【東日本大震災】レポートNo.276

あれから6年、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 6年が経過した被災地を訪れました。今回は、東日本大震災の発生直後からタオル仕分け隊としてまけないぞうを応援して下さっている家藤美仁さん、阪神淡路大震災から障害者支援で奔走していた溝渕裕子さんが神戸から同行してくれました。道中は時折、雪が舞う中、3人で快走でした。お二人のお陰で無事に岩手に到着です。
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 到着してからも私たちを歓迎??するように時折、吹雪いていました。そして、拠点が遠野市から陸前高田市に移り、早速引っ越しです。春の嵐のような雪が降る中、遠野と高田を何度も往復し、お二人のお陰で無事に引っ越しも完了しました。
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 翌日からはお二人と大槌町にまけないぞうの回収に行きました。以前家藤さんが訪ねたことのある作り手さんを訪ねました。仲の良いご夫婦で、手作りのおつけもの、「こまこま」(地域によってはざくざく)という野菜を細かく切って炊いた煮物やワカメの茎の炊いたんなどの郷土料理を作って待ってくれていました。お土産にお持ちしたぞうさんグッズとパチリ!ご夫婦は順調にいけば、8月くらいに戸建ての復興住宅に入居予定です。狭い仮設での生活も限界で、新居の話をするときはうれしそうに話してくれます。
 
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続いて、もう一人の作り手さんのところにいくと、マスコミでも取り上げられていましたが、大槌町での住宅再建補助での話が話題になりました。大槌町は津波を受けた造成地を区画整理して新たにそこに家を再建する人に補助金として100万円を出す方針を示しましたが、すでに家を再建した人との格差が生じるとして保留されるということがありました。これは、区画整理してもなかなか移住などが進まず、いまのところ空き地が出てしまっていることから生じる行政の失策か・・・?
自力再建、復興住宅、被災地外への転居など大きく環境が変わろうとしている中で、人口流出の問題、コミュニティの再構築、高齢化、雇用創出、ハード優先の復興における課題がさまざまな形で6年が経過した被災地に押し寄せています。
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【東日本大震災】レポートNo.275

あれから5年8ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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5年8か月が経ちました。徐々に変わりゆく街の姿を眺めながら車を走らせ、作り手さんのもとへタオルと支援者からのメッセージを携え、まけないぞうの回収へ。
 「まさか6年近くも仮設にいるなんてね~」と長い月日の重みを感じます。体調を崩す方もいらっしゃいました。「病気でね、ぞうさんがうまく作れなくて、何度も何度もほどいては作り直すけど、うまくいかないの」と、遠い目をしながら話す作り手さん。「でも具合がよくなったら、作るから」ということでタオルを置いて帰ります。
 また、「6年だもんね。生きるのは辛い、あの時生きてしまったから」と、「これからのことを考えると本当に大変。仮設の時は、同じ境遇の人もいたからいろいろ話せたけど、家を流されただけの人と家族を亡くした人とは話が合わない。復興住宅ではいろいろな境遇の人がいるから話が合わないからしないんだ」と。心の傷はどれほどか想像し難い。
 
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ある作り手さんが「復興したというけれど、心の復興がなければだめだと思う。ココ(新しい土地)には慣れない。回覧もなく、生まれた育った土地にお茶っこしに行くの。心の復興について行政は思っていない。」という言葉がとても重く感じました。「来年の8月には公営住宅が建てられるからよかった。だれ~こんな狭い仮設に5年もいたんだもの」と再建が見えてきた人もいます。
 そんな中で、まけないぞうが確実に心の支えになっています。「津波で着の身着のままできて、たくさんの人に支えられ、ここまで来ました。だから恩返しというか私も人の役に立ちたいという気持ちがあり、まけないぞうは一つ作って100円だけれど、100円より時間よりまけないぞう基金の50円というのは、一つ作ればボランティアになる。いざ災害でボランティアをしようと思っても行くこともできないので、50円基金ならボランティアができる。それにともて魅力を感じた。まけないぞうは心の癒しだし、心の空間を埋めるものにもなった」と話してくれました。
 
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 支えられるだけの被災者が気づくと支える側にまわることができる。それが阪神淡路から20年続けてきたまけないぞうの魅力です。一方通行の支援ではなく双方につながることができる被災地から被災地へのメッセンジャーまけないぞう。各地で元気や勇気を届けています。
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【東日本大震災】レポートNo.274

あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 今日で、東日本大震災から5年半を迎えました。犠牲になられた方に心よりご冥福をお祈りします。また行方不明者の方が一日も早く見つかることを心より願っています。5年半の月日で復興は進んでいる部分もありますが、行政と住民の復興への気持ちとのかい離が浮かび上がっているようです。
 
