【東日本大震災】レポートNo.255

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 6月4日  
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 2ヶ月ぶりに訪れた遠野は新緑に包まれ、爽やかな風が吹き抜けて、田んぼには稲が風にそよいでいました。いつもながら四季の素晴らしさを実感し、自然に感謝する日々です。
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 5年目を迎えた被災地では、少し、いやだいぶ不安が被災者の心を覆っていました。仮設住宅は場所によってはほぼ空き家状態となり、半分がすでに復興住宅や自力再建などを果たし仮設を出てっていました。久しぶりに訪問した作り手さんは、「私、最近鬱かしらと思うの…」と涙をこぼしながら話し出しました。「全て失い、忘れることは絶対できないけれど、こんな辛いことがあったお陰でみなさんにこうして出会い、ぞうさんも作ることができたのよ。過去は変わらないから、前を向いて歩くしかない」と心の底から振り絞って言葉を発していました。取り残されていく孤独感、寂しさをこう話すことで、何とかぎりぎりのところで踏ん張って、いまを生きているように感じてなりませんでした。
この作り手さんは津波で旦那さんと息子さんを亡くされました。旦那さんのお話はしてくれますが、息子さんのお話はいまだ聞いたことはありません。彼女の悲しみの深さは想像をはるかに超えるのでしょう。ただただ黙って話を聞く以外になすすべもありません。
彼女のつぶやきを紹介します。
「月日の流れの早いこと。あれから4年の歳月が過ぎ忘れ去られていくような感もしないではない昨今。震災にあった私どもはまだまだ昨日のことのように思い出されます。『まけないぞう』のお陰様で心が癒され、一針一針心をこめて縫い続けております。」
こうして、少しでもまけないぞうが被災者の方に寄り添い、心を癒してくれています。最近は、販売が滞っています。ぜひ、またみなさまご協力ください。

【東日本大震災】レポートNo.254

2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月12日  
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 4年目を迎えた被災地訪問の今回でも、いつものように「まけないぞう」のタオルを待ちかねた作り手さんの笑顔に出会えました。
大船渡の仮設では、いつものようのぞうさんの日に集まった作り手さんがちくちくぞうさんづくりしています。被災地では仮設から復興住宅や自力再建などへ引っ越しをする人が少しずつですが出てきています。仮設を出る人は自分だけ出ていくことを負い目に感じ、後ろ髪をひかれるようにひっそりと出ていきます。仮設に残される人は、不安と孤独が入り交じり取り残されたような気持ちが漂っています。この4年間で培ってきたコミュニティが音を立てて崩れていくような状況が被災地の各地で起きています。
復興住宅でも、また知らない人ばかりでコミュニティが作れず家に籠もってしまう人も少なくありません。仮設のような長屋作りとは違い、鉄筋コンクリートの壁に囲まれ、人の気配を感じることはなく、「あの鉄の扉が重いのよね」という20年前に阪神・淡路大震災の被災地で聞いた言葉がそこにありました。20年経っても変わらない現実に憤りを感じました。避難所から仮設住宅、復興住宅と、変わらない住居の再建・・・。
それでもここの大船渡の仮設では仮設から出ていった人も、仮設の集会所に戻ってきてみんなとぞうさんづくりしています。他の仮設でもこんな風になったらいいなと思いました。
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他方、高台移転を待ち続けた作り手さんがいました。この2月に市役所に呼ばれて、そろそろ区割りかと意気揚々と出かけたのですが、「どうしても山からの水を止めることができずに高台移転が急遽中止になった」というのです。昔から水が出る地域で住民も心配していたのですが、その通りになってしまいました。「4年も待ったのに、行くところがなくなった」という作り手さんの言葉が虚しく心に響きます。
きっとこんなケースはここだけではなく、他にもあるのでしょう。まさに「復興災害」です。先の見えない不安を4年も持ち続け、さらにまたその不安が増大しています。
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~まけないぞう一言メッセージ~
 ○4年目を前に隣町に引っ越しました。それでも仮設の集会所に集まってぞうさんを作るのが楽しみです。自分たちが助けられたように、誰かの心を癒してくれる可愛いぞうさんをもう少し続けたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)
○ぞうさん作りを始めて、丸4年、長いようで短い時です。これからも作っていけるのなら続けていきたいです。みなさんと交流し元気過ごしていきたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)
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【東日本大震災】レポートNo.253

