事務所へのアクセス

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阪神電鉄・阪急電鉄・山陽電鉄より
神戸高速鉄道「新開地駅」西口より徒歩5分。
西口改札を出て右へ直進、突き当たりを右折してNo.1出口(東京三菱銀行わき)より地上に出て、表の道路を右側へ。日石ガソリンスタンドの角を右(山側)へ曲がり、2つめの角を左へ曲がってください。
神戸電鉄・神戸市営地下鉄より
神戸電鉄「湊川駅」・市営地下鉄「湊川公園駅」の地下鉄西出口2より徒歩8分。
西出口2より地上に出て、表の道路を右側(浜側)へ。2つめの信号を右へ曲がってください。
JRより
JR神戸線「兵庫駅」より徒歩20分。
または「神戸駅」で神戸高速鉄道「高速神戸駅」へ乗り換え、「新開地駅」までお越し下さい。
被災地NGO恊働センターへの道筋
ダイヤ通り商店街沿いに「水木湯」という風呂屋さんがあります。その風呂屋さんの前の筋を北に上がって右手側にあります。


連絡先 E-mail:info@ngo-kyodo.org
〒652-0801 兵庫県神戸市兵庫区中道通2-1-10
TEL: 078-574-0701 FAX:078-574-0702
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.58能登半島地震から4ヶ月が経ちました。いまだ避難者は4,600人ほどいます。避難所以外にも親戚の家や大規模半壊のなどの認定を受けた家に留まっている人たちもいます。 当センターでは現在も七尾市中島町小牧(おまき)に拠点をおきながら、物資の配布、家屋の片付け、仮設の見守り、在宅支援、避難所運営のサポートなどを行っています。4月に入ってからは、ボランティアも少なめですが、できる範囲で活動しています。発災直後から、炊き出しを行ってきたボランティア団体もいまでは少なくなり、最近地元の方を中心に炊き出しをしてくれるようになっています。 少し前に炊き出しをしてくれたカキ小屋の山田水産の方は地元を応援しようと募金箱を設置し、募金を集めていました。その募金の使い道についてこう考えていたそうです。「もともとは、いつもお世話になっているじんのび広場(小牧拠点の愛称)さんに寄付をしたい気持ちと私も支援される側から支援する側に変わる時期かもと思って設置してみたものねん。もし、じんのび広場が必要ならそのまま渡したいなと。それが無理なら炊き出しをじんのび広場でしたいなと思っとった。みんなじんのび広場ラインを楽しみにしていると思うし、楽しいなとか嬉しいなとかそんな気持ちがまだ続いて欲しい、私も含めてそう思っとるはず!」と心温まるメッセージを頂きました。 そんな想いをぜひ、地元の方に届けたいと貴重な募金を活用して学校給食のようなカレーを作って在宅のみなさんにふるまってくれました。カレーはとても好評で、支援する側、される側がお互いに笑顔になり、一方通行ではなくお互いに支え合える関係になりました。 「自立」とは何か?29年前の阪神・淡路大震災から「自立とは支え合えい」だと言ってきました。ここ能登半島で「自立とは支え合い」ということをあらためて実感しました。 今回の能登半島地震では多くの避難所では、災害救助法に基づく食事支援がなかったため、被災者自ら、地元の住民、またNGO・NPO関係者などが炊き出しを行っていました。「自立」とは一人で立って歩くのではなく、お互いに支え合って活動することだと思いました。(増島智子)*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。引き続き現地からの情報を発信していきます。ブログはこちら→http://ngo-kyodo.org/2024noto/#日本財団#CivicForce#赤い羽根共同募金#sema緊急災害支援#一般社団法人おもやい#一般社団法人みんなの居場所はちはち#災害ngo結#四番隊■活動支援金のご協力をお願い致します。・クレジットカードでも寄付ができます。 https://congrant.com/project/ngokobe/605・ヤフー募金でもご寄付いただけます。 https://donation.yahoo.co.jp/detail/5240008・郵便振替口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター・銀行振込ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.54—自主避難所から、自立避難所へⅧ(輪島市西保地区上大沢編) 先日21日、地震直後に集団避難された西保地区7集落(上山、西二又、上大沢、大沢、赤崎、下山、小池)の一つ、大沢町に向かった。旧知の記者から教えて貰った輪島―門前を結ぶ249号線からの山越えのルートだ。