今回、作り手さんのところへお邪魔した時に久しぶりにぞうさんを一緒につくってみましょうということで、ちくちくスタート!こちらも久しぶりのぞうさんづくりで緊張しながら一緒に作りました。
 
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 ちくちく縫い進んでいくと、「あれ~??なんだか鼻の作り方がおかしい??」、その方のぞうさん「いつもお鼻がずいぶん大きいな~」と思っていたのですが、
(私)「ちょとお鼻の作り方が違いますよ~」
(作り手さん)「え~だって、こう教わったのよ」
(私)「いいえ、こうですよ」
(作り手さん)「え~そうだったの??だから、たまには復習しないとだめよ~。自分流にやってしまっているから」
と大笑いしながらの作り方の復習でした。
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彼女はたくさんのリングぞうさんをつくってくれています。また、リングぞうさんはお尻がプリッとしていて、後姿もとってもかわいいです。作り手さんが一生懸命作っていますので、ぜひ、買ってください。
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 そして夜は、大槌町の吉里吉里海岸で毎年開かれている「吉里吉里映画祭」に行きました。今年は熊本支援のチャリティ上映で「うつくしいひと」と「未来のカケラ」でした。「うつくしいひとは」熊本の阿蘇などの大自然の風景を舞台に繰り広げられるショートムービーです。「未来のカケラ」は東日本大震災で被災した小学生の作文をもとに作られたもので、夢のある映画です。
 こうして、両被災地が映画を通して、つながって支え合いの輪が広がっています。最後に実行委員会の方が「東日本で受けた支援の輪を今度は熊本につなげる」と話してくれました。被災地から被災地へ支援の輪が広がり、避けられない自然災害ですが、少しでも被害が食い止められたら何よりです。
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 当時はまさか岩手で水害によりこんな被害がでるとは思いもよりませんでした。いま被災地では津波でお世話になった人たちが、当時の恩返しとしてボランティア活動をしているそうです。災害はどんなものであってもとても辛いものです。けれども、「災害は悔しいけれど、こうしてみんなに出会えてよかった。」という言葉を聞くのも被災地です。
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【東日本大震災】レポートNo.273

あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 今回の台風10号は岩手県の沿岸に甚大な被害をもたらしました。2011年の津波からやっと立ち上がりかけた被災者に追い打ちをかけました。犠牲になられた方々に心からお悔やみ申し上げます。また被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
これまでの被災地から、新たな被災地に支え合いの輪が各地で生まれています。ただ、一方でそれぞれの教訓がいかされずに、被災地に行くたびに「まさか自分のところにこんな災害が起きるなんて」という言葉を必ず毎回被災地で聞いてきました。
東日本の被災地でも同じです。「まさかこんな津波がくるなんて」、今回の台風では「まさかこんな水害があるなんて」という言葉です。残念でしかたありません。
今回の8月に岩手を訪れた時は、熊本地震の後だったこともあり、東北の被災者の人は熊本の人たちのことをとても心配していました。「私たちは、津波ですべてを流されたから、あきらめがつくけど、熊本の人は大変でしょうね」、「津波は高いところへ逃げたらいいけど、地震は逃げるところがないから、心配」、「みんな、いまどうやって生活しているの?」などみなさん心配してくれています。
そして作り手さんを訪ねたところ、お孫さんのお宅にいました。そこで「まけないぞう」でコツコツためたお金でプレゼントしたお孫さんの机を初めて拝見することができました。
とても立派な机です。その横にはなんと、くまモンのカバーがかけられたランドセルがありました。机にも感動しましたが、そのそばに熊本の人気キャラクターがあって、なんかご縁を感じます。
 そして、お孫さんのベッドの傍らには「まけないぞう」が飾ってあります。ほこりをかぶらないようにビニールで完全防御です(笑)こうして、両被災地のグッズに囲まれうれしくなり、記念にパチリ!
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 お家の中には大きなぞうさんも飾られています。いつもなかの良いご夫婦でハイポーズ!
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 ところで、久しぶりに市内を見て回りました。5年を迎え町の全景が少しずつ見えてきました。津波の直後から見ていますが、区画がだいぶできてきました。
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 どんな被災地でも元の場所に戻る人、戻らない人、避難先で新たな生活を選んだ人、戻りたいけど戻れない人いろんな人たちがいると思います。それでもふるさとを想う気持ちは変わらないでしょう。災害によりふるさとを奪われてしまう人もたくさんいます。生かされたいのちを大切に生きていきたいものです。
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 短い夏を終え、まもなく東北は秋を迎えます。
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【東日本大震災】レポートNo.272

あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 今日30日で東日本大震災から2000日を迎えました。河北新報(2016/08/30)では「東日本大震災の発生から2000日目を迎えた30日、東北の被災地では復興への取り組みが続いている。そのスピードは、地域によって大きく異なる現実がある。」と伝えています。
仮設の集会所では、遠野の「ふきのとうの会」のみなさんがつるしびなの講習会を定期的に開催しています。みんなの笑い声が夏の暑さを吹き飛ばします。「ふきのとうの会」のみなさんは「3.11」の震災の直後から、「まけないぞう」の作り方を沿岸の被災者の人たちに伝えてくれて、いまでも3カ所の仮設でつるしびなの指導に行っています。5年経ったいまでも継続的に活動を続けている貴重な団体のひとつです。
 今回は「押絵(おしえ)」というもので、舞妓さんをモチーフにした作品です。これらの作品はひな祭りのときに、遠野で展示・公開されます。これまでの間にも多くの作品が生まれています。
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 みなさんつるしびなを作るのを楽しみにしています。
 仮設にそのまま残る人、仮設から引っ越した人、津波後に別の街に引っ越した人、これから引っ越す人など復興への道はそれぞれ違いますが、みなさんそれぞれのそのことを受け止めています。そのメンバーの中の人には「ここの仮設に入って本当によかった。こうしてみんなと仲良くできて、手芸もできたし、ここじゃなければこんなふうにできなかった」と。もうすぐ仮設からの卒業して復興住宅に引っ越すのですが、引っ越ししても毎月つるしびなの日には、仮設の集会所にくるそうです。こうして、少しでもコミュニティの維持ができれば、離れても寂しくなかったり、孤独を感じることも少ないと思います。
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 復興住宅での新しいコミュニティづくりが課題となっているいま、また改めて被災地に目を向けてほしいものです。
~訂正とお詫び~
2014年7・8月豪雨災害レポートNO.50の中で、「広島の被災地を歩いてみると、流れたお墓の救出などに関わった現場では、お墓の区画ができあがり、新しくなったお墓が目立ち、観音様が建立されていました。」の中の観音様はもともとあったもので、観音様の台座の碑文が新しく刻まれていました、というのが正確でした。
NO.51で「法要を行ったのは、広島密教青年会の有志の方たちです。」とお伝えしましたが、ただしくは「高野山真言宗広島青年教師会」でした。合わせて訂正してお詫びいたします。

【東日本大震災】レポートNo.271

あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  7月30日
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 沿岸では、国土強靭化の名の元ハード面の復旧が粛々と進んでいます。復興予算として計上された総額は5兆6328億円です。執行しているのは2015年度で65%とされています。たまたま地元紙を見ていたところその横の記事には公的年金の積立金を運用し、その総額が5兆3098億円だったと伝えられていました。一体この国はどうなっているでしょうか?
 沿岸を車で走ると、高い防潮堤が要塞のごとく街を取り囲み、住宅よりも高く、その近くにいくと到底海などは見えません。山は削られ、生態系が崩れ、山津波を心配する人々。「こんなはずじゃなかった」という声も聞こえてきます。前に「壊すのは簡単だけれど、植物が育つには何年もかかるんだよ」ということを言われたのが心をよぎります。
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 「復興道路」も整備が進みます。リアス式の三陸沿岸には復興道路として三陸縦貫道の建設が各地で進んでいます。いままでだったら立ち寄っていた道の駅も縦貫道が整備されることで通り過ぎてしまうケースが見受けられます。大船渡にある国道45号沿いの「道の駅さんりく」もその一つです。これまでは、売り上げも好調ということでしたが、「同道の駅は、吉浜道路開通の影響などで昨年度の売上高(三陸直売組合の受託販売分を除く)が約2億4300万円(前年度比94・6%)、物産センター部分の来館者数は過去10年間で最少の16万9707人(同約2万人減)と落ち込んだ。」(岩手日報2016/08/19)と伝えています。こうした売り上げの減少は直接被災者の収入にも影響します。直売組合員の人たちは津波の被災者です。収入が維持できなければ生活を圧迫することになります。「復興」という名の道路が、被災者の人たちの生活を圧迫して本来の「復興」の意味とは違います。
 よく被災地でいわれるのが「ショック・ドクトリン=惨事便乗型資本主義」というものです。被災地に大型の資本がはいり、地元の中小零細企業がこれまでの通りの生活がいきゆかなくなるのです。一方で、そのくらいでダメになるならしょうがない、もっと競争力を持って商売をしないといけないんだと指摘する人もいます。これまでの通り食べていくに困らない程度に仕事を生きがいとしてきた人の生業を奪っていくことが復興なのでしょうか?住民の十分な合意形成もないまま、外部の大手資本を誘導し、それに負けないようにしないといけないというのは、強引だと思います。復興住宅にコミュニティづくりとしてテナントを用意してもテナント料が高くて空き店舗になったりと、一体だれのための何のための「復興」なのでしょうか?そこに生活するのは被災当事者である地元の住民です。その人たちが主人公なのです。
 毎回感じてはいるのですが、年を追うごとに、沿岸の変わり果てた姿をみて、まざまざと人間の傲慢さを感じ、強い憤りを覚えました。             
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【東日本大震災】レポートNo.270