被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月11日  
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 3月11日、東日本大震災から丸4年を迎えました。各地で追悼の灯りが灯され、祈りが捧げられました。10日現在で犠牲者の数は15,891名、行方不明者は2,584名、震災関連死は3,222名となりました。改めて犠牲になられた方にご冥福をお祈りするとともに、行方不明者の方が見つかりますように願ってやみません。
 そして、4年を迎えてもなお、岩手、宮城、福島の3県では81,730人が仮設住宅で暮らし、みなし仮設や自主避難などを加えると約22万8千人の人たちがいまだ不自由な避難生活を強いられています。
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いま、被災地ではインフラ整備が進み、山は削られ、海は巨大防潮堤の工事が進み、異様な高さの堤防が各地で出現しています。
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 そして、仮設住宅から復興住宅、自力再建などステージが変化しつつあります。引っ越しを控えた人、自力再建を決めた人など心が落ち着かない様子がひしひしを伝わって来ます。自力再建を決めた人は、「当初より予算が多くなってしまった。資材も高騰しているようだ。なんだか頭が考えすぎてぐちゃぐちゃだ」と話しが止まりません。
 
 仮設住宅は1年ごとの更新で、来年どうなるのか不安を抱えながらの生活です。もっと長期的な供与期間があれば、安心して将来の展望も描けると思います。また、行政から支援される仮設から復興住宅などへの引っ越し費用が全壊と半壊などでは違い、自治体によって異なります。同じ被災者で、同じ仮設からの引っ越しでどうしてこういう格差が生じるのか?首をかしげたくなるのは私だけでしょうか??
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 そんな不安な状況のなかでも、刻々と時は過ぎ4年を迎え、追悼の灯りが灯された。遠野の仮設「希望の郷」では、地元緑峰高校の生徒さんは遠野名産のホップの和紙で灯籠を作り、被災者の人たちに届けました。ほのぼのした灯りは人の心を和ますような灯りでした。被災者の心に一日でも早く希望の灯りが灯りますように。
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【東日本大震災】レポートNo.252

被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月6日つるしびな  
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 約2ヶ月半ぶり遠野を訪れました。遠野の街はちょうどつるしびなのシーズンでした。「まけないぞう」チームの「ふきのとうの会」のメンバーが例年のようにつるしびなを所狭しと飾っています。圧巻は遠野の獅子踊りをまるでひな壇のように飾ったものでした。来る人来る人目を奪われていました。大船渡の後ノ入仮設からもぞうさんの作り手さんが
見学に来てくれました。
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今年のテーマは「親から子・孫へ」でした。震災から20年を迎えた神戸でも語り継ぐ、継承というのがテーマでした。親から子、孫へと時代は移り変わり、その中で伝え残していくもの、文化や習慣、教訓など多くのことが次の時代へ受け継がれることを願ってやみません。
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 そして、沿岸の被災地に足を伸ばすと、街はかさ上げ工事が進み、来る度に道が変わっています。山は無残にも地肌が剥き出しとなり、山津波を恐れる被災者の人も少なくありません。
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 作り手さんのところに久しぶりに訪れると、お店は床屋さんでその横に自力再建の自宅を建設中で間もなく完成の予定で、とてもうれしそうでした。ぞうさんの材料も久しぶりの到着で心待ちにしていたようで、こちらも喜んで頂けました。
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 一方で、いまだ不自由な仮設住宅などの避難生活を送る人は、約23万人いらっしゃいます。まちづくりなどの会議の度に工期が伸びる人、仮設の集約に伴う先の見えない不安が被災地に広がっています。阪神・淡路大震災では震災から5年を前に仮設住宅が解消されましたが、東日本では、いまだ8万1730人が主にプレハブの応急仮設住宅に暮らしています。仮設住宅でも空き家が目立ち始め、やっとつながったコミュニティがなくなり、孤独や不安が被災者の人たちの心を襲っています。
 「まけないぞう」の作り手さんも、「集約のことが心配。仮設から仮設への引っ越しはしたくない。最後までここにいたい(自力再建するまで)。別のところへ行ったら知らない人ばかりで困る。いつまでいまの仮設にいていいかはっきり先を示して欲しい。でないと落ち着かない。仮設から出ていく人は、ルンルンだけど、残された方としてはね・・・」とため息まじりにつぶやきます。
 このように被災者の人たちは避難所から仮設、復興住宅など何度も何度もコミュニティを構築し直さなければなりません。阪神・淡路の経験から、避難所から直接恒久住宅へ移行できるように提言してきてはいるものの、行政にはその声が届いていないようです。こうして、コミュニティが変わるごとに、不安や心配、取り残され感など被災者のストレスが増大し、健康悪化を招くことが心配です。

