熊本地震救援ニュース 第77報

 久しぶりの救援ニュースです。相次ぐ台風襲来で熊本地震の被災地にも被害をもたらしています。先日も「ブルーシートの架け替え」の声があちらこちらから上がっているというマスコミ報道がありました。

 

 さて、熊本地震の被災地で、被災者を悩ませているのが擁壁や宅地問題です。私たちが支援活動を行っている西原村でも、斜面に建てられた家が多く、擁壁に被害があってなかなか再建できない、宅地にひび割れがあり不安だという家がたくさんあります。

 どのように対処したら良いかもわからない、というお宅もあるため土木の専門家の方々と一緒に訪問し、宅地の安全調査、応急対応のアドバイスなどをしてもらいました。

 IMG_5431

 Mさん宅は、高い壁の上に建っているお宅で、壁全体が大きく割れて、家の前の通路、宅地部分に段差や地割れがおこり、きづらくなっていました。

そのままにしておくと雨が地割れ部分に入って、さらに地割れが激しくなるので、水が入らないようにブルトをかけていましたが、ブルトをかけていると段差がわかりづらく、先日おばぁちゃんがコケて、腕やに怪我をしてしまいました。

 擁壁自体は村の土地のものなので、来月には修理の予定だそうです。ひとまず応急処置として、家と軒先の空洞部分に土を入れ雨が入らないようにした方が良いと専門家からアドバイスいただきました。

 IMG_5445

 擁壁に関しては修理のための公的支援制度もありますが、細かい条件があり全ての人に当てはまるわけではありません。(参考:http://www.vill.nishihara.kumamoto.jp/library/images/kouhoushi/saigairinji18gou.pdf

 

 こうして、宅地被害はなかなか素人では手が出せない部分が大きく、業者を待つしかない現状ですが、多額の費用がかかるため「応急的にでも自分で何とかしたい」という声も上がっています。

 ボランティアでお手伝いできるのは、あくまでも応急処置ですので、今後の復興に向け擁壁や宅地をどのように再建するのかを真剣に議論していく必要があるでしょう。          (頼政 良太)

熊本地震救援ニュース 第76報

 台風12号は熱帯低気圧にかわり、復旧作業が続く九州地方には特に大きな被害を出さずに通り過ぎましたが、これ以上雨の被害を出さないでほしいものです。

 当センターと連携している水俣病被害者互助会の谷洋一さんが熊本地震報告第10報をだしています。その中の報告をかいつまんでお伝えします。
 少し前に、西原村では熊本大学・減災型社会システム実践研究教育センターの渋谷秀敏教授と鳥井真之准教授による「熊本地震の発生メカニズムや今後の状況」、「熊本地震における地震地表断層とその周辺の影響」の講演があったそうです。
 その内容は、西原村は阿蘇外輪山の外側に位置しているが、その中の大峯という山が9万年前噴火し、火砕丘によってできた地域であり、1300年ほどの周期で大きな地震が起こっている。今回の地震は約2メートルの横ずれと2メートルの沈下が起こっているが、これは今回突然起きたものではなく、9万年の間に繰り返し起こり、約50メートル沈下しているといえる。本来は隣接する高遊原台地(熊本空港がある)と同水準だったものが沈下を繰り返してきたと言える。だからと言って、危険という状況ではなく、今後は日奈久断層中部や南部(八代海)地域のほうが強い地震が起きる可能性が高いと言える。ただ、一部地域では山に亀裂が起こっているのなど、住宅再建には向かない箇所もある。というものだったそうです。
住民にとっては裏山の崩壊などはないかなど、切実な疑問や質問がありました。このリスクを踏まえて同住宅を再建するのか?今後の住民の選択が迫られることになります。と谷さんは伝えています。
いくつか移転を希望している集落や世帯があるようですが、住民ひとり一人が熟考を重ねる時間が必要だと思います。もちろん被災者の人にとっては、早く安心・安全に暮らせる住環境が必要だと思いますが、十分な話し合い、考える時間が必要だと思います。

