、知らない土地で好きで来たにせよ寂しいです。
南の方から桜の開花がちらほらと聞かれて、28年度も終わる。「まけないぞう」さんも新年度に間に合うように、旅たちたいのよね。そう思うと、縫う手に力が入る。全国の支援者のみなさま、買って下さるみなさまに感謝を込めて、一枚のタオルを「まけないぞう」さんにして、目の前に並べていく。1ヶ完成、でも寂しいよ!2ヶ3ヶと、そして50ヶの完成。
夢中な心が寂しさをなぐさめ、充実感、幸福感で満たされます。単身の私にとって、家族が増えていくみたいな感じがあって、心のケアになっているのだと思います。ありがとうね。お陰さまで2200個がすぐそこ、近くになりました。それだけ、みなさまに助けられています。感謝、感謝です。
                          (2017/3/28 宮城県石巻市)

【東日本大震災】レポートNo.277

あれから6年、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
今号は少し長文になります。お許しください。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 2017年3月11日七回忌法要  
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 今年の3月11日は仏教では7回忌にあたります。この節目の命日に各地から被災地に足を運んで頂きました。10日にはいつもまけないぞうを応援してくださっている釜石市の不動寺の住職補佐森脇妙紀さんを作り手さんと訪ねました。
 お参りした場所は、釜石市小川町にある西国三十三カ所の霊場です。これは地元の実業家が大病を患い、弘法大使に助けられたということから、四国八十八カ所と西国三十三カ所をつくり、本尊の菩薩像や如来像などの石仏を設置したものです。昔は遠足や市民の憩いの場所だったということをまけないぞうの作り手さんや地元の方にお聞きしました。けれども近年は次第に訪問者も減少し、荒廃が進んでいたところ、不動寺さんに霊場の再建のお話があり、現在各地のお寺や地元の市民の方により再建が進められています。
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 今回はそちらの西国三十三カ所の石仏にまけないぞうの作り手さんが赤いよだれかけを33枚つくり、7回忌ということもあり、そのよだれかけを地元の市民の方々とかけながら供養させてもらいました。この日は高野山真言宗総本山金剛峯寺の社会人権局からは木下友真さん、雨貝覚樹さん、西蔵全悠さんと神戸からのボランティア家藤美仁さん、溝渕裕子さんのみなさんでお参りをしました。
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 作り手さんのお一人は「足が痛いから車で待っている」と言っていたのですが、いてもたってもいられなくなり、途中から森脇さんに連れられ、山道を登って最後の札所33番によだれかけをかけ供養することができました。「だって~ここまで来たんだもの、私もお参りしたかったのよ~」と足の痛さも吹き飛んだように、必死に歩きながらみなさんとお参りできてとてもよかったです。
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また当日の3月11日の命日には森脇さんと“歩き供養”をさせて頂きました。今年の7回忌にあわせて2014年に発生した広島土砂災害でお世話になった薬師寺の住職猪智喜さん、高野山真言宗心の相談員矢木孝さんと家藤さんとともに参加させて頂きました。
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街でお経をあげながら歩いていると、いつもは車で通りすぎてしまい、気づけないことに気づくことができました。未だに残る津波の爪痕、昔賑わいを見せていた横町の跡、復興の兆しをみせる地元の商店のみなさんなどいろいろな想いが駆け巡ります。
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また、海にお経をあげた後には、お布施をもってこられ、「ちゃんと用意していなくて裸ですみません」と森脇さんにお渡しする姿をみて、なんだかとても温かい気持ちになりました。中には小学生が10円玉を握りしめ駆け寄ってくる子どもたちもいるそうです。
あの6年前の大津波で何もかも奪った海、あれから海をみても素直にきれいとか、あまり感じられなくなっている自分がいました。でも被災者の方が、「時折あの津波がなかったらこんなにいろんな人に会えなかったよ。津波のお陰だよ」と話してくれる時もあります。複雑な気持ちが入り混じる海に向かって、みなさんとお参りできて、とても貴重な時間を過ごすことができました。
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午後には大船渡市のいつもまけないぞうで通っている後ノ入仮設での法要に参加させて頂きました。神戸大学の学生さんも来ていて、にぎやかにみなさんと被災地の様子などをお話ししながら、供養させて頂きました。この仮設は当初は76世帯だったのが、いまは23世帯となり、津波後仮設や再建などをしてから亡くなられた方が13人~14人ほどいるそうです。6年という月日の重みをあらためて感じさせられました。
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夜には同じ広島から西福院の住職生村健空さんが栃木で東日本大震災で犠牲になった動物たちの法要の後に合流してくれました。翌日作り手さんのところへお邪魔しました。なんと偶然にもその方は地元の真言宗の檀家さんで、ご同行してくれた広島の真言宗の僧侶の方とともにお経をあげて頂き、素敵なご縁ができました。
~まけないぞうの作り手さんからのメッセージ~
今年の3月11日は仏前では7回忌になります。精神的な区切りの年になるのかと思います。「まけないぞうさん」を作って5年になります。最初は仮設住宅の集会所で講習を受け、その後1年ほど多雨期に1~2回集まって作りました。そして、幼稚園などに行って園児達に手渡しました。よろこんで受けとってもらえました。私の娘はイギリスにくらしており、現地で支援してくれた方々にもお礼として贈りました。今は個人でそれぞれ製作しております。楽しい時間をありがとうございます。        (2017/1/7 宮城県石巻市)