【東日本大震災】レポートNo.251

再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  11月広島法要報告
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 先日10月7日、広島の土砂災害に見舞われた被災地で超宗派による49日法要が
執り行われました。そこで当センターもお声掛け頂きました。その会場に東北の
被災地から送られた「まけないぞう」を奉納させて頂き、作り手さんが作成した
ロウソクが灯されました。8月20日発生した豪雨水害の被災地に私たちも何かで
きないかという、作り手さんからお話を受けて実現しました。私たちも助けても
らったから、人ごとは思えないので何かお役に立てることないかしら??と水害
の後で行った被災地でみなさんとても心配そうに話してくれました。
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そこで、KOBEで毎年行っている竹灯籠に手作りのロウソクを灯し、追悼行事をす
るので、そのロウソクを手作りで作ってくれませんか?と。みなさん二つ返事
作って下さいました。また、作り手さんはバスタオルで作った大きなまけないぞ
うをぜひ届けて下さいということで、追悼の時に祭壇に飾ってもらいました。こ
のような経緯の中で執り行われた法要の報告を今回の岩手入りでさせてもらいま
した。写真や新聞記事を手渡すと大変喜んでくれました。
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そして、また遠くから広島の現地に足を運んでくれた釜石のフェアトレード無農
薬のコーヒー屋さんハピスコーヒーさん。広島の災害の現状をみた地元東北の人
達が「あんたも行くんだんべ」「募金するから」などなどコーヒー一杯売れるご
とに被災地へもコーヒーを送るということで活動を開始した店主の岩鼻さんにも
お会いできました。お店には募金箱がいまだ設置してあって、たくさんの貴重な
ご寄付が寄せられていました。岩鼻さんも「また被災地にコーヒーを送ります」
と笑顔を話してくれました。広島の避難所では温かな一杯のコーヒーが被災者の
方の心をほぐしてくれました。
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 こうして被災地から被災地への支え合いの輪が広がっていくんだなぁと実感で
きました。まけないぞうは商品ではなくメッセンジャーなんだと、20年近く言い
続け来たことをあらためて実感させてもらいました。
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それぞれの被災地のみなさんに心から感謝致します。ありがとうございました。