熊本地震レポート52報でも以下のようにお伝えしています。
*******************************
2004年の中越地震災害発生後の集落移転について調査・研究していた東北工業大学の福留邦洋准教授(元新潟大学 災害復興科学センター)にお越し頂きました。福留先生は「集落移転は数種類ある。防災集団移転促進事業のみではない。この集落にとって移転と考えるのであれば、様々な選択肢を考えたうえで皆さんの納得する話にした方がよい。大事なことは、話し合いをしっかりして皆さんが納得すること。お互いが何を考えているのかを出し合っていくことが大切。東 日本大震災では、バラバラになってしまったので話し合いがうまくできなかった。家庭の中でも意見も違うこともある。そこも含めて話し合いをすることが大切。」ということをお聞きしました。
先の中越地震で辛い思いをされた被災者の一人は、「大変でしょうが、あせらないで下さい。じっくり考えましょう!」と、その後に発生した中越沖地震の被災者に伝えられました。
この当事者が、当事者に送られたメッセージは、いつまでも教訓とされています。
********************************

被災された方々も、地域のコミュニティを大切にしながら、どうすればいいのかまだまだ答えが出せない状況です。中越の被災者のメッセージを心に留めながら、あせらずゆっくり住民主体のまちづくりを進めていきたいです。
                                                                               (増島 智子)

熊本地震救援ニュース 第75報

 西原村に建設された小森仮設住宅での支援活動が徐々に行われています。今回は「西原村―木もくプロジェクト」(もくもくと読む)を紹介します。なお同プロジェクトを担当されているのが丸山真実さんという女性ですが、当センターの新しいスタッフ(2ヶ月間)として頑張っています。
 これは仮設住宅にお住まいの方々の要望に併せて、棚や踏み台、表札、簡易下駄箱、縁台などを作って差し上げる木工ものづくりのことです。リーダーは地元ボランティアや相談・設計アドバイザーとして尽力されて来た「藤本工務店」さんです。実際に活動をするときにはお二人のつながりから、熊本近隣の木育プロジェクトや林業関係者、建設関係者、技術学校の先生や学生ボランティアに協力してもらいながら、月1回程度で、活動しています。
 
 これまでに7月に2回、8月に2回開催し、仮設住宅で収納スペースが少ないということで、住民さんひとり一人のライフスタイルに合わせながら棚づくりをしてきました。
8月27日(土)~28(日)は2日間で42世帯の方が参加し、天理教防府学生会のボランティアなどに協力頂きながら、棚づくりを行いました。中には、解体する自分の家から床材とテーブルの脚をもってきて新たにテーブルを作る方もいたそうです。解体材の使用は藤本工務店さんのご夫婦がぜひともやりたいと言っていたことのひとつです。それは、解体する家の材を使うことで、思い出の保存につながるように、今後もこういう対応をしていきたい、と願っているそうです。

 また、参加した住民さんの中には日曜大工が得意な人がいて「また教えてやるけん」とうれしそうに話してくれたそうです。仮設に住むお父さんたちを外に出す、生きがいづくりの一環としても定期的にワークショップを開催できればと考えています。

IMG_5293_s
IMG_5297_s

 同時に仮設での手すりや段差解消などバリアフリーの住まい環境現地調査がありましたが、今後仮設の環境改善の要望が増えることが予想されるので、保健師さんや理学療法士、作業療法士などで発足したJRAT(大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会)などにも協力を仰ぎながら活動を続けていきたいと考えています。またこのことは、西原村の仮設に限ったことではないので、他の地域でもこのような活動が広がっていけば、うれしいですね。

 東日本の被災地でも仮設に暮らす男性への関わりが少なく苦労していました。そこでボランティアが仮設のはきだしの窓にベランダを住民さんと一緒に作っていました。そうすることで男の人も参加できて、生きがいづくりにつながったケースがありました。ボランティアはあくまでもきっかけ作りで、そこにいる被災者の方が主人公になれるように、熊本の現場でも活動しています。  
                                                         (増島智子)

熊本地震救援ニュース 第74報

 みなさまのご支援、ご協力のおかげで、先日(8月21日)「熊本地震救援報告会」が多数の参加を得て開催することができました。ありがとうございました。心から感謝を申し上げます。(収容人員80名の会場が、ほぼ満席になりました。)

 以下、同報告会で報告させて貰った代表・頼政良太が熊本に戻り、早速支援活動をしています。早速被災地の様子が送られてきたので、みなさまにご報告します。

—————-
8月23日は、仮設住宅でのサロン活動とコラボレーションし、仮設集会所では初めての足湯ボランティアでした。活動は、中央大学と熊本学園大学の学生さんが共に行いました。 

