スタッフ紹介

顧問 村井雅清

1969年兵庫県立兵庫高校卒業、神戸の港湾に8年間就業した後、震災発生まで長田のケミカル業界に従事。震災後「ちびくろ救援ぐるうぷ」(現「ぐるうぷ“えん”」)事務局長(後、代表)として救援活動に取り組む。
村井雅清
一方、「阪神大震災地元NGO救援連絡会議」の分科会から独立した「阪神・淡路大震災『仮設』支援NGO連絡会」(現:被災地NGO恊働センター)の代表となり現在に至る。また、震災後、国内外の災害に対する支援活動に取り組み、海外では過去53回にわたってコーディネーター役を務める。「CODE海外災害援助市民センター」理事、しみん基金KOBE副理事長など。神戸大学非常勤講師、福井大学非常勤講師、神戸松蔭女子大学非常勤講師、福井大学医学部看護学科非常勤講師、名古屋大学大学院環境学研究科非常勤講師。2006年4月より神戸学院大学客員教授。2011年11月第21回ロドニー賞受賞。
 著書に「ボランティアが社会を変える」(共著、2006年、関西看護出版)、「災害ボランティアの心構え」(2011年、ソフトバンク新書、記述の一部が大学入試問題に採用された)

代表 頼政良太

1988年広島市に生まれ。2007年、神戸大学入学と同時に中越・KOBE足湯隊(現:KOBE足湯隊/事務局:被災地NGO恊働センター)として災害ボランティア活動を始める。同年7月より2009年3月まで中越・KOBE足湯隊代表を務める。
頼政良太
その後、中越沖地震、兵庫県佐用町水害、新燃岳噴火災害、東日本大震災など計15以上の国内の災害救援活動に従事。2011年4月より被災地NGO恊働センタースタッフ。2011年4月~2013年5月まで日本財団ROADプロジェクト×震災がつなぐ全国ネットワークの足湯ボランティア担当として東京に出向。2015年5月より代表。
担当の活動:熊本地震 / 2017九州北部豪雨災害 / 寺子屋事業 / ネットワーク事業

まけないぞう事業部 増島智子

東京出身。1995年阪神淡路大震災でボランティアに参加、同年から東京福祉専門学校と仏教大学の通信制社会福祉学科に通う傍ら、翌1996年に「ちびくろ救援ぐるうぷ」(現・ぐるうぷ“えん”)でボランティア活動に従事。
増島智子

同時に「阪神・淡路大震災『仮設』支援NGO連絡会」(現:被災地NGO恊働センター)に関わり、まけないぞうに出会う。まけないぞうが被災者・支援者の人たちに与える影響を研究し、社会福祉学会で論文発表。その後、まけないぞう担当。国内外の災害救援を通して、誰もが暮らしやすい社会の構築を目指していきたい。
担当の活動:まけないぞう事業 / 東日本大震災