【東日本大震災】レポートNo.250

再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  11月13日
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 久しぶりの遠野は紅葉も終わりかけで、冬将軍が到来です。全国的に今週は寒さが厳しいようですが、ここ遠野は初雪です。厳しい遠野の冬がそこまできています。
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久しぶりに復興住宅へお住まいの作り手さんのもとを訪ねました。「復興住宅へ入居してから約1年経ったけれど、なんかいまだに慣れない、やはり持ち家とは違うよね。いつかは返さないといけないし、いつまでたっても仮住まいのような気がする・・・。」終の棲家のはずがこのような気持ちになってるいのが現実です。借りているから、部屋には画鋲はダメ、シールもダメ、現状復帰で戻して下さい云々・・・それだけとっても持ち家なら、もっと自由に家の中を改装できるはず。ただたまたま被災に遭って家を流されたら、あれもこれもダメな家に住まうだけでこんな窮屈なことがあっていいのでしょうか。
そのお母さんは、津波で自宅を流され、新居を再建したのですが、なかなか新居になじめず、みなし仮設だったアパートに帰りたいとこぼしていて、「こんなことなら生きていくのが辛いと。。。」。被災地に関わっているものとして一番聞きたくない、言って欲しくない心の叫びがそこにありました。せっかく津波で助かったのに、生きているのが辛いなんて悲しすぎます。きっと、広島や丹波などの水害の被災地などどこにでもあるでしょうが・・・。
 たまたま自然災害に遭い、全てを失った被災者の方たちが、どうしてこれほどまでに普通の暮らしを奪われるような理不尽な目にあわないといけないのでしょうか?
日本では憲法25条の生存権により、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならな。」と謳われているにも関わらず、長期にわたり不自由な避難生活を余儀なくされ、最低限度の生活すら保障されず、人権を奪われるこの社会に憤りを感じます。
 私たちは被災者ひとり一人に、時間がかかってもそのつぶやきを丁寧に拾い集め、向き合っていくしか真の復興はないと思います。阪神・淡路大震災から20年の節目を目前にあらためてそう感じています。

【東日本大震災】レポートNo.249

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月自給自足
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 17日の河北新報で「都市生活かさむ出費」という見出しで、住み慣れた村から被災者の人が移り住んだ都市部で貧困が深刻化しているという内容が紹介されていました。記事によると、「住み慣れた漁村を離れて直面したのは、『貨幣経済』の冷たい現実だった。『年金収入だけではとても間に合わない。都会の生活は大変ですよ』仙台市内のみなし仮設住宅に暮らす伊藤ふつ子さん(70)が話す。石巻市雄勝町の自宅は東日本大震災の津波で流失。被災後間もなく、子どもを頼って移り住んだ。雄勝では夫婦でホタテの養殖に従事していた。自宅ではトマトやキュウリ、ナスなどを育てていた。近所からウニやホヤをもらえば、お返しにホタテを渡した。日常的に現金購入する食材は肉ぐらいだったが、『今は海産物を含めてスーパーが頼り』。支え合いと自給自足で成り立っていたコミュニティーを離れ、暮らしの再構築を余儀なくされている。」と伝えています。
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 私もこの間岩手に滞在して感じることが多いのですが、ちょっと被災地を回ると食べきれないほどの海の幸を頂きます。山の人は山の幸を、海の人は海の幸を、物々交換で頂き、スーパーに行かなくても食生活のほとんどは成り立ちます。そして、ほとんどの人が小さくても畑をしているので、野菜などは困ることはありません。これって昔あった当たり前の自給自足の生活なんだなぁと思います。それでも困ることはなく、自分たちの作ったもの、自分たちが捕った食べ物こそ何より安心・安全で食べることができるのです。現金収入は、そんなになくてもお金を使うことがないので、生活が豊かに成り立つのです。
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 しかし、いまの政治はどうでしょう??
経済をよくするためにという詭弁を使い、じゃぶじゃぶお金を刷り、市民に借金を負わせ、それでも足りなくて税金を上げ、人々からお金をむしり取っていく。都会の人は住みづらくなっているでしょう。こういった構造で一体誰の経済が豊かになっているのでしょうか?貨幣経済を追い求めた結果、貧困は深刻化し、自然を破壊し、私たちの生活はよくなるどころか悪くなってはいませんか?安倍首相は「景気回復の実感を全国津々浦々にまで届ける。」としてアベノミスクとして様々な施策を行っていますが、被災地を歩いていて、景気回復の実感を持っている人は、私の知る限りほとんどいません。政府の方針に矛盾を感じてしょうがないのです。経済優先により、消費税の増税、電気代の値上げなどが人々の暮らしを圧迫しているのです。
 沿岸に大手スーパーが進出して、商店を閉めざるを得なくなった人、復興住宅の入札が資材の高騰などで不調に終わり、その結果入居が数年先になる人、アパートへの転居を余儀なくされ、畑も花もできなくなり生きがいを失いかけている人、復興住宅に入ったもののコミュニティが壊され、淋しくて淋しくて不安に襲われている人などなど、景気回復どころか明日の生活が見えない人が多くいるのです。お金より田畑を、きれいな海を、夢や希望を被災地に届けて下さい。
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【まけないぞう一言メッセージ】
 「被災しなければ」と辛く、悔しい時、つい精神的に落ち込みがちになりました。そんな時この「まけないぞうさん」を作り始めると自然に何も考えることなく、無心になれる時間を得ることができました。そして、どんな方達が買って下さるのだろう。どんな子どもさんが抱いてくれるのかな?と。大切にして下さることを願いつつ懸命に作ることができました。とてもいい時間を下さったことを感謝申し上げます。
(2014年9月17日 大船渡市黒土田仮設 85才 女性)