<足湯のつぶやき>
・震災があったことで孫たちがやさしくなった。長く生きてみたら震災後に考え方が変わった。                                       (女性90代)
・仮設住宅の暮らしにはまだ慣れない。暑いから仮設住宅にいても疲れる。
(80代女性)
・家は周りもグシャッとなってね。片付けはできないから何もやっていません。60年間パーマしてて、この辺にいる近所の人たちはみんな切ってやってたんですよ。お金なんかいらん言うてね。でも道具も何もみんな家でつぶれちゃったでしょ。だから今はできないけど、またやろうと思うとるんです。                   (80代女性)

 午後からは、ボランティアから提供いただいたひまわりを仮設の方々へ配ってまわりながら色々なお話をお聞きしました。仮設住宅でやることがない、ボランティアが来てくれて話をしてくれると嬉しい、という声もありました。一方で、未だ倒壊した家屋の片付けが進んでいなくて、どうしたら良いかわからないという声もありました。
家族との関係など、色々な事情でなかなか片付けが進んでいないそうです。

こうした方々の声にも丁寧に応えていきたいと思います。
                      (頼政 良太)

IMG_0735_s
IMG_0737_s

—————-

熊本地震救援ニュース 第73報

<災害時におけるボランティア事情―53>
 連日猛暑が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
先日8月7日、みなさまのご支援のおかげで、ボランティア・バス「佐賀第2便」を走らせることができました。ありがとうございました。総勢28名で、がれきの片付けと公民館での食器市の手伝いでした。引率された武久紗季さんから「食器市のレポート」が届きましたので、以下に紹介します。

 今回の食器市は、開始前に食器市をする旨を町内に放送して頂き、それを聞いた方が公民館にやってくるという流れでした。放送直後は多くの人が食器市に来られましたが、1時間ほど経つと人が少なくなりました。来られた総数としては、以前私が経験した食器市に比べるととても少なく、運び込んだ食器も沢山余る結果となりました。

食器市に来られた方からは、こういった支援が初めて来て嬉しい、という声を頂けたものの、このような催しがあることを知らない人も多くいたのではないかと考えさせられました。

また食器市をしている中で、「家族が集まるのに必要な大皿が全て割れてしまったから欲しい」「ご飯茶碗が欲しい」等具体的な要望があった方に応えられなかった、足を運ばれた方とお話をする余裕がなかった、という言葉が聞こえ、ボランティア側の対応がうまく出来ていなかったと感じました。あまり動けないお年寄りにとっては、多くの食器がある中から自分に必要なものを見つけ出すのは大変なことと思いますので、食器市をする際には、話をしながら一緒に食器を探すなど、食器市の準備だけでなく、ボランティア側のサポートが重要であることをボランティアに来る人に分かってもらうことも大切だと感じました。
<以下はボランティアさんが聴いた声です。>
○一回目の地震のときに食器の戸棚が揺れで開いたせいで結構割れてしまったけれど、二回目のときには戸棚にテープを貼ってたから(戸棚が開くことがなくて)全然割れなかったよ。(おばあさん)
○ここでこういうの(支援)が来たのは初めてだから嬉しい。(おじいさん)
○仮設住宅に引っ越すから食器が大量にいるんです。有難いです。(お母さん)
○避難所にいるときはすぐ皆にばーっと配れるけど、今のように皆がばらばらの地域にいると、配ったりするのが大変。離れたところにわざわざ取りに行ったりしない。(おじいさん)
○ガラスは割れるからいりません(おばあさん)

○焼き物が割れて、子どものぬいぐるみに刺さってしまったりしている。(お母さん)
【ボランティアに参加された方からの意見】
○田舎の方だと大皿が欲しい、お箸が欲しい、等現地の方が欲しているお皿を用意した方が良い。
○来る人が少ないからもっとお知らせに力を入れた方が良いのでは。
<その他の活動に参加されたボランティアさんが聴いた声です。>
【自治会活動(草刈りや側溝の泥出し)】
○こうして来て下さったり話して下さるだけで有難い。(自治会の方)
○今日だけで全部できると思っていなかった、良かった。(地元の方)
○ボランティアに来て下さる人は何かしようとしてくれる気持ちで来て
下さることがとても嬉しい。(おばあさん)