実は、以前輪島市石浦から外浦の海岸沿いに走り、鵜入(この集落も一時孤立し全村避難した。)を過ぎて、大沢町まで行こうとチャレンジしたのだが、途中道路の陥没で残念した集落だった。 さて、教えて貰った山越えのルートでそのとおり林道を走り、249号線から30分ほどで辿り着いた。でも、そこは上大沢町だった。キーパーソンになる住民や地理などを出会った住民に尋ねていると、どうも同記者から聞いていた集落とは違うと気づいた。ここは大沢町ではなく、上大沢町で輪島からは整備された林道を通って、わずか1~2本のルートしかない。今回の地震で輪島―珠洲をつなぐ外浦の海岸線は、ことごとく大崩落で通行止めになっているため、このように山越えで行くしかないという集落は少なくない。ここ上大沢町も同じだ。海岸は隆起し、また大規模な山崩れもあり、あらためて今回の地震の大きさを痛感する。電気は通ったばかりだが水は断水。山の湧き水を活用しているがこの地震の影響か、水量が減ったと。上大沢町は地震時20世帯が暮らしていて、現在5~6件が戻っているとのこと。丁度Y区長さんと農家さんがお一人おられた。この農家さんは、稲の苗を育てている。今のうちに処理しないと稲は腐って使い物にならない。つまり来年の米の収穫がないということ。また“田起こし”も始めたと。「これが仕事なので輪島からバイクで通っている」と。グリーンコープさんから提供されたヨーグルトを差し上げたら、「こんなの地震以来飲んだことがないよ。救援物資では入ってこない」と凄く喜んでくれた。「救援物資は何も来ないのですか?」と聞いたら、「自立しろということかも知れないが、正直きついよ!」食料は何も来ないから‥・・・。亡くなられた精神科医の中井久夫さん(神戸大学名誉教授)がよく言っていた「ボランティアの第一歩は、黙って被災者の傍に寄ることだよ!」とおっしゃっていたことを思いだす。 区長さんは、みなし仮設に入っているのだが、集落の今後を懸念してこうして戻ってきている。集会所で寝泊まりしているとのこと。「私たちは、避難所や自主避難所の集会所などで足湯をして廻っています。ここの集会所でもできますか?」と尋ねたところ、「昼間は3~4人しかいないかも知れないよ!それでよければ是非」と了解して下さった。 一度は孤立し、二次避難所に‥‥。その後こうして“仕事があるから”と一時的に戻って、村を守る。仕事と表現されたが、田越しや稲の苗の育成という、生きていくための糧だ。これを自立と言わなければ、自立とは何だ? 行政が軽率に自立ということがあるが、あらためて現実の生き様と向き合ってほしいものだ。(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。引き続き現地からの情報を発信していきます。ブログはこちら→http://ngo-kyodo.org/2024noto/■活動支援金のご協力をお願い致します。・クレジットカードでも寄付ができます。  https://congrant.com/project/ngokobe/605 ・ヤフー募金でもご寄付いただけます。  https://donation.yahoo.co.jp/detail/5240008・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556  名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.53 今年の元日に能登半島地震が発生し、まもなく4ヶ月が過ぎようとしています。みなさまにおかれましては、この間、貴重なご寄付をはじめ物心両面で多大なるご支援を下さいましたことに、衷心より感謝を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。 その上で、以下のようなご寄付のお願いをさせて頂くのは、ほんとうに心苦しいのですが、2007年の能登半島地震以来のお付き合いをさせて頂いてきた曹洞宗興禅寺住職(輪島市門前町走出)市堀玉宗師よりの能登再建の並々ならぬ決意を受けて、みなさまに重ね重ねご支援を賜りたいとお願いする次第であります。末尾に記している永福寺(輪島市鳳至町石浦)は、市堀玉宗師のご長男が住職を務めているお寺であります。この度の地震で準半壊という認定を受けた被害ですが、本来の寺の役割かつ仏弟子としての市堀玉宗師の能登再建をふまえての覚悟を込めて、解体後に小さいながらも『お堂』を建造することでの再出発することになりました。何卒、ご支援を賜りたくよろしくお願いするとともに、下記のお願いをできる限りの拡散して下さることを望みます。被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清                                (2024年4月23日) 『永福寺被災、その後』 永福寺復興支援をして頂いた方々へのご報告を兼ねて、寺の現状をお伝えします。