【東日本大震災】レポートNo.248

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  作り手さん、釜石へ訪問
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  先日、いつもお世話になっている釜石にある真言宗高野山派不動寺の森脇妙紀さんを訪ねました。いつもタオルを各地から集めて、販売にも多大なるご支援を頂いています。いつもお世話になっているということで、陸前高田市の作り手さんと一緒にご挨拶に伺いました。
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 作り手さんのお手製のお煮染めと豆ご飯で、普段のお昼は控えめな作り手さんも食が進みます。やっぱりみんなでわいわいがやがやしながら食べるご飯は格別です。そこへ、相模原から届いたタオルでできたお花が登場です。これは、お供えのお花をわざわざタオルにして、終わったらまけないぞうに作って下さいと、送って下さった貴重な花かごです。作り手さんもこれにはびっくり!どうやって作るのか興味津々。これは特許をとって作ってあるので、作り方は秘密です。「私が死んだらこれにして欲しい!!」と、切実??な訴えです(笑)。妙紀さんも、「その時は私がお供えさせて頂きます」と約束してくれました(笑)。お花が大好きな作り手さんは、仮設でもお花をいっぱい育てています。
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 ここでも話は、今後の住宅のことです。以前のニュースでもお伝えしていますが、復興住宅に移る人、自力再建する人、動物などを飼える復興住宅に移る人など、ぞうさんの作り手さんでも、今後はバラバラになっていってしまう人たちがいます。お一人の方はこの10月くらいにも再建して引っ越しの予定です。冗談半分に「バイバ~イ」という人、引っ越しを言いづらそうにしている人、「また、みんなバラバラだ」と、その言葉のうらに不安と寂しさが見え隠れします。
 大槌町の作り手さんは、「住宅もあと5年先だって~、もうがっくりしちゃうよ。そしたら、10年もここにいるようだよ。」「もうは~、わたしなんて80才になっちゃうよ。家ができた頃には、もうどうなっているか?せめてもう少し若いうちに再建したいよ」「仮設では死にたくないよ。みんなそれを願っているよ」と切実な心の叫びが聞こえてきます。
「土地は決まって9月から着工って言うけど、まだ何にも手をつけてね~。目途がはっきりすれば、がんばれるけど延び延びじゃ、もうやんなっちゃうよ」「お盆前から体調を崩してね。お医者さんには、『ストレスだ!』と言われたよ」と。「それでもなにもしていなかったら、しんどいだけだし、少しでもぞうさんがあるんならやっている方がいくらかましよ」と、先の見えない不安を訴える人がほとんどです。やはり人は夢や希望、生きがいなどといった張り合いがなければ、心も体も弱くなっていくということを、実感します。
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大船渡の作り手さんも、「もうずっと悩んでいる。高台移転か復興住宅。それが一番しんどいよ。復興住宅じゃ畑もできないし。小さな庭でも畑やお花をしたいな。前の家は地震で傾いてしまった。三陸大津波の時に高台移転して、土盛りをしたところだけが今回の地震で沈んでしまったの・・・。あ~悩む。考えすぎて体調があまり思わしくない。」
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【まけないぞう一言メッセージ】
大震災から3年半も過ぎ、ぼつぼつと空き室も出てきます。いつここから出られるのかと一人残るのではないかとか、何もしないと考え不安になります。ゾーさんを作っていると何も考えず、自分の作ったゾーさんでもみんな顔が違うので、一人で笑ったりして心が晴れます。
(2014年9月17日 大船渡市黒土田仮設 71才 女性)