総務部長 細川裕子

阪神・淡路大震災以降、復興ボランティアに関わる。


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寒波の影響で能登半島も大雪です。今日も時折雪が降っています。去年の今頃はこんなに降っていませんでした。(降らなくてよかった)。日曜日は小牧壮年団の有志の方たちが集まり、安全確保のため、消火栓や高齢者の方の雪かきをしていました。私たちも急遽お手伝いをさせて頂きました。晴れたり吹雪いたりする中で作業はとても大変でしたが、住民さんの喜ぶ顔を見て、足腰痛くても、みんな一生懸命に雪かきされていました😊🐘最後は雪かきで避けた雪でカマクラを作ってくれました!#一般社団法人おもやい#四番隊 ... See MoreSee Less
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能登は今日も雪でした☃️夕べはかなり降りました。朝起きたら銀世界です。活動のスタートは雪掻きからが一日の始まりです。三人での雪掻きは大変です💦 ... See MoreSee Less
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能登半島地震以来、被災地を支えてくださっている「パルシステム東京」のみなさんが支援活動の記録をまとめてくださいました。これまで、当センターの小牧拠点から地震や豪雨の活動に参加してくださいました。昨年6月から11月まで74名の方が被災地に足を運んで下さいました。その活動の記録をみなさんよかったらご覧ください。シェア大歓迎 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.126 やさしや足湯隊レポートNo.15 第24次足湯隊ではスタッフ2名とボランティア5名の計7名で2024年12月6日から9日までの4日間で活動を行いました。 輪島市の宅田第一仮設住宅集会所・大屋小学校避難所、七尾市中島町の被災地NGO恊働センターの拠点とさせていただいている小牧集会所(じんのび広場)にて仮設住宅入居者・避難者・在宅避難者など多くの住民の方々に足湯ボランティアを提供しました。 令和6年能登半島地震により大きな被害を受け、復興へと歩み始めたところでの奥能登豪雨によって、いまだに避難所で生活されている方や苦しんでいる方がいたりと状況が改善されていない場所も多くあります。 今回の足湯ボランティアで集めた「つぶやき」の一部を紹介させていただきます。 「(頭の上くらいに手を置いて)こんくらい土砂がある。畑も田んぼもあったもんじゃない。、、、能登なくなるかもしれんよ、、、」(宅田第一仮設住宅集会所・70代・女性) 能登半島は自然に恵まれ、海や山の幸も豊富です。今回の震災・豪雨により畑や港がダメになってしまい、やることがなくなった。。と肩を落とす住民さんが多くいらっしゃいます。 「卓球台きっかけに、喋ったことない人とも交流ができて、よかった。ここしか楽しみがない。輪島もねぇ、復興なんてできる??」(宅田第一仮設住宅集会所・70代・女性) 宅田第一仮設住宅集会所では近隣の公民館にあった卓球台が置かれ、毎日決まった時間に数時間にわたって卓球大会が繰り広げられています。新たな日常として住民さんの心のよりどころとなっています。ですが、集まるのは女性ばかり。「ここには入りにくいし、行くとこのなくてやることがない」と言う男性もいらっしゃったりとまだまだ課題はあります。 「一年中ずっと避難しているわ。集落は道路が戻らないとといけないからねぇ。」(大屋小学校避難所・男性・70代) この男性は輪島市の西保地区から避難されているようです。能登半島では集落の孤立も多く発生し、さらに豪雨によって被災した場所も少なくありません。インフラや道路が断たれ、住んでいた集落に行くことすらできない住民さんもいます。人口減少を理由に「集約化」といった言葉も出てきていますが、「ここに住み続けたい」という願いを無視しても良いのでしょうか? 「ゴミ出しの時とかしか家から出ない。」(小牧集会所・90代・女性) 仮設住宅に入居したり公費解体が進み、状況が改善されているように感じますが、前述したように「やることがなくなった」という方も多くいます。今後も継続して日常を取り戻したり、定期的に集まる場を提供することが必要となっています。 今年も能登半島の各地で足湯ボランティアの活動を継続します。引き続きご支援ご協力をよろしくお願いいたします。 (被災地NGO恊働センター 学生スタッフ 南太賀) *私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。 *私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。 *私たちの活動は日本財団からの助成を受けて活動しています。 引き続き現地からの情報を発信していきます。 ■活動支援金のご協力をお願い致します。 ・クレジットカードでも寄付ができます。   ・ヤフー募金でもご寄付いただけます。   ・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556  名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター *お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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阪神淡路大震災から30年。1月17日5時46分。全国から仲間が集い、事務所の慰霊観音の前で祈りを捧げた。 あの日たった20秒間で私たちの街が崩壊し、 6,434名の尊いいのちが犠牲になった。心からご冥福をお祈りします。ある小学生が話した。「きっと神様の罰が当たったんや」「もう、モノはいらん。ぜいたくはいらん」「水も、電気も、何もかも、ムダに使(つこ)うとった」「消防も、警察もこえへん(来ない)。いざというときは、やっぱり、ご近所さんや」「これからは、自然をいじめんの、やめとこ」(市民がつくる復興計画~私たちにできること~ より抜粋)豊かさを求め続けてきた私たちへの警鐘の言葉だ。30年前の震災から得た教訓が生かされているのか?そして、昨年の能登半島地震で30年前に阪神で見た同じような光景を目にした。教訓が生かされていなかった。能登半島地震から1年。いまだに「何も進んでいない状態だ」と被災者は訴える。今年の1月17日、その七尾市中島町で被災し、直後から被災した故郷のために奔走している石坂竜太・智子さんご夫妻もKOBEの慰霊に参列してくれた。阪神淡路大震災から度重なる災害で、心折れそうなとき、いつも私たちを支えてくれるのは被災した地元の人たちだ。「今度どこかで災害があったら、今回の地震でお世話になった分、やりかえしますよ!」と竜太さん。「この地震で繋がった人たちは、私にとって財産です」と智子さん。新たなご縁を大切にしながら、またこの1年を歩きだそう。みなさん、今年もどうぞよろしくお願いします。 ... See MoreSee Less
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今年も残すところあと1日となりました。元旦に発生した能登半島地震から1年が過ぎようとしています。七尾市中島町小牧に拠点を置き、小牧、中島の皆さんにはこの1年支えられて無事に年の瀬を迎えています。9月には豪雨が発生し2重苦を抱えた被災者のみなさん。「お正月はここにいたくない」「また地震が起きそうで怖い」「家の解体に踏ん切りがつかない」と不安なお正月を迎えようとしています。それでも「ボランティアさんが来てくれてやる気になったのよ。力をもらったの」「今年は辛いことばかりだったけど、一つだけいいことがあったのよ。ボランティアのみなさんに出会えたこと!この出会いがあったから、ここまでこれました!」と笑顔で話してくれました。これも私たちの活動を支えてくださる多くのみなさんのお陰です。今年1年間で当センターの拠点に延べ5000人のボランティアのみなさんが活動に参加して頂き、またたくさんの物資やご寄付、車両のご提供頂きました。本当にありがとうございました。心より感謝いたします。どうぞ来年も引き続きよろしくお願い致します。みなさんどうぞよいお年をお迎えください。*12月27日は大掃除と夜は中島町のみなさんと大忘年会。東京外国語大学の吹奏楽団のミニコンサート付き。*12月28日は中島の鉈打地区で行われた餅つき大会に参加。*12月29日は地震で倒壊した鳥居の代わりに小牧地区の白山神社の鳥居づくりを行いました。#CivicForce#日本財団#赤い羽根共同募金会#一般社団法人おもやい#一般社団法人みんなの居場所はちはち#ちーむこのへん#一般社団法人四番隊#民間災害ボランティアセンターおらっちゃ七尾 ... See MoreSee Less
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今日は久しぶりの神戸です。昨日は講演会、今日は加古川で毎年お世話になっているコープこうべ第6地区のコープこうべ平和のつどい2024 今こそ考えよう!『防災』」に参加させて頂いています。まけないぞうの販売とと床下講習会をしています。 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.125  水害編―28  震災から11ヶ月が経ち、住民のみなさんの心がざわざわし始めている。 「お正月が怖いなあ」「ここにはいたくない」「また来たらどうしよう」との声が聞こえてくる。 そして、水害から2ヶ月が過ぎた。地震と豪雨の複合災害に遭った住民さんは「なんで?」「なんで私だけ?地震の次に水害まで。どんどん財産がなくなっていくよ。なんか私悪いことしたのかしら」「もう、病んでしまって、夜も眠れない。半年くらいそっとしてほしい」「すごい揺れ、まだまだ油断できませんね」「雨風で揺れて、地震で揺れて」と。 そんな不安に追い打ちをかけるような揺れがまた能登地方を襲いました。 住民さん朝から「怖かった」「あの時のことを思い出す」「1月の地震の前のような暖か陽気で心配だ」「一晩中眠れなかった」「寝るのが怖い」「子どものまた一人でトイレに行けなくなった」など と不安を口にしています。 倒れかけたままの家並みが広がる一方で、公費解体が始まり、「更地をみつめながら寂しくなるね」「町の景色が変わっていくね」「これからどうなっていくんだろう」と。まだまだ先の見えない被災地です。