復興再生の基本的なところは弟子に委ねていることは変わりません。これはあくまで永福寺前住職である私の願望です。動画で吐露した朝市観音の構想は支援先として期待していた台湾の慈善団体が、自国の震災ということで恐らく当然のことながら自国優先で能登の支援は絶ち消えになるでしょう。永福寺住職である弟子の孝宗は大乗寺にお勤めしながら、彼なりに知人の知恵や縁故の力を頼りに永福寺の再生を模索しているようですが、未だ形にはできていないようです。私的には解体撤去して縮小再出発をしたいのですが、「準半壊」と査定され「半壊」になって公費解体を願い出たく申立てをして、今はその再審査待ちです。いずれにしても、寺の年間行持は以前のようにできるまでには数年かかりましょう。伽藍がなくてもできる行持もなくはありません。寒行托鉢やお盆の棚経も来年からはできるでしょう。葬式は以前から年間を通じて頼まれることはほとんどありません。震災以前からの風潮である家族葬流行で教区寺院の葬儀に随喜する機会も激減しました。こんな状況下、檀家のない永福寺ですが、これまで少ないながら地域の人たちの心のよりどころとなっていたと自負しています。そのような篤い信者のためにもお堂レベルの伽藍でも構わないので建立したいのです。輪島の被災状況、宗教意識、家族意識などを考慮すれば、弟子の言うように永福寺には大伽藍など意味がありません。義母が亡くなった後、興禅寺には私と妻が、義姉はみなし仮設住宅から永福寺にある自分の持ち物を整理すべく、興禅寺に泊まったりして金沢を行き来しています。興禅寺は今回の地震に耐えてくれて、寺族の避難場所としても機能していますが、興禅寺檀家の現況を考慮すれば永福寺と同様の事情を抱えています。そのために次の代に引き渡すべく、できる範囲で力を尽くしていこうと思っています。お陰様で国民年金も少しばかり当たるので喰うには困らないでしょう。非日常を越えたこころの安らぎをわがものとして終活にいそしみたいものです。支援していただいている方々には末永く永福寺の行く末を見守って戴けたら、仏弟子としての本懐これに過ぎるものはありません。皆様の、ご清寧なる日々を能登の地より祈念して、ご報告と致します。合掌。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※ 永福寺令和6年能登半島地震被災復興支援勧進〒928-0074石川県輪島市鳳至町石浦町1鳳来山永福寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・郵便振替口座加入者名  永福寺00750 5 101412  十方有縁の施主皆様の仏心に縋ります。  永福寺住職 市堀孝宗  合掌  興禅寺住職 市堀玉宗  合掌 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.52「自主避難所から、自立避難所へⅦ - 川上本町編」能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市の最先端にある三崎地区。その中の自主避難所である川上本町集会所には、現在、3名の被災者の方々が寝泊まりしている。この日、足湯隊の学生さんたちとここに水などを物資をお届けした。この集会所は、高台にあることから、地震直後には、約30名が避難してきたという。現在は、三崎地区内に2か所の仮設住宅110戸が建設されたことで、抽選に当たった人たちは避難所から仮設住宅や金沢などの2次避難所へと移っていった。この避難所を直後から運営してきたTさんは、「俺は区長だからここを離れられない。」と金沢に避難して奥さんとも離れ離れで暮らしている。Tさん自身も仮設住宅に応募したが、抽選に外れてしまったそうで、しばらくはここで3名で暮らさないといけないという。「2次避難した人が片付けや手続きなどで、時々帰って来て、泊めてくれって言うから、ここを閉めるわけにはいかないんだ」と語るTさんの表情から、その責任感が垣間見えた。そんなTさんは、後悔している事があるという。娘さん夫婦がこの地域に家を建てる事になり、Tさんは、海岸線が目の前の自分の土地に家を建てる事をすすめたそうだ。12月20日ごろに新築の家が完成して、娘さん夫婦はわずか10日ばかり住んだところで、地震に遭い、津波の被害を受けたという。「俺があんなこと言わなければ・・・」とボソッとつぶやいた。Tさんは、30分ほど離れた珠洲の中心部の蛸島の仮設が当たっても、「遠いから俺は行かない。。。」という。それは、物理的遠いという事よりも、区長としてここを離れる訳にはいかないという責任感からそう言ったように見えた。Tさんは、「4畳半の仮設は狭いわ。でも、夫婦が仲良くなるわ!」と冗談まじりで笑うが、その気丈にふるまっている姿が何とも痛ましかった。3か月休みなしでずっと走り続けてきた自主避難所の現実をTさんの姿から思い知らされた。