【東日本大震災】レポートNo.247

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月12日
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 今日は久しぶりの青空でした。気温もぐっと下がってきました。そして、遠野仮設へ回収へ。「もう遅いから、ぞうさんほこりかぶってたよ(笑)」と言いつつも厳重に紙をかぶせて、大事に保管してくれていました。
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「ねぇ見て見て、このぞうさん可愛いでしょう??まるでお口があるみたいでしょう」と、笑顔で語りかけてくれます。「このぞうさんも可愛いよ。」「あらっこっちのも可愛いよ」とやっぱり丹精込めて作った自分のぞうさんが一番かわいいのかしら・・・(笑)
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「ちょっと時間あるでしょう」と、遠野仮設には渡り廊下があり、コミュニティスペースにもなります。椅子を並べて、お茶とお茶うけがあっという間に出てきて、お茶っこタイムです。季節的にも屋外でも風通しがよくとっても気持ちよく、おしゃべりも弾みます。
「広島や丹波の被災地に行って来たんだよ」と話すと、「あっ丹波篠山ね。お豆がおいしいよね」と!びっくりして訪ねると、「昔大阪に数年住んでいて、子ども会で丹波篠山行ったから知ってるよ。向こうも今回の水害で大変だね」と、東北の地で急に地元兵庫の話題ができて嬉しかったです。
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 話題は住宅のこと。「(沿岸から)遠野にきて、もう慣れたから地元には帰りたくないの」。仮設の近所に自力再建した人は、「やっぱり仮設が恋しいの。知った人ばっかだもんね」と少し淋しそうに。「せっかくここに(仮設)来て、仲良く慣れたんだから」と話してくれます。被災地から仮設、みなし仮設、県外、そして、復興住宅、自力再建と被災者の人たちは何度も何度もコミュニティを壊され、作り直さなければならないのです。今後より一層コミュニティづくりのお手伝いが急務の課題となるでしょう。復興住宅、自力再建できたというのはただハコモノができただけで、暮らしはすぐには再建できないのです。それは私たち神戸や他の被災地で学んだことです。だからこそ、今からが正念場なのです。
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午後からは、大槌町吉里吉里に伺いました。ここでは、なんと大きなぞうさんがたくさんいるではないですか!!バスタオルでつくったぞうさんです。「この大きなぞうさんを広島や丹波の被災地に持って行ってもいいですか?」と聞くと、「あ~よかった。役に立つのなら持っていってもらったらうれしい。行き先が決まってよかった」と言ってくれました。
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そして、また前回来たときに釜石の不動寺さんが神奈川県から頂いた、お供物のタオルのお花がぞうさんに出来上がっていました。「これは、お寺さんから頂いたお供物でできたぞうさんだからお守りにするの」と、とても大事そうにしていらっしゃいました。
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仮設の窓から見える空は小さいですが、
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心の中では大きく広がり、世界とつながっているぞうさん。
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そして、多くの人に支えられている実感。
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家中には「まけないぞう」が飾ってあります。いつもあなたのそばにいます。
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【まけないぞう一言メッセージ】
まけないぞうを作るときは、他のことは何も考えず一心に作ることだけに専念しています。一頭出来上がるごとに少しずつ幸せに近づいているような気がします。作り手の私たちの手元から、みなさんのところへ届くときは「まけないぞう」、みなさんが手にされた後は「忘れないぞう」に名前を変えて下されば嬉しいのですが。
(2014年5月5日 遠野仮設 74才 女性)