【タバコ農家のお掃除】
(家に危険の紙が貼ってあるのを受けて)この家が危険だったとしても、ここにしか住めないから(この家に住むしかない)。(おうちの方)
以上です。

<お知らせ>
8月21日(日)午後5時半~8時半まで
こうべまちづくり会館で、「熊本地震救援活動報告会」を開催します。
是非、ご参加ください。詳細は下記のアドレスでご覧になってください。
http://www.kobe-machisen.jp/event/20160821-01.html

熊本地震救援ニュース 第72報

<災害時におけるボランティア事情―52>
 熊本地震支援、ボランティア・バス 佐賀便第2便 8月7日(日)に決定!!

 ちょっとモタモタしていましたが、梅雨明け第1号として表記のように「北部九州ぐるっとボラバス佐賀第2便」を出します。6月に出した第1便が好評だったこともあり、今回2便として2台のバスを出します。
 このニュースを見られたみなさまにお願いです。佐賀方面に友人知人がおられる方、是非この情報を拡散してくださいますでしょうか。よろしくお願い致します。
                  (申し込みは、村井まで。090-3160-3816です。)

 さて、この救援ニュースでも何度か紹介してきました「わかばmeeting」が発行している「できるだけ週間 DOGYN VOL5」が出ました。恒例の「炊き出しマルシェ」「食器市」の他に、「ガレキと一輪の花プロジェクト」から花ボラの募集をしていたり、「西原村災害ボランティアセンター すまいとくらしのサポートチーム」より、「おうちのお掃除お手伝いします!」という案内が入っていたりと、いよいよ梅雨明けから再びボランティア活動が展開し始めたことを想像させてくれます。
 中でも注目したのが、「もう雨漏りは許さない! 屋根のブルーシート張りのコツ」というものです。熊本地震が発生した4月14日以後、何度も雨にたたられ、何度も打ちひしがれそうになり、耐えて耐えて“梅雨明け”を迎えた被災者にとっては、ほんとに切実でした。
「もう雨漏りは許さない!」とさらりと書いていますが、ほんとに「許さない!」という気持ちが伝わります。
  また、8月3日の夜に催される「新月の夜の百物語」という夜会の案内です。
で、この“百物語”とは、参加者がそれぞれゾッとする話をして百本の蝋燭を消して行き、そして百話が終わり蝋燭を消すとほぼ出るという夜会だそうです。これが、西原村の寄姫伝説など数多くの迷信が残り、心霊スポットとしても有名な白糸の滝付近で開催されるとのこと。「ひんやりした夜を過ごしませんか?」という呼びかけだけでは、ひんやりしないでしょうが、是非 新月の夜の百物語、各地バージョンを企画して見てください。よりひんやりすること間違いなしです。
                                                                                                 (事務局)

◎引き続きご支援をよろしくお願い致します。 
「熊本地震」活動支援金を募集しています。
 郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター
 *お手数ですが、通信欄に「熊本地震」と明記下さい。
銀行から振り込む場合は、
 ゆうちょ銀行 支店番号:一一九(イチイチキユウ)店/店番:119/当座0068556/受取人名:ヒサイチNGOキヨウドウセンター

(なお、「熊本地震」支援活動の一部は、公益社団法人Civic Forceからのご支援を戴いてパートナー事業として展開しております。)

熊本地震救援ニュース 第71報

<災害時におけるボランティア事情―51>
 今朝午前11時、やっと気象庁は九州地方の梅雨明け宣言をしました。今年は、熊本地震の被災者のことを考えると、この宣言がどれほど待ち遠しかったか?
 さて、九州北部地区からのボランティアバスですが、いよいよ夏休みに向けて熊本支援ボランティアを活性化するために、下記のように大学による被災地へのボランティア派遣にもボラバスを提供することにしました。

 一昨日の16日は、西南学院大学熊本地震学生ボランティアが総勢23名で西原村に行き、活動を展開しました。現場からのレポートを下記に紹介します。(武久真大)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本日は、「高遊コミュニティセンター」で足湯・縁日お手伝いをするチームと、お花畑開墾・ひまわり迷路づくりチームに分かれ、随時メンバーを変えながら学生21名、職員2名がボランティアバスとして参加しました。以下は、被災者の声です。