(吉椿)*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。引き続き現地からの情報を発信していきます。ブログはこちら→ngo-kyodo.org/2024noto/■活動支援金のご協力をお願い致します。・クレジットカードでも寄付ができます。congrant.com/project/ngokobe/605 ・ヤフー募金でもご寄付いただけます。donation.yahoo.co.jp/detail/5240008・郵便振替口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター・銀行振込ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556  名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.50能登半島地震が発生してから、当センターの学生スタッフとして一緒に活動してくれている三宅奈央さんをご紹介します。大変な中ですが、彼女の持ち前の明るさと優しさで被災された住民さんに笑顔が広がっています。(増島)**************大阪大学人間科学部4年の三宅奈央です。今年の1月末から、被災地NGO恊働センターの学生スタッフとして能登で活動をしています。なぜボランティアを始めるようになったのか、その説明に欠かせないのは能登でも一緒に活動している「一般社団法人おもやい」の存在です。大学の研究室の先生に紹介されておもやいと出会い、人生が大きく変わりました。ボランティア活動を通じて、水害の被災地や貧困、様々な現場を目の当たりにして、自分の生きてきた世界の狭さを痛感しました。それがきっかけでもっと様々な経験をしたいと思い、大学4年生の10月から休学。日本各地を転々としながら生活していました。そんな中で起こったのが今回の能登半島地震でした。初めて能登を訪れたのは1月末。おもやいでのご縁などがあり、被災地NGO恊働センターの拠点でボランティアとして活動していました。そこで声をかけて頂き、今に至ります。能登に来て2か月以上が経ちました。胸が痛くなることがたくさんあります。けれど、誰かの優しさで心が温まることもたくさんあります。名前を覚えて「なおちゃん!」と声をかけてくださる方が日に日に増えていくのは、なんとも言えない嬉しさがあります。能登の皆さんや各地から来てくださるボランティアの方々、そしてともに活動するスタッフ。素敵な人たちに囲まれて、これからもこの場所で活動を続けていこうと思います。****************私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。引き続き現地からの情報を発信していきます。ブログはこちら→http://ngo-kyodo.org/2024noto/■活動支援金のご協力をお願い致します。・クレジットカードでも寄付ができます。  https://congrant.com/project/ngokobe/605・ヤフー募金でもご寄付いただけます。  https://donation.yahoo.co.jp/detail/5240008・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556   名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.48 一昨日、静岡県弁護士会の永野海弁護士をお呼びして、生活再建支援法の説明会と無料相談会を行いました。公費解体や罹災判定への質問が多く、分かりにくい制度を分かりやすく説明頂き、被災住民のみなさんにも好評でした。 増改築をしている家屋の公費解体については、現行制度では、棟続きになっている構造的に安全な母屋の一部を残して増改築した部分だけを解体するのはできないそうです。そうなると、「これまで住み繋いできた伝統家屋を住める部分があるにもかかわらず、解体が進んで、風情ある町並みがなくなっていくことを助長するのではないか」と懸念している建築家もいます。制度との狭間でどれだけ被災者に寄り添い、負担を軽減しながら住み繋いできた家屋を残していくのか、課題は尽きません。 相談会後には実際に被災された住宅やカキ小屋を見て頂き、アドバイスをもらった住民さんからは「凄く、良かったです。色々と教えてくれて、参考になりました!」とお礼のメッセージを頂きました!  物資の拠点のじんのび広場では神戸から来てくださった山田さんがグリーンアイズのコーヒーと社会福祉法人えんぴつの家のラスクをふるまってくれました。みなさんありがとうございます!! (増島智子)*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。引き続き現地からの情報を発信していきます。