でもいつか能登にかかる虹がみなさんを照らしてくれるはずです。(増島) *私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。 *私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。 引き続き現地からの情報を発信していきます。 ブログはこちら→ ngo-kyodo.org/2024noto/2024/11/28/%e3%80%8c%e4%bb%a4%e5%92%8c6%e5%b9%b4%ef%bc%882024%e5%b9%b4%ef%...■活動支援金のご協力をお願い致します。 ・クレジットカードでも寄付ができます。  ・ヤフー募金でもご寄付いただけます。   ・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556  名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター *お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.124  水害編―27  能登半島支援 緊急支援のお願い!!  輪島市西保地区の方々が、住んでおられる輪島市宅田第一仮設団地に、冬用の布団を10組持って行った。同仮設では、いつも朝早くから皆さんが卓球をされている。しかし、この日は誰も卓球をしていなかった。この団地は、住民さんで運営管理をしているのが特徴で、もしかすると、この日は他の団体のイベントがあったからかもしれない。  ちょうど白山市のボランティアグループが、服や生活雑貨も含めて住民さんの要望を個別に回って聞いていた。私たちも、これまで何度も衣類は持ってきていたので、多少ダブルかも知れないなぁと危惧もあった。でも、この人たちは布団が欲しいという要望も聞いていて、私たちが持ってきた布団も要望のあったお宅に、気をきかして配ってくれた。残りは、卓球台使用の際の調整をされているTさんに連絡して集会所に「自由にどうぞ!」と張り紙をして置いてきた。余談だが、その白山市から来られたボランティアグループさんが教えてくれたのは、「ここの団地のキーパーソンはKさんだよ!」と。  いいこと聞いた!と思ったが、ここは面白い現象?で、ここに足を運ぶたびに、「この人に言ったら・・・・」という、この人が今までも、Tさん、Kさんに加えて、Mさん、Yさんという名前が挙がっている。  余談だが、一応輪島市の仮設団地の集会所で、外部のボランティアが訪問して、イベントをする時には、輪島市に「調整室」というNPOが担っている部署がある。私たちは、基本ここに前もって連絡して使わせて貰っている。でも、この宅田第一仮設では住民さんが自主運営をされているので、「調整室」を通さずにこういう現象も起きるのでしょう。でも、今のところ何の問題もなく、コトは進んでいる。  30年前の阪神・淡路大震災の時は、輪島市のようなボランティアの調整をするような部署はなかったので、みんな自由に活動していた。そして物資の過不足や炊き出しのバッティングなど再々あった。でも、それでもお互いが調整し合った、特に問題が起きずに対応し、活動してきた。私は思うが、特に役所が調整役を作らなくても、ボランティア同士が被災者と相談して調整すればいいと思う。実際に石川県知事は1月中旬に「ボランティア控えて!」とメッセージを出した。その背景には、「場合によっては、多くのボランティアが来たら被災地は混乱するかも・・・」という懸念からだろう。でも2月の中旬には、ほぼ各々勝手に被災地に入り、その時点で約110団体が入って活動していた。1月~2月という時期では、被災地はほんとうに大変な状態だった(特に避難所対応)。でも、何も問題はなかったと言っても過言ではない。この現象は、30年前の阪神・淡路大震災以来、2015年の広島の豪雨水害、そして今回の能登半島地震と2度目の現象だと思う。  ちなみに来年で阪神・淡路大震災で30年を迎える。災害時の救援ボランティアの振る舞いが生かされた事例の一つではないか…。一考が必要だ!! (被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) *私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。 *私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。 引き続き現地からの情報を発信していきます。 *私たちの活動は、日本財団の助成金に支えられて活動しています。ブログはこちら→ ■活動支援金のご協力をお願い致します。 ・クレジットカードでも寄付ができます。   ・ヤフー募金でもご寄付いただけます。   ・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556  名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター *お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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