【東日本大震災】レポートNo.246

7・8月集中豪雨災害の広島から戻り、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  あれから3年半が過ぎた被災地より  
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 今日で東日本大震災から3年半の節目を迎えました。紙面では「24万人避難生活続く」「進まぬ住宅再建」「入札不調震災前の4倍」「仮設生活 今も8.9万人」「」などまだまだ先行きが見えない深刻な見出しが多かったです。道路をつくるため、防潮堤の工事など公共工事は進んでいますが、それより先に、高台への避難路、復興住宅、高台移転など、被災者の暮らしを優先した復興がなぜ後回しになるのでしょうか?
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今日11日は月命日ということで、釜石の作り手さんをいつもまけないぞうの販売やタオルの仕分けにご協力頂いているお寺さんにお連れしました。全国各地から届いたお茶菓子を頂きながら、やはり当時の津波の話になります。
「あの時は、高い方高い方に逃げて、やっと避難所にたどりついた」
「お父さん(息子さん)の遺体の上を知らずに通っていた。」
「私は、チリ津波、十勝沖津波、今回と3回も津波に遭った」
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昨日のお邪魔した、陸前高田の作り手さんは、
「毎日、津波の話、聞かねぇ日はないな」
「仮設もバラバラ、またバラバラ(復興住宅などへ移るので)」
「また、せまっこい中、はいらな、わかんねぇんだ」(次も狭い復興住宅に入らないといけないんだ)
「復興住宅入ったら、もう花もできねぇ、今年で終わりだ!」
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陸前高田では、第一期の復興住宅が完成し、来月から入居が始まります。それで、何人かの人が仮設から復興住宅に移るようで、自力再建した人など、何かと落ち着かない日々が過ぎているようです。来年の秋には、動物も一緒に住める住宅が建設されるようですが、コミュニティがどんどん崩壊しています。阪神・淡路の教訓を考えると2度も3度もコミュニティを崩され、復興住宅での孤独死などはいまも続いています。東日本被災地でも復興住宅やバラバラになってしまった人たちのきめ細かいフォローが欠かせません。
釜石で復興住宅へ入居した人は、入居してからほとんど外に出ることもなく、家の中で過ごし体調が思わしくありません。ボランティアも減っていく中で、バラバラになった人たちのフォローをどうしていくかが課題です。ちなみに今回広島で起きた土砂災害の被災地でも仮設は建設されず、既存の住宅への入居が進められています。こちらでもコミュニティの崩壊が起きつつあります。住み慣れた環境においてコミュニティの崩壊は、心も体も崩壊させてしまうケースがあります。そんな声なき声に耳を傾けることが本当の意味での町の復興には欠かせません。
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ある作り手さんは、「最近私は傾聴ボランティアの講習を受けているの」と避難所でも何もやらせてもらえず、私たちに何かやらせて欲しいと直談判したそうです。被災者はやはり支えられるだけの弱者ではなく、双方向にお互いに支え合える関係が大切なのだと、またここで実感することができました。
「自分がこんな目にあって、この間本当にいろんな人に支えられ感謝してます。」
「お茶っこに来て、話したいこと話して、胸がすっきりした」
 と最後に笑顔で帰ることができました。
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 【まけないぞう一言メッセージ】
ぞうさんを作り始めて3年が過ぎ、私も年をとり腰が曲がってきました。でもぞうさん作りをしていると、とても若い気持ちで幸せです。私の作ったぞうさんが、人の心を和ませるのかと思うと涙がでます。ぞうさんありがとう!!
(2014年6月22日 釜石市復興住宅 88才 女性)