ブログはこちら→http://ngo-kyodo.org/2024noto/#日本財団#CivicForce#赤い羽根共同募金#sema緊急災害支援#一般社団法人おもやい#一般社団法人みんなの居場所はちはち#風組関東#AAR(難民を助ける会)■活動支援金のご協力をお願い致します。・クレジットカードでも寄付ができます。 https://congrant.com/project/ngokobe/605・ヤフー募金でもご寄付いただけます。 https://donation.yahoo.co.jp/detail/5240008・郵便振替口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター・銀行振込ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.47—自主避難所から、自立避難所へⅥー(珠洲市折戸地区編:日置ハウス) 能登半島最北東端、奥能登の狼煙(のろし)地域から少し走ると折戸町に入る。ここに、発災後避難所になっている旧日置小・中学校を改築し、36名が宿泊できる滞在交流施設「日置ハウス」がある。学校を改築した施設なので、玄関を入ったところは当時の履物をいれる棚が並んでいて、また救援物資を雑然と積み上げているので、滞在交流施設という雰囲気ではなかった。震災以来3か月避難所として活用しているからだろう。 玄関を入って大きな声で「こんにちは!」と2回ほど叫んだところ、避難所の責任者らしき?男性が対応してくれた。「地震後、いろいろな避難所で足湯をして廻っています。ここでも足湯をできないかと、訪ねてきました。」と話しかけると、「ここは早くから水も、電気も通っているし、早くから風呂にも入れるの‥‥」と。そもそもこの施設は、幸い被害がなかったようだ。 でも、まだ30人も寝泊まりしているということは、少なくとも夜は家に帰れない事情があるのだろう。発災から3ヶ月が過ぎ、同じように昼間は少ないけれど、夜には寝泊まりしている人がいるというのは、どこの避難所も同じ現象だ。足湯は、本来寝る前に施すのが一番いいのだけれど、まだまだ道路上がよくない現状では、我々の場合夜の活動は難しい。 でも、つい先日オープンした“道の駅 狼煙”から車で10分ほど走ったところなので、利便性が悪い事情は変わりないが、現在は孤立している訳ではないようだ。ところで、この日置ハウスには約30人(当初31人)が避難されている。お一人だけ避難所から退所されたというのは気になるが、同ハウスから少し山の方に上ったところに、旧小・中学校のグランド跡地がある。そこには仮設住宅が建設されるとのことで、測量の後があった。先ほどの避難所で応対してくれた方に、「今30人が避難されていますが、全員この仮設住宅に入居できるですか?」と聞くと、「そうそう、全員入れるよ!」と言われた。こうして土地さえあれば、元のコミュニティーを壊さず、被災者が全員同じところに入居できるというのは、災害後の集落再建を視野に入れると、いい結果をもたらしたと思う。災害後、元のコミュニティーをバラバラにして、避難所あるいはその後の仮設住宅に移行するのは29年前の阪神・淡路大震災からの最大の反省点だった。ここの場合は、上手く仮設建設の用地があったので対応が早かったのだろうが、災害前の事前対策として、自治体は仮設用地をしっかり確保しておくことが必須課題ではないかと痛感させられた。ただ、今回のように過疎地域を襲った災害では、まず道路が寸断され、孤立集落となる可能性は大なので、一時は緊急避難をするのは当然でもある。しかし、3か月が過ぎて、一度は元の土地を離れて孤立した集落もだいぶ元に帰り始めている。やはり、孤立は解消されても、利便性が悪いと言われようが、長年暮らした元の集落が「ホッ!」とされるのだろう。 行政は画一的な避難対策に固執するのではなく、もっと柔軟に、かつ丁寧に住民に接するべきだと思う。その方が、自主避難から自立集落への近道ではないかと思うのだが・・・・・。          (被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。■活動支援金のご協力をお願い致します。・クレジットカードでも寄付ができます。 https://congrant.com/project/ngokobe/605・ヤフー募金でもご寄付いただけます。 https://donation.yahoo.co.jp/detail/5240008・郵便振替口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター・銀行振込ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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