・今年は毎年やっていたおまつりの場所が、がれきの集積所になっているから、おまつりはないのよ。実際、ないって聞いたわけじゃないけど、でもきっとない。だから、こうしておまつりがあるのはとても楽しい気持ちになるわ。(保護者さん)
・学校のプールが今年はなかった。だからこうして、水に入れるのは嬉しい。またプールに入りたい。(小学生中学年)
・いま娘は働きに出てるんだけど、今日は保育園も休みだから、ばばが孫の面倒を見てるの。でも家にいさせても退屈するだけだから、じいじがこのおまつりを教えてくれたの。孫も楽しそうでよかった。
・食器はねぇ、2/3が割れたから、まだまだ。もらったガラスの食器も、怖くてまだ箱から出せねぇ。
(お孫さん3人のおばあさん)
・あ!この前の食器の!今日は何してるのー?(足湯とおまつりのお手伝いですー。食器、また明日ここでやるんですけど、あの後足りてますか?)
ぼちぼちってところだねぇ。いやー、また会えて嬉しいよ。こうしてまた来てくれたんだねぇ。(若いお母さん)
・今日は知らない子もたくさんいるな。外の子も来てるんだ。そうかそうか。(高遊地区の区長さんの1人、碇さん)

◎足湯を受けられたのは、主に水遊びをしたかった子どもさんの層(でも、お湯がいい!という子どもさんもいました)と、子どもが遊んでいるのを見ている保護者さんの層が多く、高齢の方はいないという年齢層の若い珍しい足湯の場でした。だいたい15名ほどに足湯できました。予報に反して昼からは晴れていた西原村ですが、ひさしの下でやっていた日陰で、お湯に浸かりながら皆さんリラックスされていました。お子さんも水をかけてきたりもせず、水の感触を楽しんでいたのと、大人と同じく手をもまれたことが嬉しかった子もいるようです。
また東京の団体さんが仕切られた縁日全体では130食のかき氷が出た、ということなので、来場者の方もそれくらいの数になると思われます。
ボランティアを受け入れる側の反省点として、支援者側の情報共有の甘さがあったように思います。というのは、はじめは素手でお花を植えるだけ、と聞いていましたので、足湯や子どもたちの遊び相手に備えて軽装備で構いません、と言ってしまっていたのですが、蓋を開けると鍬や電動草刈機が出てくる始末。鍬はともかく、おいおい、電動草刈機のような機械は元々の話と違うやんけ、と西南の職員さんと顔を見合わせる一幕も。
また到着早々、足湯の準備もさせてもらえずに、花畑に植えるメッセージプレートを書いてもらいます!メッセージ動画も撮ります!ということになり、学生の中には「いや、俺、西原村とか知らないし。初めて来たし。」とぼやいている子もいて、事前にこういう企画趣旨でお花畑をつくります、と聞いていれば、調べ、考えてきてもらうこともできたのかな、と申し訳なくなりました。

避難所から仮設住宅へと生活のフェイズがシフトし、支援者が展開していく活動も地域に拠点を作ったり、新しい人脈づくりをしたりと変わっていく最中で混乱もしやすいかとは思いますが、(センパイ)ボランティアが(シンジン)ボランティアに、ボランティアさせることで満足してしまっている「ボランティア」になっていないか、少し足元を見つめなおさないといけないな、と心を引き締めたいと思いました。

*なお、同大学は次回派遣を8月中旬に予定しています。

◎こうしたボランティア・バス企画に、ご支援くださいましてありがとうございます。また、ボランティア・バス企画を提案していきますので、今後ともよろしくお願い致します。

熊本地震救援ニュース 第70報

<災害時におけるボランティア事情-50>
 熊本地震から3ヶ月が経ちました。亡くなられた方は49人、関連死は10人となりました。亡くなられ方には心よりお悔やみ申し上げます。また、被災者の方には心よりお見舞い申し上げます。そして、県内の避難所にはまだ13市町村で4592人(14日現在)が避難されています。
 仮設への移行が少しずつ進んでいますが、梅雨に入り九州各地で豪雨が続き、思うように復旧作業も進まないどころか、大雨により各地でがけ崩れや土砂崩れなどの2次災害が起きています。被災者に追い打ちをかけるような災害続きで、被災者の心労も絶えません。
 ちなみに、被災地での「危険」とされた住宅の敷地が約2700件に上ることも判明しました。