【東日本大震災】レポートNo.276

あれから6年、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 6年が経過した被災地を訪れました。今回は、東日本大震災の発生直後からタオル仕分け隊としてまけないぞうを応援して下さっている家藤美仁さん、阪神淡路大震災から障害者支援で奔走していた溝渕裕子さんが神戸から同行してくれました。道中は時折、雪が舞う中、3人で快走でした。お二人のお陰で無事に岩手に到着です。
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 到着してからも私たちを歓迎??するように時折、吹雪いていました。そして、拠点が遠野市から陸前高田市に移り、早速引っ越しです。春の嵐のような雪が降る中、遠野と高田を何度も往復し、お二人のお陰で無事に引っ越しも完了しました。
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 翌日からはお二人と大槌町にまけないぞうの回収に行きました。以前家藤さんが訪ねたことのある作り手さんを訪ねました。仲の良いご夫婦で、手作りのおつけもの、「こまこま」(地域によってはざくざく)という野菜を細かく切って炊いた煮物やワカメの茎の炊いたんなどの郷土料理を作って待ってくれていました。お土産にお持ちしたぞうさんグッズとパチリ!ご夫婦は順調にいけば、8月くらいに戸建ての復興住宅に入居予定です。狭い仮設での生活も限界で、新居の話をするときはうれしそうに話してくれます。
 
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続いて、もう一人の作り手さんのところにいくと、マスコミでも取り上げられていましたが、大槌町での住宅再建補助での話が話題になりました。大槌町は津波を受けた造成地を区画整理して新たにそこに家を再建する人に補助金として100万円を出す方針を示しましたが、すでに家を再建した人との格差が生じるとして保留されるということがありました。これは、区画整理してもなかなか移住などが進まず、いまのところ空き地が出てしまっていることから生じる行政の失策か・・・?
自力再建、復興住宅、被災地外への転居など大きく環境が変わろうとしている中で、人口流出の問題、コミュニティの再構築、高齢化、雇用創出、ハード優先の復興における課題がさまざまな形で6年が経過した被災地に押し寄せています。
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【東日本大震災】レポートNo.275

あれから5年8ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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5年8か月が経ちました。徐々に変わりゆく街の姿を眺めながら車を走らせ、作り手さんのもとへタオルと支援者からのメッセージを携え、まけないぞうの回収へ。
 「まさか6年近くも仮設にいるなんてね~」と長い月日の重みを感じます。体調を崩す方もいらっしゃいました。「病気でね、ぞうさんがうまく作れなくて、何度も何度もほどいては作り直すけど、うまくいかないの」と、遠い目をしながら話す作り手さん。「でも具合がよくなったら、作るから」ということでタオルを置いて帰ります。
 また、「6年だもんね。生きるのは辛い、あの時生きてしまったから」と、「これからのことを考えると本当に大変。仮設の時は、同じ境遇の人もいたからいろいろ話せたけど、家を流されただけの人と家族を亡くした人とは話が合わない。復興住宅ではいろいろな境遇の人がいるから話が合わないからしないんだ」と。心の傷はどれほどか想像し難い。
 