被災地NGO協働センターです。
あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 東北も梅雨明けです。梅雨の肌寒さが嘘のように、夏の暑い日差しが照り付けています。
それでも、東北の夏は涼しく風は爽やかです。緑が深く、青い空、夕焼け、星空と何度来ても自然の豊かさを感じさせてくれます。こんな自然をいつまでも大切にしたいものですね。
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 久しぶりに伺った作り手さんは1ヶ月前に仮設から災害復興住宅に引っ越しをされていました。海辺から山奥に仮設が建てられ、「奥に引っ込んでたの」とみなさんに話しながら、部屋のドアはガラス張りで明るく、開放感があり、海風が心地よく通っていきます。
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作り手さんも「ここはいいのよ~、風が仮設とは違うのでしょ??涼しいのよ。ここはお友だちもたくさんいるし、お寺さんも近くて、窓から見えるのよ。だから毎朝、お寺の鐘とともにお部屋から手を合わせるの。」と仮設にいた頃より、とても明るく笑顔が素敵でした。「毎日お友だちとお茶のみしながら、おしゃべりして、忙しいのよ~。」と本当にうれしそうに話してくれます。
 住み慣れた場所に戻るというのは、これほどまでに人を変えるということを目の当たりにしました。
 そして、近くに住むお友だちが「ぜひ、まけないぞうを作りたい」ということで、久しぶりにぞうさん講習会です。ふと思い出したのが、この災害復興住宅が建った場所は、震災の時、避難所になっていた体育館だったところなのです。
 また、そこで偶然にもまけないぞうの講習ができるなんて、とてもうれしいような懐かしいような気がしました。当時はこんな様子でした。ロイター通信記者の我謝京子さんがmakenaizoneの主宰青木先生と取材に来てくれたところです。
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 「そうだね~懐かしいね~」と話を弾ませながらチクチクとぞうさんが出来上がっていきます。
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それぞれの復興への道を歩みつつあります。

【東日本大震災】レポートNo.269

被災地NGO協働センターです。
あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 久しぶりの作り手さんとの再会はとても嬉しいものです。みなさんにご支援頂きました“まけないぞう号2代目”が緑の中を走り抜け、作り手さんのところへお伺いしました。これもひとえに「まけないぞう」を応援してくださるみなさまのお陰です。ありがとうございました。作り手さんにそのことをお伝えすると「え~ほんとに??私も寄付しようか??」とうれしい言葉を頂きました。そんな風にみなさんが「まけないぞう」のことを想って下さっていて本当に「まけないぞう」は幸せものです。あらためてお礼を申し上げます。
そして、makenaizoneのみなさんが届けてくれたぞうさんのお手紙を作り手さんにお渡ししました。「わぁうれしいね~」「私のぞうさんはどこの国へ行くんだろうね」「ぞうさん活躍してるね」ととても喜んでくれました。
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 さて5年が過ぎ、やっと仮設を出て新たな暮らしがはじまった人もいます。「私はやっと先が見えてきて、これからはよくなる一方です。だから、熊本の人のことを考えるとこれから大変だろうから、私はそろそろ卒業して、今度は熊本の人に必要な人がいればぞうさんをしてもらいたい。私も仮設に来た時は、知らない人ばかり、コミュニティが大変だった。それで一人になって部屋にこもりたいこともありました。そんな時に部屋のなかで何もしないでぽーっとしているより、まけないぞうがあってとても助けられました。」と言ってくれました。なんだか寂しいような、うれしいような気持ちが入り混じりました。
 5年という月日がさまざまな変化を生み出しています。再建をできた人、まだ造成が終わらず2~3年はかかる人など、それぞれ立場違います。「私は、ここで(仮設)最後までがんばる」という人もいます。
 8月1日には岩手県最大の災害復興住宅への入居が陸前高田市で開始されました。それは「県営栃ヶ沢アパート」です。9階建てと8階建ての2棟301戸が整備されました。河北新報(2016/8/1)によると、「だが、持ち家が中心の市民に高層集合住宅はなじみが薄く、新たなコミュニティづくりや防災対策が課題となっている。アパートは高台の市役所仮庁舎近くに立地する。県大船渡土木センターによると、現段階の入居見込みは206世帯。このうち、一人暮らし高齢者は24.8%に及ぶ」と伝えられています。
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 こうして、まもなく5年と4ヶ月が過ぎようとしていますが、被災者のみなさまはそれぞれの復興への道を歩みつつあります。これからも末永く見守り続けてください。