 現地にいるスタッフの鈴木が被災者の方から聞いた言葉を紹介します。
****************************************
「見てみなっせ。畦が全部くえて(崩れて)もうファイトも出ません。これを見てると。もう何の気力も出てきませんです。上もほれ、くえとるでしょ。水が上からこっちに流れるけん、どうしようもなかです。」

 6月からの雨は、地震による傷跡にしみ込み、いたるところで大小様々な崩落が見られます。

「でも、ウチ(みなし仮設で入居しているお宅)にいても缶詰と同じで、何も仕事がないから結局毎日ここの畑に来たら、仕事がたくさんあるから。」

仕事とは、生き方、生き様の意であることを教えられました。
住む土地に生かされていることを痛感する毎日です。
****************************************

 震災から、3ヶ月が経ち当然のことではありますが、被災地はそんなすぐには復旧も復興も進まないという事実をつきつけられる言葉です。阪神・淡路大震災で、高齢者向けのグループハウスをつくった園田苑の中村大蔵さんが「仮設住宅はあくまでも『仮設』。生活に『仮』はない」と言いました。そんな言葉を思い出すような被災者の方の言葉が心に響きます。
 あたりまえだった生活を奪われた人たちにとって、そんな当たり前の生活や暮らしを取り戻すには時間がかかるとともに、その土地に生きる、生きようとするひとり一人の生き様があるのでしょう。私たちに求められているのは、そのひとり一人に寄り添うことです。
IMG_4050_s

◎引き続きご支援をよろしくお願い致します。
「熊本地震」活動支援金を募集しています。
 郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター
 *お手数ですが、通信欄に「熊本地震」と明記下さい。
銀行から振り込む場合は、
 ゆうちょ銀行 支店番号:一一九(イチイチキユウ)店/店番:119/当座0068556/受取人名:ヒサイチNGOキヨウドウセンター

(なお、「熊本地震」支援活動の一部は、公益社団法人Civic Forceからのご支援を戴いてパートナー事業として展開しております。)

熊本地震救援ニュース 第69報

<災害時におけるボランティア事情-49>
 九州では、立て続けに雨雲が流れ込み、各地で大雨が降り続いています。被災地では家屋の片付けや屋根の補修が思うように進まず、不安な日々が続いています。

 西原村では、木造仮設50戸、プレハブ仮設252戸の計302戸が完成し、順次引っ越しが進んでいます。雨の晴れ間をぬうように引っ越しされているようです。
 引っ越した被災者の方は、「やっぱここは落ち着くわ。一晩寝て、今日で2晩目だよ。やはり6人で狭いし、息子たちは自宅(全壊)で寝てます」と。他の方は、「やっぱ狭いね。3人で4畳半2間だもの。外に水道はないし、どうなることか。でもしてもらっているから、我慢しないといけないね」とあきらめ模様です。また、別の人は「孫が泊りにきてね。押し入れのところが、ドラえもんみたいで、めずらしがってそこに泊まっていったよ」、「車がないとお年寄りは買い物が不便よね。近くにスーパーもないし」と話してくれました。仮設生活が始まったばかりで、みなさんほっとしながらも不安と期待に心が揺れています。
 西原村では、買い物ができるように仮設住宅にお店を作る予定をしています。50戸に1つの集会所も建設されています。今後ボランティアも関わりながら、住み心地のよい仮設生活ができていくといいなと思います。
 19日には当センターのスタッフわかばちゃんが開く「わかばmeeting」の人たちや西原村社会福祉協議会とともに仮設でサロンのお手伝いや食器市を開催する予定です。

 そんな中で、7月10日の読売新聞「簡易住宅を『仮設』認定 大規模災害で初」という
ニュースが飛び込んできました。記事には「熊本地震で被災した農畜産業者らを対象に内閣府が、自宅敷地内に設ける簡易住宅「ユニットハウス」を災害救助法に基づく仮設住宅として認めることが9日、 わかった。同法の適用により、設置費用は国と市町村が負担する。農作業や家畜の世話などで自宅を離れにくい被災者の声に応えた。大規模災害で簡易住宅を仮設住宅とするのは初めてという。」ことが書かれていました。
 すでにボランティアがモデル的に敷地内に簡易住宅を建てている動きもあります。このような建物を仮設として災害救助法で支援してくれれば、被災者にとっても安心して自宅を再建できるのでしょう。
簡易住宅_s

