熊本地震救援ニュース 第22報

<災害時におけるボランティア事情-3>
 熊本地震の被災地である益城町や西原村、南阿蘇という地域は、日頃から助け合いや支え合いが浸透していたという話をよく聞く。その一つ西原村大切畑地区では、「「みんなとここで暮らし続けたい」と自力で再興に向けて歩みを少しずつ進めている。」(毎日新聞、2016/5/7)
 西原村の避難所では、地元の被災住民たちが率先して炊き出しをされている。被災者でもある人たちが、そのような活動にまで精を出しておられることには頭が下がる。災害が起きると、よく「ボランティアがやりすぎると自立を損なう!」というが、むしろ無理しない程度で自分たちでやる方が精神的にもストレスが溜まらないだろうと思う。ただし、こういう役割はだいたいが女性に負担がかかる。特に熊本の文化として特に「男子、厨房に入らず」という諺があるように、女性が台所仕事を賄う。
 こういうときには、ボランティアがすべてを奪うように「炊き出し」をしてしまうのは、どうかと心配する。黒子に徹して、少しお手伝いを心がけることを提案したい。阪神・淡路大震災の発災直後に、「鍋・釜作戦」と言って、炊き出しをして配膳するのではなく、鍋や釜、まな板、包丁などを持ってテント生活者を廻り、「資機材と食材を提供しますのでご自分でやりますか!」と呼びかけさせて貰ったら、被災者はみんな「それなら自分でやるよ!」と反応された。被災者にとっては大変だろうということは理解しているが、本人たちが自身でされるという意思がある以上は、こういう「黒子」になっての支援も必要ではないかと思う。

 ノーベル経済学者のアマーティア・センは、「ニーズが大事なのではなく、当事者が自由になることが大事なんだ」と書かれている論文を読んだことがある。この「鍋釜作戦」を振りかえると、「自由の確保」と言えるような気がする。また、亡くなられた精神科医のなだいなだ先生は、「信頼関係さえあれば、人間はそこそこ自由にやっていける」。と、ご自身の体験から言っていた。

 これからのボランティアは、こうした智恵を働かせての活動が求められるのではないだろうか?いうまでもなく、ボランティアのストレスより被災者の方が何倍ものストレスが溜まっていることを、あらためて受け止めよう!!

<被災者のつぶやき>
*眠れないから、朝5時くらいに歩いてきちゃった。こんなところにいたら鬱になっちゃいそう。たぶん、ストレスからきてる神経性の胃炎になっていると思うんだ(70代女性)
*パーテーションの仕切りがこの男性のいる区画まで到達しようとしていた。
男性が一番不満だったのは、間を仕切ることが自分の知らないところで決まっていたことであったようで、その後自分の望む形に一辺を開け放した形にしてもらい満足そうにされていた。(80代男性)

○西原村災害ボランティアセンターに農業復興ボランティアセンターが立ち上がりました!農業を通じた復興にご興味のある方、これから息の長い活動になると思います。どうぞよろしくお願いいたします。
https://www.facebook.com/nishihara.agri.volunteer/timeline

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