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ある作り手さんが「復興したというけれど、心の復興がなければだめだと思う。ココ(新しい土地)には慣れない。回覧もなく、生まれた育った土地にお茶っこしに行くの。心の復興について行政は思っていない。」という言葉がとても重く感じました。「来年の8月には公営住宅が建てられるからよかった。だれ~こんな狭い仮設に5年もいたんだもの」と再建が見えてきた人もいます。
 そんな中で、まけないぞうが確実に心の支えになっています。「津波で着の身着のままできて、たくさんの人に支えられ、ここまで来ました。だから恩返しというか私も人の役に立ちたいという気持ちがあり、まけないぞうは一つ作って100円だけれど、100円より時間よりまけないぞう基金の50円というのは、一つ作ればボランティアになる。いざ災害でボランティアをしようと思っても行くこともできないので、50円基金ならボランティアができる。それにともて魅力を感じた。まけないぞうは心の癒しだし、心の空間を埋めるものにもなった」と話してくれました。
 
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 支えられるだけの被災者が気づくと支える側にまわることができる。それが阪神淡路から20年続けてきたまけないぞうの魅力です。一方通行の支援ではなく双方につながることができる被災地から被災地へのメッセンジャーまけないぞう。各地で元気や勇気を届けています。
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【東日本大震災】レポートNo.274

あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 今日で、東日本大震災から5年半を迎えました。犠牲になられた方に心よりご冥福をお祈りします。また行方不明者の方が一日も早く見つかることを心より願っています。5年半の月日で復興は進んでいる部分もありますが、行政と住民の復興への気持ちとのかい離が浮かび上がっているようです。
 
今回、作り手さんのところへお邪魔した時に久しぶりにぞうさんを一緒につくってみましょうということで、ちくちくスタート!こちらも久しぶりのぞうさんづくりで緊張しながら一緒に作りました。
 
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 ちくちく縫い進んでいくと、「あれ~??なんだか鼻の作り方がおかしい??」、その方のぞうさん「いつもお鼻がずいぶん大きいな~」と思っていたのですが、
(私)「ちょとお鼻の作り方が違いますよ~」
(作り手さん)「え~だって、こう教わったのよ」
(私)「いいえ、こうですよ」
(作り手さん)「え~そうだったの??だから、たまには復習しないとだめよ~。自分流にやってしまっているから」
と大笑いしながらの作り方の復習でした。
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彼女はたくさんのリングぞうさんをつくってくれています。また、リングぞうさんはお尻がプリッとしていて、後姿もとってもかわいいです。作り手さんが一生懸命作っていますので、ぜひ、買ってください。
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 そして夜は、大槌町の吉里吉里海岸で毎年開かれている「吉里吉里映画祭」に行きました。今年は熊本支援のチャリティ上映で「うつくしいひと」と「未来のカケラ」でした。「うつくしいひとは」熊本の阿蘇などの大自然の風景を舞台に繰り広げられるショートムービーです。「未来のカケラ」は東日本大震災で被災した小学生の作文をもとに作られたもので、夢のある映画です。
 こうして、両被災地が映画を通して、つながって支え合いの輪が広がっています。最後に実行委員会の方が「東日本で受けた支援の輪を今度は熊本につなげる」と話してくれました。被災地から被災地へ支援の輪が広がり、避けられない自然災害ですが、少しでも被害が食い止められたら何よりです。
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 当時はまさか岩手で水害によりこんな被害がでるとは思いもよりませんでした。いま被災地では津波でお世話になった人たちが、当時の恩返しとしてボランティア活動をしているそうです。災害はどんなものであってもとても辛いものです。けれども、「災害は悔しいけれど、こうしてみんなに出会えてよかった。」という言葉を聞くのも被災地です。
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