 これは、前から私たちも提言していました。昨年の常総市でも半壊家屋が多く、大工さんを待ちながら、いまだに応急修理の水周りだけ工事が終わったまま、不自由な生活をしている人もいます。水害で半壊でもほとんど家財道具は水につかり、一階の天井近くまで水が染み込んでいる家屋が多く、農家や広い敷地ではそこで仮設があればどれだけ被災者の方が救われるかと感じていました。
 熊本地震では、半壊でも仮設に入居できるようになり、敷地内にユニットハウスが認められれば、仮設と同じもので、お風呂も台所もつけることができれば、特に農家の人は地元を離れずに住み慣れた環境で生活を続けることができます。もっと災害救助法を柔軟に運用し、被災者に寄り添った制度を認めてもらいたいです。
絆_s

熊本地震救援ニュース 第68報

<災害時におけるボランティア事情-48>
 今年に入って初めての台風1号が観測されています。とても勢いが強いそうで、九州から本州でも大雨の影響が懸念されています。これまでも、屋根のブルーシートのことを何度も訴えていますが、これから台風シーズンを迎える九州では、心配の種は尽きません。被災者の方にとっては、余震や雨など心休まるときがありません。
作業前_s

 今回、屋根だけではなく豪雨により被災各地で土砂崩れが発生し、地震で被害を免れた方でも土砂が家屋に流入し避難生活を余儀なくされた方もいらっしゃいます。「台所にいきなり土砂が流れてきた」という被災者の方に足湯をさせてもらいました。

 また、今回の地震の後に出産され、3人のお子さんを抱え、新築されたばかりの自宅の前の石垣がこの大雨で崩れかけた方もいらっしゃいます。それでその石垣にブルーシートを張り、2次災害を防ぐ処置を施しました。
擁壁_s

 地震により、地盤が緩んでいるところへ、雨水が染み込みいつ崩れてもおかしくないような状態の危険個所が各地に点在しています。

大工さんの指導のもと、擁壁の上に建つ家がこれ以上崩壊しないように、家屋から擁壁にブルーシートをかけ、被害拡大を防いだ家屋もあります。そのためには、丹精込めた庭木も伐採しなくてはなりません。それで、僧侶でもあるスタッフの鈴木に伐採をするために、そのお宅にあった家を守ると言われている「荒神様」を祀る南天の木にご家族とともにお参りをして、作業にとりかかりました。
荒神様_s
お参り_s
ブルーシート1_s
ブルーシート2_s
ブルーシート中_s
ブルーシート3_s

 また、もともと土砂災害の危険区域に指定され、自宅をどうするのか悩みながら、県や国の対応を待ちながらも、再建への道を歩みだそうとしている人もいます。
危険地域_s
土砂災害_s
お地蔵さん_s

 先日6月27日の熊本日日新聞「新生面」で報じられた阪神・淡路大震災時の神戸新聞社説を以下に紹介します。

―1995年の神戸新聞に「被災者になって分かったこと」という社説がある。阪神・淡路大震災が起きて3日目、当時 論説委員長だった三木康弘さん(故人)が書いた▼「あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。三日目に、やっと自衛隊が 遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった」と社説は書き出されている▼つづられているのは社論というより、全くの個人の体験である。自力ではもちろん、消防団や消防署に頼み回っても父を助け出せない筆者は、無力感にさいなまれる。そして「これまで被災者の気持ちが本当に分かっていなかった自分に気づく」と書いた。社説は大きな反響を呼んだ▼その神戸新聞社を先ごろ訪ね、震災を知るベテラン記者に話を聞いた。烈震で傾いた社屋は解体され、前より港に 近い場所に移っている。神戸市内に残る震災遺構の在りかを尋ねると、「実はあまり残っていないんですよ」と浮かぬ顔になった▼わずかな遺構の一つ「神戸港 震災メモリアルパーク」には、波止場の一部が保存してある。割れて折れ曲がった岸壁を見れば、破壊のすさまじさを感じられる。だが、それも熊本地震を経験 したばかりの身だからではないか、とも思う▼被災しなければ実感できないこともある。それを伝えていくことの難しさは、震災から21年たった神戸の課題でもある。まだ早い、それどころではない、と言われるかもしれないが、熊本でも何を残すか考えておかなければならない。