【東日本大震災】レポートNo.268

あれから5年4ヶ月、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  7月22日
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今年の「3.11」で、丸5年が経ち6年目を迎えました。それから4ヶ月ぶりの岩手入りです。その間に熊本地震が発生し、少し遅れてやっと岩手に来ることができました。こちらは、田んぼが青々とし、山の緑は深く、清々しい風が降り注いでいます。
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 恒例となった第6回目となる盛岡市にある百貨店川徳での「岩手発 手しごと絆フェア」が7月21日(木)~26日(火)まで開催しています。宣伝の効果もあり、初日、二日目とこれまでの最高の売り上げとなり、作り手さんの笑顔が目に浮かびます。そして、販売には毎年お手伝いに来て下さる盛岡情報ビジネス専門学校の学生さんが大活躍です。みなさん熱心に販売活動をしてくれます。これも会場をお貸し頂いている株式カワトクのみなさんや東京大学被災地支援ネットワークのみなさんのお陰だと心から感謝致します。
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お客さんの中には沿岸に住んでいた被災者の方も多くいます。
「私も釜石の避難所にいたの。みんなぞうさん作っていたけど、作り方を覚えないうちに出ちゃったの。。。」という方がいました。いまではその避難所の跡地に復興住宅が建ち、なんとその住宅には同じ避難所にいて、まけないぞうづくりをしていた人が、1ヶ月前に仮設から引っ越し、そこでまけないぞう作りを続けているのです。これも何かのご縁でしょうか??
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 他にもたくさんの方が来てくださり、たくさんのまけないぞうがお引越ししました。
「大槌で妹が流された。高田にも、大船渡にも知り合いがいる」
「タイでまけないぞう売っていたよ」
「去年も買って真っ黒になっちゃったから、また買っていこう」
「孫に買って行こう」
「顔が違うから迷っちゃう」
「お友だちにプレゼントするから、説明書ください!!」
 明日は最終日です。お近くの方はぜひご来場ください。お待ちしております!

【東日本大震災】レポートNo.267

あれから5年目、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月14日
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 被災地では3.11前後はみなさん心が揺れています。もうすでに5年が経過し、被災地の様子は様変わりしています。盛り土が進み、道路がこれまでとは違ったり、行くたびに昔の面影はなくなり、思い出すことも難しいようなまちづくりの整備が行われています。果たしてこれでいいのでしょうか??
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 そんな中で、3.11が間近になると子どもたちの心も揺れます。あの小さな体であんな大きな津波のことをどう受け止めればいいのでしょうか?東京に避難した子どもたちは、3.11が近づくと津波の夢を毎日みるようになるそうです。東京では津波の話もあまりないし、痛みの共有ができないようです。3月11日だけは学校を休んで、家族と祈りの日にしたいと訴えている子もいます。でも3月11日まで気持ちが持たずに、ほぼそれまでの一週間学校を休んだそうです。
 また、当時小学生の孫と津波の後に再会し、無事を確認した後で、その子をその場に残して別の場所へ移動したという人がいました。もちろんそれはやむをえずとった行動でした。けれど、その子は「なんで置いて行かれたのだろう?」とずっと気にしていて、数年後やっとそのことをおじいちゃんに確認し、二人は夜枕を並べながら朝まで当日のことを語り合ったそうです。
 こうして、県外で避難生活をしている子どもたちも心にたくさんの傷を残しながら、生活しています。そして、「3.11」のその日が来るたびにあの日と向き合い、一日、一年心に折り合いをつけていくのでしょう。私たちにできることは、そっと見守るしかできません。被災地にはそんな子どもたちがたくさんいます。子どもに対する心のケアは長期的に必要です。「阪神・淡路大震災では3~4年後にピークを迎えたとの指摘もある。心に深い傷を残すトラウマを放置しておくと症状が悪化し長期的なうつやひきこもりにつながるケースもある」(毎日新聞2016/3/13)と指摘しています。子どもたちが思いっきり外を駆け回り、遊ぶことができるのはいつになるのでしょう。。。。
 
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